朝方雪花が舞っていましたが、日中は冷たい北風が吹き付ける寒い一日でした。
朝の、地面に舞い降りては溶ける雪を見ていると、先日が父の祥月命日だったこともあり、父のあれこれを思い出しました。長文になるかと思います。長文が苦手な方はここでパスしてください。



昨年三十三回忌を済ませたので、父との思い出も、もう随分色褪せている。それに加え、単身赴任や出張、残業でほとんど一緒にいた時間が無いので、断片的にしか思い出すことが出来ない。いや、懸命に忘れようとしていたのかもしれない。



私はずっと、母よりは父の方が好きだった。
小学校の頃、父は一年に6回しか帰らない年があった。今思えば、二月に一度しか帰省しなかったんだと分かるが、子どもの頃はどうしてかと疑問に思っていた。時々帰って来る父は怖かった。そう 子ども心に思った。緊張もした。父は不在の間のことを訊いてくるが、口頭試問を受けているような感じがした。私は父の靴を磨いたり、ハンカチにアイロンを掛けるのが好きだった。


中高生の頃、帰宅は何時も遅かった。父が帰ると、食事を摂っている横であれこれ話した。NHKで磯村さんがニュースを言っていることが多かった。


学生になり家を離れてからのことは、ほとんど分からない。父も家を離れていた。


父と最後に会話を交わしたのは、大学三年のお正月。私は予定を一日早めて下宿に戻ることにした。バイトの為に。そのことを父に伝えると、最寄りの駅まで送ってくれた。帰省した時に最寄り駅まで送ってくれたのは、後にも先にもこの日が初めてだった。


そして、父は車に戻っていった。私は駅の中から父の姿を目で追った。そこで、何とも言えない不安、胸騒ぎを感じた。父の後ろ姿、背中が、とても疲れているように思えたし、寂しそうに感じた。


それから、ほぼ3週間後に父が亡くなったという報せを受けた。帰省を一日早めたことを後悔した。葬儀の日も雪花が舞っていた。


24で結婚する時は、親族の記念撮影には、父の席に伯父(母の兄)が座ってくれた。



私の手許には父の写真はたった一枚しかない。それも、仕事関係の写真。実家には、まだまだたくさんあると思うが。



父との会話で思い出したこと。
☆結婚して子どもが出来たら、子どもには自分が受けた教育と同等以上の教育を付けること。
☆キョウダイは仲良くすること。そうしなければ、自分の帰る家は無くなってしまう。
聞いた当時は、どういう意味かよくわからなかったが、今はそれなりに理解出来る年になった。父の年齢49は数年前にクリアした。



以上、長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。