す、すごかった、プルシェンコのエキシビション、、、。 | 田中ウルヴェ京オフィシャルブログPowered by Ameba

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今日は朝からエキシビションを見られなくて。

どうしてもプルシェンコのエキシビションが見たくて、、、。


いやいや。

今はもう3時すぎています。

でも。

見ることができて本当に嬉しかった!


荒川さんとかも当然きれいではありましたが。


ロシアのアイスダンスの金メダリストもすごかったですが。


とにかく。プルシェンコ。

私の大好きなトスカ。そして、アンコールのパバロッティの曲。

今回の大会では、自分の思い出の曲ばかりでした。

トスカは、ソウル五輪後にもう一度ソロでやりたかった曲。

でも、結局引退してしまったから使うことができなくて、コーチとしての最後の年である98年に教え子がトスカをやってくれました。

ロミオとジュリエットも多く使われました。

ロミオとジュリエットは、私がはじめてコーチをしたときに、ジュニアエリートの教え子がソロで使った曲。思い出深いです。

そして、アルビノー二のアダージョ。

86年にソロチャンピオンになった時に使った大好きな曲。

サムソンとデリラ。14歳の時に日本代表のソロとしてスイスオープンに行った時の曲。


・・・。

プルシェンコの演技を見ていて。

本当に号泣しました。

そうです。

選手としての究極の快感は、究極の絶頂感は、「誰かに見られている」という程度のスポットライト感でもなく、「世界中に見られている」という程度の目立ちたがり屋感でもありません。

そんなことはプライオリティーの低いことです。


究極の快感は、音を身体で「自分の思うとおりに」奏でられること。

思う場所に足が動き、思う速度で足がまわり、思う状態で足が維持できること。

人に見られていることなど、二の次で、まさに自分の身体が頭で考える以前に頭で考えた通りに動けること。


「あああ!動いている!」とたまらなく感じる絶頂感。

どんなに苦しい動作でもどんなに難しい動作でも、まるでとりつかれたように動けること。

音が身体と一体でいることの幸福感。


ああー。懐かしい!って思った。

やりたい!って思った。

できないのは十分わかっているのに。

その極限の絶頂感を味わうには、死ぬほど苦しい辛いいやーな最悪な恐ろしい練習を毎日毎日何十時間もしなければいけないのに。

そもそもできないのに。


この音で、

このリズムで、

こういう手をふって、こういう足をつかって、、、。

プルシェンコの振り付けを見ながら鳥肌が立った。

まさにたまらないヒット率で音をとってくれている。

この音ではこういう手を、こういう動きを、、、。

まさにはまってくれている。


そして、たまにその逆の、つまり、この音ではその手は使わないだろうというような

振り付けもしてくれる。


!!!

かっこいいとかというよりも、その一つ一つの動きの裏付けにあるトレーニングや訓練の日々を、

まったくスケートなど知らないのに、その裏付けを考えたら

涙が止まらなかった。

苦しかっただろうに。

こんなに動けるなんて。

人間に才能なんてあるようでない。

どんな才能ある人間だって、それを磨くのは大変なんだ。


当たり前のことをみんなわかってくれない。

筋肉痛の日々は痛いんだ。

どんなに好きな競技だって、もう本当にイヤになって死にたくなるときだってあるんだ。

でも

いっつもいっつも一生懸命自分の夢を描いて。

一生懸命その時を、その一瞬を夢見て。

必死に何年も頑張るんだ。


その時を、その一瞬をずっとずっと夢見て。

気を失っても頑張るっていっても。

誰も、練習中に気を失うことがどんなに辛いことか、苦しいことかなんて、

本当にやったものにしかわからない。


冷静に考えれば。

じつはそんなことどうでもいい。

世の中には、もっともっとすごいことなんてたーくさんある。

でもべつに「だから尊敬してくれ」って言ってるんじゃないんだから、いいだろう。

どうせスポーツ選手なんて自己満足なんだって、わかっているんだから許してもらえるだろう。


身体を鍛えることはすごいことだ。

だからこそ

あの動きは美だ。

その裏付けは、美だ。

影が濃ければ濃いほど、光が鮮やかだ。


身体を使っての挑戦はやはり最高だ。

気持ちが、、、たまらなくいい!


だから。

思い出した。

セカンドキャリアなんて、次の人生なんてどうでもいい。

このまま死んでもいい。

そう選手の時に思ったのは、当然だった。

ソウルで表彰台に上がる時は、背中にずっと激痛が走っていた。

本当は立っていられないくらいに痛かった。

でも何事もないように笑ってメダルをもらっていた。

あの時の究極感は麻薬だ。


素晴らしい感動を与えてくれて、本当にありがとうございます。


ずっと過去のことだけど、

もう一生あんな思いはできないけど、

でも一度でも

あの思いを私に与えてくれた先生、パートナー、チーム仲間。

本当にありがとうございました。


やはり。

オリンピックになると、

何年経ってもこんな気持ちになるのかな。

これは辛いなー。

どうやってトランジションすればいいんだろう。

トランジションしなくていいんだろうな、きっと。

精神はいつまでたっても変われないんだ。きっと。