死産して退院した後、私はほぼ引きこもりの生活をしていました。

前の記事にも書きましたが、人に会うのが怖かったんです。

 

狭い島です。

おそらく死産のことはすでに島中の人が知っているはずでした。

家族だけの秘密にしたくてもそうはいきません。

私の家族が黙っていても、本島まで船を出してくれたSさんは事情を知っています。

そこから話が広がっていきます。

 

Sさんを責めているわけではありません。

それが当たり前の環境なんです。

今までにもそういうことは当たり前のように起きていました。

○○さんのところのおじいさんが心筋梗塞を起こしてヘリで運ばれた。

××さんのところの親父さんが屋根から落ちて△△さんの船で本島に行った。

そんな話はあっという間に島中に広まります。

 

たとえSさんが口を閉ざしてくれたとしても、です。

大きなお腹で仕事や買い物や散歩をしていた私のお腹がへこんでいる。

でも赤ちゃんがいる様子はない。

つまり赤ちゃんは……。

 

 

黙っていてもいずれは知れることです。

だから外に出たくありませんでした。

誰にも何も言われたくなかったんです。

励ましも慰めもいらない。

「何があったの?」なんて絶対に聞かれたくないし話したくない。

そっとしておいてほしい。

でも、そっとしておいてもらえる環境じゃない。

だったら引きこもるしかない。

私は退院後1ヶ月くらいはひたすら家の中にいました。

 

とはいえお見舞いの打診はあります。

親しい友人や夫の友人、先輩や後輩、両親や義両親の友人、仕事でお世話になっている人など…。

それらは丁重に辞退しました。

人に会える状態じゃないと言ったり、夫や家族の方から断ってもらったりしました。

 

 

でもさすがに断れない人もいます。

それは義姉

 

自己紹介」の記事にも書いたとおり、夫には3人の姉がいます。

上から

義姉A(43)

義姉B(38)

義姉C(35)

とします。

 

義姉Cは私が小学1年生の時に中学2年生。

(島にある学校は「○○島小中学校」という名前で、小学校と中学校が同じ校舎です。

私が通っていた当時、全校生徒を合わせて90人いないくらいの小さな学校でした。

なので全員が全員の名前を知っているような環境です。)

義姉Cには昔からよくしてもらっていました。

当時のこども会イベントや学校行事で家が近い私の面倒をよく見てくれました。

夫と私の兄は同級生で、兄にくっついて夫の家に遊びに行くことが多かったのですが、ゲームに興じる2人をよそに私は義姉Cにお絵かきを教わったりあみぐるみを作ってもらったり。

昔から私のことを「みーちゃん(仮)」と呼んで妹のように遊んでくれた人です。

 

すごくお世話になったし、今も仲がいいです。

妊娠した私にマタニティ服をプレゼントしてくれました。

そんな義姉Cから「お見舞いに行っていい?」と連絡があり、断るわけにいきませんでした。

 

 

本当は大好きな義姉Cにも会いたくないくらいの状態でしたが…

だけどいつまでも誰にも会わないわけにはいきません。

人との対話のリハビリになれば…という気持ちで都合のいい日時について連絡を取り合いました。

 

 

義姉Cが島に来るのはお正月以来だったので、顔を合わせるのは1ヶ月ぶりでした。

義姉Cは私の顔を見るなり「大変だったねぇ」と言って涙を流しました。

ぎゅっと手を握られて、その手がとてもあたたかくて、私まで泣けてしまいました。

 

義姉Cはぴよちゃんのお仏壇にお線香をあげてくれました。

長いことお祈りをしてくれました。

ぴよちゃんのために、お花と絵本とたまごボーロを買ってきてくれました。

 

「お産は大変だったでしょ、体は大丈夫?

仕事なんてしなくていいから、ゆっくりしなね。

赤ちゃんさぁ、男の子だったんだよね。

どっちに似てた?かわいかったでしょ?

名前は何にしたの?どういう由来なの?」

 

義姉Cは、ぴよちゃんを生きて産まれた子と同じように扱ってくれました。

出産祝いに絵本とお菓子をプレゼントしてくれ、お産についてのことや、ぴよちゃんがどっち似だったか、名付けはどうしたかを聞いてくれる…

そんなふうにしてもらえるとは思いもよらず、すごくすごく嬉しかったです。

 

私はとぎれとぎれに話しました。

無理やり陣痛を起こして産んだこと、ぴよちゃんの顔を見れて嬉しかったこと、手形と足形を取れたこと、写真は残せなかったこと…

義姉Cはうんうんと相槌を打ちながら聞いてくれました。

私も義姉Cも泣いたり笑ったりしていました。

 

義姉Cは、決して「自分の時はこうだった」ということには触れませんでした。

ひたすら私とぴよちゃんの話を聞いてくれました。

その心遣いがとても染みました。

 

義姉Cは「体に響いたら悪いから」と言って2時間ほどで帰っていきました。

義姉Cとの別れが名残惜しくてまた泣いてしまいました。

「また会いに来てほしいよ~」としゃくりあげるくらい泣いてしまい、恥ずかしかったです…。

だけどそれくらい、本当に本当に、義姉Cの優しさが嬉しかったんです。

 

義姉Cが帰ったあとは寂しさの中にも晴れ晴れとした気持ちが残りました。

人と会うことをそんなに怖がらなくてもいいのかもしれない、私はもう平気かもしれない。

そんなふうに思いました。

 

でもそれは大きな間違いでした。

ただ義姉Cが特別に優しかっただけだったんです。

私の心はまだまだボロボロでした。

 

 

この後日、続いてやってくる義姉に気持ちを粉々にされることになります。

続きはまた別の記事に書きますね。