美学 | 書家/女流書道家 三玉香玲の公式ブログ『書道の美』

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このところ、古筆手鑑を鑑賞しています。
「古筆」とは、おおよそ近世までに書写された写本類の総称です。
近世に入るころ、武士や町人という新興の鑑賞者層の増加と、
美しい写本であればその一部でも所有して鑑賞したいという願望にともなって、
古筆は断簡に分割され始めます。
江戸時代には、古筆切を収納・鑑賞するためのアルバムとして、
古筆手鑑が発達しました。
手鑑の「手」は筆跡、「鑑」には手本・見本の意味があり、
手鑑とはすなわち筆跡の見本帖です。
国宝 古筆手鑑「見努世友」という名称は、
兼好法師の著した『徒然草』十三段の
「燈のもとで古人の書に接する事は、見ぬ世の人を友とする思いがする」
というくだりに拠る、洒落た命名です。

出典:出光美術館図録より


古筆手鑑には構成によってさまざまな種類がありますが、
私が古筆手鑑に惹かれるのは、より多くの古筆切が
鑑賞できる形となっていることはさることながら、
仮名書や料紙に日本独特の美意識を感じるからかもしれません。
数年前に懇意にしている古美術店で、古筆手鑑を
手にとって鑑賞させていただく機会があったのですが、
古筆切を貼り替えた形跡や剥がした痕跡など、
手の痕跡が残されていました。


そもそも手鑑の古筆切は貼り替えることを想定したものですが、
近代に再編、制作された各時代の古筆を鑑賞しても
その美しさは一目瞭然です。
今日でも素晴らしい書を見れば人々は感動します。
しかし、それを味わい楽しむ暮らしの余白が失われているのではないかと、
改めてそう思いました。