31年、1年、20年、12月のやわらかな後悔 | 島くらしの手帖 瀬戸内海・周防大島編

31年、1年、20年、12月のやわらかな後悔

昨日12月1日は、エフエム山口の開局記念日。

 

1985年はつくば万博の年。小学6年生。

 

どんな未来を想像していたんだろう?

 

カマクラという仲の良かった5年生が転校してしまった年。

 

ここ数年、時折カマクラのことを思い出す。

 

そんな1985年の開局から31年。

 

ラジオの思い出話がたくさん寄せられた。

 

忘れられない瞬間瞬間がこんなにもあるものなんだなと思いつつ、

 

その感動というか、誰かの思いが誰かに伝わった時、

 

その時の思いというものを感じた時、また、じんわりと感動を覚えた。

 

ラジオという音だけの形ないもの。

 

その空気の中にたくさんの人のたくさんの思いがつまっているのだなと思う。

 

エフエム山口でディレクターの仕事をはじめてちょうど1年。

 

今担当している「COZINESS」という番組が立ち上がって1年。

 

1年かけてようやくそのリズムに慣れてきたのかどうか。

 

毎回たくさんのリクエストをいただいて、

 

なるべく多くのリクエストにお応えできるようにがんばる。

 

正直言うと、知らない曲もたくさんある。

 

これまでの人生で、これまでの仕事で触れてこなかった音楽がたくさんある。

 

リスナーから教えていただく素晴らしい音楽がたくさんある。

 

昨日の最後の曲は福山雅治の「12月」。

 

オリジナルが下関出身のSIONということでいただいたリクエスト。

 

12月

 

街はクリスマス気分

 

あちこちから思い出したようにジョンの声

 

そして俺ときたらいつもこの頃になると

 

なにかやり残したようなやわらかな後悔をする

 

「やわらかな後悔」

 

4分ほどの曲が流れている間やわらかな後悔を振り返る。

 

5~6年生で行ったつくば万博EXPO85

 

おなじ班になったカマクラは迷子になった。

 

広い会場の中をみんなで必死に探して。

 

見つけた時には泣いてた。つらかったろうな。

 

1996年秋。

 

ラジオの仕事をはじめた秋からちょうど20年。

 

3年のブランクを経て1年、そして20年。

 

半農半ラジオだなんて、なんとも中途半端な。

 

やわらかな後悔はもちろんあるけど。

 

ラジオが本業でないからつくれる空気感。

 

田舎の中の田舎に暮らしているからこそ感じられる

 

やわらかな季節をつむいでいくよ。

 

DOWN TO EARTH

 

 

AD1年目か2年目か、西麻布にて。

 

ラジオマンスピリットを叩き込んでくれた先輩ディクレター。

 

今でも「これでいいのかな?」と悩んだときは、この人の顔を思い出す。

 

その時はいつも、からし色のシャツを着てるんだ。