色々な心理学や脳科学、社会心理学等の文献を読んでいて思ったのですが、
ある意味、
女性にアダルト・チルドレン(AC)傾向が多い
または、共依存傾向?
ということは、当たり前と言えば当たり前なような気がします。
女性のバウンダリーが時として男性のそれよりも曖昧なのは、『女性が子供の世話をする本能があるから』とも言えるからです。赤ちゃんとの間にバウンダリーがあっては、赤ちゃんがどうして泣いているかも察することができないわけで、赤ちゃんのサバイバルには必要不可欠な能力なわけです。女性にはそう言った、察知する能力、空気を読む能力がもともと備わっているわけです。
これ、長所でもあり、変につけ込まれると短所にもなる性質でいえるわけで。。。
無力で依存せざるをえない赤ちゃんや幼い子供に対するためにある本能を、一人前の子供や友人・恋人に使っては、搾取される共依存の関係に陥ってしまうということですね。
本能的に女性はAC依存症的で男性は自己愛的、だからそういうもの
と言ってしまえば、それまでなのですが、メカニズムを知っていれば対処能力はそれなりに上がるため、いわゆる恋愛マニュアル本なんかは、そういうメカニズムを女性の為に説いているものだとも言えます。
さて、実社会に法律が存在しようとも、常識が存在しようとも、モラルが存在しようとも、現実に起こる物事は変えられない訳で、残念なことに、いくら『いじめ』が良くないと叫んでも、DVが良くないと叫んでも、搾取がいけないと叫んでも、まるで動物の本能の一部のようにいじめが存在し、不平等が存在し、犯罪が存在します。
ここで、
じゃあ現実は腐っているから、ひとり正義を主張しても意味がない。自分も好き勝手やるだけ
となるか、
他の価値観や手段をとるか
は、人それぞれで、そこをまた、批判しても始まらないわけですが、、
SCOTT PECK氏も『平気で嘘を付く人達』:PEOPLE OF THE LIEで述べているように、ここで個人の『選択』が関わってくるわけです。悪を選ぶか善を選ぶかは、SCOTT PECK氏は『チョイスだ』と言っています。
これ、私は個人的にはまったく同意です。ただ、他人の選択は変えられない。一定の割合で邪悪の道を選ぶ人達が、愛の道を選ぶ人達と同じ程いるということ。そして、これもコンティニュアム(相対的)な問題で、白黒の対比的ポジションだけでなく、その中間にある色々なバリエーションがある、ようです。
ま、基本は動物的サバイバル本能で、個体としての自己の生存、そして直結子孫の生存のためなら、人間及び動物は邪悪にもなりうる、と言ったほうが正解かもしれません。この場合、自己保存を理由として、既に本人にとっては善悪の問題ではないのかもしれません。
生きのびるためなら盗む、殺すのは、ある意味当たり前。『生きるため』のストレスが個体によって違うため、ちょっとしたストレスで折れる人や個体もある、ということです。
そう言う意味では強い人間とはストレス耐性が高く、邪悪の道を選ばずともいい選択肢(能力とか財産とか)の多い個体なのかな、とも。。。つまりは弱い個体が邪悪の道を選んでしまう、と考えることもできます。ま、もちろん財産あっても、精神的に弱かったり、ストレスの意味するところは個々人によって、変わってきます。
生物としての勝ち組・負け組の定義は遺伝子のサバイバルであり子孫を残すことでもあるので、
(どんな手段を使っても=悪さしてさえも)
なるべく多くの子孫を残すこと
プラス、できれば遺伝子分散が好ましい
は、生物体としては成功と言える訳です。生物学的に、いわゆる勝ち組。それに、社会共同体としてのモラルや常識が絡んでくるので、なかなか問題と評価が難しくなってくるのだと思います。
なんだか、ACから話が飛んでしまいました、、社会生物学か人類生物学系の考察になってしまいましたわん
Merci beaucoup
みやび
ある意味、
女性にアダルト・チルドレン(AC)傾向が多い
または、共依存傾向?
ということは、当たり前と言えば当たり前なような気がします。
女性のバウンダリーが時として男性のそれよりも曖昧なのは、『女性が子供の世話をする本能があるから』とも言えるからです。赤ちゃんとの間にバウンダリーがあっては、赤ちゃんがどうして泣いているかも察することができないわけで、赤ちゃんのサバイバルには必要不可欠な能力なわけです。女性にはそう言った、察知する能力、空気を読む能力がもともと備わっているわけです。
これ、長所でもあり、変につけ込まれると短所にもなる性質でいえるわけで。。。
無力で依存せざるをえない赤ちゃんや幼い子供に対するためにある本能を、一人前の子供や友人・恋人に使っては、搾取される共依存の関係に陥ってしまうということですね。
本能的に女性はAC依存症的で男性は自己愛的、だからそういうもの
と言ってしまえば、それまでなのですが、メカニズムを知っていれば対処能力はそれなりに上がるため、いわゆる恋愛マニュアル本なんかは、そういうメカニズムを女性の為に説いているものだとも言えます。
さて、実社会に法律が存在しようとも、常識が存在しようとも、モラルが存在しようとも、現実に起こる物事は変えられない訳で、残念なことに、いくら『いじめ』が良くないと叫んでも、DVが良くないと叫んでも、搾取がいけないと叫んでも、まるで動物の本能の一部のようにいじめが存在し、不平等が存在し、犯罪が存在します。
ここで、
じゃあ現実は腐っているから、ひとり正義を主張しても意味がない。自分も好き勝手やるだけ
となるか、
他の価値観や手段をとるか
は、人それぞれで、そこをまた、批判しても始まらないわけですが、、
SCOTT PECK氏も『平気で嘘を付く人達』:PEOPLE OF THE LIEで述べているように、ここで個人の『選択』が関わってくるわけです。悪を選ぶか善を選ぶかは、SCOTT PECK氏は『チョイスだ』と言っています。
これ、私は個人的にはまったく同意です。ただ、他人の選択は変えられない。一定の割合で邪悪の道を選ぶ人達が、愛の道を選ぶ人達と同じ程いるということ。そして、これもコンティニュアム(相対的)な問題で、白黒の対比的ポジションだけでなく、その中間にある色々なバリエーションがある、ようです。
ま、基本は動物的サバイバル本能で、個体としての自己の生存、そして直結子孫の生存のためなら、人間及び動物は邪悪にもなりうる、と言ったほうが正解かもしれません。この場合、自己保存を理由として、既に本人にとっては善悪の問題ではないのかもしれません。
生きのびるためなら盗む、殺すのは、ある意味当たり前。『生きるため』のストレスが個体によって違うため、ちょっとしたストレスで折れる人や個体もある、ということです。
そう言う意味では強い人間とはストレス耐性が高く、邪悪の道を選ばずともいい選択肢(能力とか財産とか)の多い個体なのかな、とも。。。つまりは弱い個体が邪悪の道を選んでしまう、と考えることもできます。ま、もちろん財産あっても、精神的に弱かったり、ストレスの意味するところは個々人によって、変わってきます。
生物としての勝ち組・負け組の定義は遺伝子のサバイバルであり子孫を残すことでもあるので、
(どんな手段を使っても=悪さしてさえも)
なるべく多くの子孫を残すこと
プラス、できれば遺伝子分散が好ましい
は、生物体としては成功と言える訳です。生物学的に、いわゆる勝ち組。それに、社会共同体としてのモラルや常識が絡んでくるので、なかなか問題と評価が難しくなってくるのだと思います。
なんだか、ACから話が飛んでしまいました、、社会生物学か人類生物学系の考察になってしまいましたわん
Merci beaucoup
みやび