「優しさ」と「男らしさ」と「最強」について・・・ | 中国に侵略されている日本を護り抜け

中国に侵略されている日本を護り抜け

~この日本には、もう国を護とうろする男はいないのだろうか。武力衝突だけが戦争ではない。すでに中国共産党による情報の戦争、そして侵略は始まっている。眠っている男たちよ目を覚ませ。大和魂よ、蘇れ!そしてこの美し国を護り抜け!~

誠に勝手ながら、

おそらく多くの人にとって、

学びになる質問と思いますので、

コメントとメッセージから、転載させて頂きます。

まずはコメントから、
「はじめまして。
 与国が考える本当の優しさ、男らしさを、
 詳しく解説していただけないでしょうか。
 よろしくお願いします」

つづいてはメッセージから、
「この前の仁義についての記事、
 書いていただいてありがとうございました。
 写しました(笑)
 質問なんですが、
 与国さんは『最強」ってどういうことか、
 どういうものか、
 どういう人だと思いますか。
 俺は、腕っ節が最強の人と、
 誰でも笑顔にできる人だと思います。
 両方とも心が強いし、
 敵と呼べる奴がいないから無敵だと思います。
 また、『強さ」って、一言で言いっても、
 色んな強さがあると思います。
 だから強さって男らしい、
 カッコイイっていえるもの全てだと思うんです。
 でもはっきりとはわかりません。
 与国さんは「優しさが全て」、
 北斗の拳でも「愛は最強」と書いてありました。
 正直よくわかんないです。
 マザーテレサは優しい人だとおもいますが、
 最強とは思わないです。
 男でも、いくら愛があって、優しくても、
 なよなよしてムキムキでもなく、
 すぐ頼ったり、媚びたりするような人だったら、
 弱いと思います。
 すんません。
 あいまいで意味わかんないかもしれないですが、
 与国さんはどう思いますか。
 教えてください。押忍 」


簡単に答えられそうなので、

他の質問を飛ばして、

先に答えさせて頂きます。

私が考える

「本当の優しさ」

「男らしさ」

そして「最強」

それはね、

やはりまず「慈悲」ですよ。

優しさ、

それは「慈悲」です。

慈悲というのはね、

仏教の基本的精神ですが、

風邪をひいた人に、

暖かいスープを与えるものじゃあないんです。


健康な人が風邪をひかないように、

病になっている人が、

それがたとえ不治の病であっても、

心が元気になるように、

言葉を編み、

説法をすることをもって導く、

そうした愛、

それが慈悲です。


これを「抜苦与楽(ばっくよらく」と言います。

説法でもって、言葉を編むことをもって人を導き、

その人の人生から苦しみを抜き去り、

その人の人生に楽(喜び)を与える、

これが慈悲なわけです。

ですから、

私が考える優しさ、

それはまず慈悲です。

しかし風邪をひいた人に、

スープを与えることは、

誰にでもできるものですが、

慈悲を人に

与えることは、

簡単ではありません。


泳ぎの下手糞な者が、

海で溺れている者を

助け出すことができないように、

自分自身が、

人生という名の大海の中で、

苦しみという名の波に打ちのめされていては、

他の人生に溺れる者を、

救い出すこともまたできないのです。

人生という大海を泳ぐのが、

上手いからこそ、

海の幸という名の、

人生という名の大海の喜びを、

他の人に分け与えることもできるのです。

だから言葉でもって、

説法でもって、

他の人々の苦しみを取り除き、

人に喜びを与えていくためには、

己自身が人生という名の大海を泳ぐ、

達人とならねばならないわけです。

人生の達人であるからこそ、

人生の哲人であるからこそ、

人は言葉を編むことでもって、

他の人々を導くこともまたできるのです。

ここに必要なのは、

「悟り」です。

人の心にまで届く説法をするには、

人は悟らねばならないんです。

言葉を編むことに長けて、

説法が上手い人というのは、

悟りが高いんです。

スープを作れる人であるならば、

スープを買える人であるならば、

誰でも、

風邪をひいた人にスープを分け与えることは、

おそらくできるでしょうが、

慈悲を与えるためには、

「悟り」を得なければなりません。


ですから私が考える、

本当の優しさ、

それは慈悲でありますが、

この慈悲というものは、

実は簡単には手に入りません。


しかし女性にも慈悲は必要です。

男にも、女にも、

悟りは必要不可欠であり、

父にも、母にも、

抜苦与楽の精神は必要不可欠です。


では男と女性を分けるものは何か。

つまり、

「男らしさ」とは何か。

それこそ仁と愛だと、

私は思うのです。

つまり、

男らしさとは、

天下国家のために勇ましく立ち上がり、

人々に愛を与えていく仁だと思うのです。

女らしさとは、

風邪をひいた人に、

スープを分け与えるような、

そうした愛だと私は思うのです。

マザー・テレサは、

貧しいスラム街において、

人々に愛を与え続けましたが、

ああした愛こそ、

私は女性らしさだと思うのです。

そして男らしさとは、

坂本竜馬のように、

天下国家のために立ち上がり、

世の中を変えて、

そうしたスラム街を、

スラム街ではなくさせて、

根本から人々を救っていく仁の心であると、

私は思うのであります。

ですから、

ここまでをまとめると、

私が考える本当の優しさとは、

慈悲であり、

そして慈悲とは、

悟ることによって得られるものであり、

女らしさとは愛であり、

男らしさとは仁であります。

では、

最強とは何か。

それは「徳」です。

「知・仁・勇の三つものは天下の達徳なり」

と申しましが、

悟りをそなえ、

仁をそなえ、

勇ましさをそなえた者こそ、

徳ある者であり、

徳こそ最強だと、

私は確信しております。

かつて中国の三国時代に、

劉備玄徳という人物がおりましたが、

彼の部下には、

「武」に優れた関羽、

「知」に優れた孔明という人物がおりましたが、

しかし彼らは、

劉備につき従っておりました。

それは、

「徳は才を超える」からであります。

徳ある人物のところに、

才ある人物が自然と集まってくるのです。

だから劉備には、

知もなく、

武もありませんでしたが、

蜀という国においては、

最強でありました。

利益にも人は集まりますが、

徳にも人は集まるものであり、

徳は利益を凌駕すると、

私はそう信じるものです。


すなわち、

私が考える、

真に優しき者、

それは悟り高く、

慈悲を与える者であり、

私が考える、

女性らしい女性、

それは愛深き優しき人であり、

私が考える、

男らしい男、

それは天下国家のために立ち上がる、

仁を貫く益荒男であり、

私が考える、

「最強」と呼ぶにふさわしき者、

それは、

知者であり、仁者であり、勇者でもある、

徳を持ちし聖人に他なりません。


ご参考になったでしょうか。