沖縄に移住してから5年近くを、お世話になった北部・本部半島の小さな港町、本部町。沖縄本島の中でも、ターコイズブルーの海が本当に美しい町で、美ら海水族館があることでも知られている。
「あんたの畑はミミズとチャバネさんがちゃんといるから大丈夫だよ」と教えてくれた近所の自然農ハルサー、崎浜シズコさん。
町営市場(まちぐわー)に8畳ほどの野菜・自然食品店「すこやか農場」を営む傍ら、畑を維持してきた。4年前の冬にこのお店の奥の半間が空いていたのを借りて僕が一人で始めたのが「三宅商店」。注文の入ったタイパンツをうまくシッピングできないで苦労しているのを結局はシズコに梱包してもらったり、玄米の弁当を譲ってもらったり、ツアー中の猫の世話を頼んだりと世話になりまくった。追われるように日本中をツアーして回る暮らしを10数年経て沖縄へ移住し、小さな市場の仲間として過ごせた穏やかな時間は今でも大切な宝物だ。穏やか、と言っても普天間基地封鎖事件や基地工事の強行と、政局的には沖縄は風が吹き荒れる日々でのこと。シズコと炎天下のオスプレイ反対県民大会に本部町から足を運んだのも遠い昔のようでいて、まだ2012年の夏のことだ。
それから選挙に出たり、三宅商店も会社になったりで、てんやわんやでさらにまた昨夏の選挙があって、カオス5倍増しで今に至っている。僕は那覇を経て、今は岡山や東京にいることが多くなっている。
震災直後に取るものも取りあえずやって来た沖縄北部の移住者たちの中でも、シズコさんに世話になった、なっている、という人は数え切れない。シズコから麹起こしと味噌作りを伝授された人もひ孫の数はいるだろう。シズコは顔が広い。よくしゃべる。カチャーシーになるとすごい踊る。「シズコなのに静かじゃない」は持ちネタ。ナチュラル志向な人たちの、本部の母。時に、姉。
娘を県外の大学に行かせたりで、畑もお店も行ったり来たりで忙しいのに、辺野古や高江の阻止運動には足繁く通っていた(本部→辺野古 車40分 本部→高江 車70分)。畑でごぼう抜いてから、ゲート前で自分がごぼう抜きだ、あー疲れた体が痛いと、笑っていた。気がつけば「辺野古新基地阻止を訴える訪米団」の1員に選ばれて、渡米していた。
基地も原発も反対運動だけで終わらずに、日本中で1万人くらいが立候補しないともはやこの国は変えられないんだ、などと熱弁していた僕が、本当に2013年の参院選挙に出て、本部町でもみんな驚いていたし、よく見ていてくれたし、ものすごく動いてくれた。そして選挙が終わってからしばらくして、シズコさんが「町議に出る」と言い出しているよと、風の噂で聞くようになった。
それから3年半が経って、やはり本当に、出るつもりでいるという報せがきた!
「応援してもらいたいんだけど、応援って何してもらったら良いの?」
というシズコらしいコメントが来ているが、まずは全国の皆様にも周知だよ!ということで市場の珈琲屋さんに頼んで畑の野菜を持った写真を送ってもらった。
正直を言うと
「あのシズコさんが、本当に決心したの!?」
と、少し驚いている。
実家の母親が選挙に出る、と言い出したような感覚だ。
そして、これも日本中のシズコさんみたいなネーネーたちが立ち上がるキッカケの一つになると思ってワクワクしている。
新人にとって地方選挙は1万人の小さな町で400や500票をとる選挙が最も厳しい、と言われる。ほとんどの票の行く先が固まっているから。都市部の市議選などでは何千票も必要だが「浮動票」が多く存在する。田舎に行けば行くほど、浮動票が減るので変化が起きにくい。
僕と沖縄の歴史にとって、そして僕の人生にとって、シズコは極めて重要なキーパーソンである。彼女の持つ「命を育む土作り」「農場の知識」は本部町の農業にオーガニック革命を起こせるかもしれないし、活動家としてのバイタリティは議員活動にふさわしい。食や自然療法などにも通じているので、これからの時代に大切なことを人々に伝えてくれるだろう。
願わくば、今回の選挙で彼女をサポートした人たちの中から、次回の選挙に挑戦する人が2名くらい出て来たら良いな、と思っている。本当に町を動かしたいのなら、会派作ることを念頭に動いた方が良いだろう。孤独な1議席を何期も守らせるのは辛い。あと、彼女の畑の知恵を伝授される人も少なからず出てくる必要がある。忙しくなっても畑は、すこやかに守られてほしい。
今日も
ホットに、しかしクールに
彼女を取り巻く仲間たちが
町内に呼びかけ、彼女の心意気を
広めてくれているに違いない。
こんなことなら、本部町に住所を残しておくんだった。
ちばりよー、崎浜シズコと仲間たち!
東京から熱いエールを。


