あなたのしらない幸福論
人として知っておくべき、さまざまな真実を知りたい人が読むべき本はこれ、「あなたのしらない幸福論」です。幸せの法則を知れば、自ずからあなたの行動が違ってきますよ。
- あなたのしらない幸福論/深見 東州
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何かの目標を達成しようと思うなら、その代償としての戒律が必要である
中国古伝説上の聖王として、今にまで讃えられている方が、堯・舜・禹である。その舜が、ある日禹に対して、政治と人道の極意として語った教えが、
「人心これ危うく、道心これ微かなり、これ精、これ一、允(まこと)にその中(ちゅう)を執(と)れ」というものだ。
これは儒教のエッセンスと言われ、道心という人間の魂はかすかなものだ、人心という人間の欲望から出てくるものは危うく、ここにすべての堕落と失敗が潜んでいる、という意味である。また、舜は禹に、
「允にその中を執れ」と教えた。
一つのことに誠実に、一生懸命努力して、人間の喜怒哀楽のツボにはまった仕事をしなさい、ということである。すなわち、喜怒哀楽が発生する前の世界、それが中なのだ。
人々が日々の生活を幸せに、穏やかに過ごしていれば、喜怒哀楽の感情は発生しない。そんな政治こそ、理想的な社会であり、帝王たるものは、そういう政治のために努力せよ、ということでもある。
伝教大師は比叡山を開くとき、
「国宝としての人材を育てるのだ」
と述べたが、同時に、
「世の中のリーダーになるような人材は、自分勝手なことばかりしてはいけない。自ら発願して生命がけで仏道を成就させようというのだから『持戒』(自分で戒律を持つこと)は、当然のことである」
とも述べている。
このことは、将来に目標をもったなら、その目標を実現させるための代償として、自分なりの戒律をもたなければならない、ということだ。
昔の人は、お茶断ち、タバコ断ち、ミソ汁断ち、といったように、様々な代償を払って「願断ち」を実行した。現代ならば、コーヒー断ち、酒断ち、コーラ断ちといったものでもいい。このように、戒律というのは、目標とセットになっているものだ。
さらに大切なことは、この戒を持続させることである。
どんなに小さな目標であっても、一つの目標を達成するには、最低三年の努力が必要となる。そして、大きな目標なら十年の継続が必要だ。そこで、この努力を続けるためにも、戒律が必要となる。
この場合、戒律とは自己を律するものだ。誰かに言われたから他律的にやって意味があるものではないのは、言うまでもないだろう。
大切なのは、努力を続けるために戒律を持とうという自らの心構えと、その心構えを物事の成就の時まで貫かんとする精神である。
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