MtoM  by美元


「今朝、ママが天国に旅立ちました」
…朋ちゃんから、そうメールが届いたのは去年の春でした。
桃の花が咲き始めた頃。


淳ママ。


友人の結婚式の帰り道。
「ママが病気なの」
朋ちゃんの突然の告白。
その病状が末期だと聞いたとき、それ以上何も聞けませんでした。



朋ちゃんとは中学時代の同級生。
2年生のとき、書道の道具を兄に捨てられて。
買い直すこともできなくて。
そんなときに、快く貸してくれたのが隣のクラスの朋ちゃんでした。
捨てられた…なんて言えなくて。
毎回とぼけて借りに行っていた私を変な目で見る同級生もたくさんいました。
朋ちゃんは…。
何かを察してくれたのかな…。
ある時から、私のクラスに届けに来てくれるようになりました。

3年生になって、同じクラスになれた時、本当に嬉しかった。
いじめを受けた中学時代、友達なんて居ないって思っていたのですが、
朋ちゃんと一緒に行った修学旅行は本当に楽しくて。

母親が居なくなった後、
ハンカチを持ち歩かなくなりました。
女子特有の「いつも一緒」が苦手で。
…というより、たくさんいじめにあって、
ある日突然「ひとり」になる怖さを知って居た私は
あらかじめ一人で居ようと思ったのかな。
教室移動もトイレに行くのも。
強がって一人で行っていました。

ある日、トイレから出ると…。
洗面台で朋ちゃんが待っていてくれました。
ハンカチを差し出して。
「これ、裕子用^▽^」
いつからか、朋ちゃんはハンカチを二枚持参するようになっていました。

朋ちゃんが居たから。
「中学時代、楽しかった☆」と。
心から言えます。

あの頃も今も。
助けて貰いっぱなしだけど。
本当にかけがえの無い友達です。


中学時代は身長が140センチ台だった朋ちゃんと
既に170センチ台だった私。

「裕子さんと並んでいると、朋ちゃんが本当に小さく見えるの^▽^」
そう言って笑っていた淳ママ。

お正月。ひな祭り。クリスマス…。
たくさんの時間を朋ちゃんのお家で過ごしました。

家族旅行にも、一緒に連れて行ってもらって。
親戚のおうちにまで、行かせてもらったことも。

「もっと一緒にご飯食べたらよかったね。」
私が小学生の頃からずっと『ひとりごはん』だったことを知って、
淳ママはそう言ってくれました。

美人で頭も良くて
結婚前はスチュワーデスをしていた淳ママ。

結婚してからは、
転勤も、人付き合いも多いパパのお仕事をしっかり支えていたママ。

週末になると、パパと一緒にテニスに行くママをみて
こんな夫婦になりたいな…ってずっと思っていました。

とにかくお料理上手で、
フルコースみたいなメニューもお手の物。
ある日、朝御飯にトーストと自家製カスタードクリームが出てきて
「クリームパン^▽^」と言われたときは本当に感動しました。

そんなママも、結婚当初は何もできなくて。
いっぱい頑張ったと聞いたとき。
ママのパパへの愛情と、子供たちへの想いを感じました。

パパママチームと朋裕子チームで卓球したこと憶えていますか?
お互いに本気になって(笑)。すごく楽しかったです。
おうちの前の公園で、朋ちゃん、妹とフリスビーをしたこと。
こんな幸せな時間があるんだ…って教えてもらいました。
親戚のおうちに行って、みんなで大掃除。
マンション育ちの私は草むしりをしたのは初めてで、夢中になりました。
アウトレットに一緒にお買い物に行きました。
あの頃のママは帽子が必要で。
病状を聞けなくて。
どこかで…、
まだ大丈夫って…。
思っていました。


ママと話したかったこと、たくさんありました。

私の天国のママから、淳ママへの伝言が。
あったのに…。
伝えられなかった…。

後悔してもしきれない。


まだ大丈夫…って。
思っていました。


もう一度だけで良いから。
一日だけで良いから。
会いたいです。



「朋ちゃんと仲良くしてくれてありがとう」
いつもそう言ってくれて居た淳ママ。

身体が大きい私は、朋ちゃんを支えて居るように見られがちだけど。
本当は逆で。
淳ママが朋ちゃんを産んでくれたから。
たくさん笑えたし、たくさん幸せな時間がありました。


朋ちゃんから連絡があったあの日。
不思議だけど。
夜中に予感がしていました。
朋ちゃんに連絡をしたい衝動にかられました。
夜中だったから、朝まで待とう。
そう思っていた朝方に届いた訃報。

一刻も早く行きたかったけど。
目を閉じている淳ママにあったら、
本当に天国に行ったことを感じてしまうようで。
少しでも後回しにしたくて。

同じクラスだったマツに来てもらっても。
夜になっても動けなくて。
お父さんに送ってもらってやっと。
ママに会いに行けました。

朋ちゃんが他の友達には連絡していなかったことを知って。
どうしてもっと早く行かなかったのかと、後悔しました。
ごめんね…、朋ちゃん。

朋ちゃん。
あの日、淳ママに会わせてくれて本当にありがとう。

告別式。
どうしても動き出せなくて。

私が葬儀場に着いたのは
ちょうどみんなが火葬場へ移るバスに乗り込む時でした。

見送っている私に気づいた朋ちゃん。
「裕ちゃん、乗って!」

最期のお見送りに。
家族や親戚の方々と一緒に。
立ちあわせてくれました。


20年以上も前のことですが。
今でも鮮明に憶えています。

母を見送る時。
一番悲しかったのは。
霊安室ではなく。
火葬場でした。

扉が閉まった瞬間。
もう二度と母に会えないことを
身体中で感じて。
大声で泣きました。
立って居られなかった。
現実を付きつけられたような。
張り詰めていた糸が切れたような。
大きな衝撃がありました。
心に杭を打たれたように。
胸が痛くて辛かった。


淳ママが運ばれて行く時。
朋ちゃんも同じ辛さを感じるのかと思うと。
心配で、仕方がありませんでした。

だけど。
私がこれ以上でしゃばってはいけないと。
少し離れて朋ちゃんの背中を見ていました。

扉が閉まって、朋ちゃんが声を上げて泣いたとき。
本当は駆け寄りたかった。
今でも後悔してるの…。

待合室に戻る途中の廊下で、
一緒に歩いていた朋ちゃんが、
突然、床に伏せて泣き崩れたとき。

夜中の予感も、おうちに行ったときも。
告別式でも、火葬場でも…。
淳ママが私の身体を使って、朋ちゃんを支えたかったのだと。
おこがましいけどそう感じて。
もっと近くに居ればよかった。
ずっと一緒に居ればよかった。
後悔したよ…。


気丈に振る舞っていた朋ちゃんが、
本当はどれだけ精一杯だったか。
わかってたのに。
ごめんね…。

「今日、泊まれる?」

そう言って、頼ってくれたことが
嬉しかった。


マツと三人で川の字の夜。
ベッドから伸びてきた朋ちゃんの手。
朝まで握ってたのは、私じゃないよ…。

翌日の大掃除。
無我夢中になったあの時も…。

私の身体を使ってくれたんだと思う。

パパやみんなに。
きれいな部屋で暮らして欲しい。
新しい生活を心配して。
誰よりもお掃除したかったはずだから。


「裕ちゃんは20年前にこれを経験したんだよね…。」


朋ちゃん。きっとね。
私のママは朋ちゃんのママに挨拶に行っていると思うの。
「お世話になりました。裕子の母です^^」
「あら!やっぱり背が高いんですね^^」なんて


今年も、桃の花が咲いていました。
春は必ず訪れる^^