歌舞伎役者がブン殴られたそうだ。
ん~愚かだ。
「愚か」としかたとえようが無い。
どうやら本人は、
自分を「いずれ俺は人間国宝だ」とか、
「俺は国から60歳まで二億円もらえる」とか、
そんなことを普段から口にするばかりか、
喧嘩の際にも、相手に向かって、
「六本木を歩けなくしてやる」
とまでほざいたそうだ。
自惚れ、慢心、
そして勘違いにもほどがある。
海老蔵も、
まぁいずれ「団十郎」になるのだろうが、
初代の市川団十郎は江戸時代初期だから、
まぁ芸の道を、
もうかれこれ350年ほど受け継いでいることになるか。
しかし梨園の世界、
とくに市川団十郎の系譜には、
闇の歴史が多く、
自殺や他殺もあったと噂されている。
「誰が団十郎を受け継ぐか」
ということで。
まぁ確かに、
そうした梨園の世界も、
この日本の文化を発展、
そして興隆させただろうから、
それなりに日本に貢献しては来たが、
しかし歌舞伎役者なんぞに大和魂は無い。
では、ここであえてもう一度、
日本古来より伝わる「大和の精神」をより詳しく、
より明確に説明するとする。
たとえばかつてこの国に、
「幕末」と呼ばれる激動の時代があったが、
その激動の時代を譬えに使って説明したい。
幕末と呼ばれるあの激動の時代にも、
多くの方々が生きていた。
その中には梨園(りえん)と呼ばれる歌舞伎の世界があり、
「芸」に生きて、
幕末に一輪の花を添えた方もいた。
また「渡世」に生きる者も多く、
名の知れた人では清水の次郎長がいる。
彼は国家の一大事という混乱に紛れて、
「渡世」を牛耳り、
東海道にその名を轟かせたが、
晩年は和の精神に目覚め、
堅気となり、
世の中に尽くされた方である。
「技」を磨き上げて生きる方もいて、
歴史的には有名ではないので、
あえて名前は記さないが、
朝青龍のような、
そうした連戦連勝のとてつもなく強い横綱もいた。
また「武」に生きる方もいた。
あの時代ではまだ「武」がとても必要とされていた為に、
千葉周作などを筆頭に、
己の「武」を磨く事に専念して、
道場を開いて一世を風靡した方も数多くいたのだ。
そして幕府を守ろうと立ち上がった方々もいた。
「新撰組」と呼ばれる方々で、
自分達こそ正義だと信じて、
幕府を倒さんとする勢力と命を捨てて闘った。
彼等がその時代の「和」を守る為に闘った事を考えると、
彼等も「和」に生きたと言えるだろう。
しかしその一方で、
幕府を倒そうと立ち上がった方々も大勢いた。
日本を外国に侵略させない為、
そして身分のない平等で自由な日本を造る為に、
立ち上がった方々がいたのだ。
吉田松陰や坂本竜馬などである。
幕府を守らんとする勢力が、
「和」に生きたとするならば、
その「和」を一度打ち崩し、
そして新たな秩序を造り出し、
素晴らしい時代を切り開こうと闘った方々は、
当然ながら「和」に生きたのではない。
彼等が生きたもの、
それこそ大きな「和」、
つまり「大和(やまと)」である。
すなわち、「和」というものを何よりも貴み、
小さな「和」を打ち崩して、
「より大きな和」を打ち立てようと、
大調和を求める心、
これこそが日本古来より伝わる「大和の心」であり、
ある時は「大和魂」と呼ばれてきたものなのである。
つまり「大和魂」という言葉は、
軍国主義や愛国心とは一切関係ない。
源氏物語に出てくる「大和魂」という言葉も、
我が子をどの様に育てたら良いのか悩んでいる主人公が、
均整の取れた心を身に付けさせてあげたいとして、
その良き心の事を、
紫式部は「大和魂」という言葉で現している。
また後拾遺和歌集(ごしゅういわかしゅう)
で使われている「大和心」も、
軍国主義や愛国心などとは、
全く違う使われ方をしている。
つまり真実の大和魂、
あるいは本当の大和心というものは、
同時代に生きる他の人々の悲しみを、
己のものとして、
悲しみの少ない世の中に時代を進ませ、
新たな秩序を創造しようとする、
そんな優しく逞しく熱い心である。
こうした心こそ、
かつて「大和の民」と呼ばれた我等の心であり、
青き山々が連なり、
「真秀(まほろば)」とも、
称された美し国の精神なのである。
つまり何が言いたいのかといえば、
梨園の中にも、
角界の中にも、
渡世の中にも、
武道の中にも、
新撰組の中にも、
大いなる和を求める心が無いならば、
そこに真実の大和魂など、
微塵も存在していない、
ということである。
だから海老蔵ごとき小僧が、
西麻布だか、六本木だか知らないが、
そこいらで適当に粋がるのは勝手だが、
可愛らしい奥さんがいるにも関わらず、
あまり調子に乗りすぎて、
羽目を外しすぎると、
まぁあのあたりには、
手の早い荒くれ者たちが多いから、
そりゃあケツに火がつきますよ。
詳しくは知らねぇが、
事件となった西麻布のそのビルは、
私も昔は良く飲みに言ったし、
それにおそらく、
その店のオーナーも、
最近は出歩かないので会わないが、
古くからの付き合いだ。
もしかしたら・・・
まぁ、とにかく人間国宝、
「重要無形文化財保持者」だっけか、
それを目指すのならば、
日本を代表する人間の一人として、
それに恥じぬ人格を身に着けるために、
これを良い授業だと想って、
これからは真面目になるこった。
顔なんて整形すりゃあ直るんだから、
いっそこのこと、
二枚目をもっと二枚目にすりゃあいいじゃない。
顔で商売しているんだろうけれども、
男が傷の一個や二個、
どうってことねぇし、
化粧するんだろ。
歌舞伎でも、映画でもさ。
とまぁ、
あえて、
あえて芸能ニュースに触れてみた。
「兵はキドウなり」っていうように、
あるいは、
「兵は詐をもって立つ」
とも言うように、
私が行っているのは、
日本を護り抜くか、護り抜かないかの戦いであり、
そして生きるか死ぬかの戦いである。
そうした生き死にをかけた戦いの中で、
「卑怯だから」
などとキレイごとのみを述べていた、
そしてもしも戦いに負けて、
全ての人が自由を失い、
命を落とすのならば、
やはり多少の「キドウ」と「詐」は仕方がない。
もちろんそこには、
超えてはならぬ一線はあるが、
芸能ニュースに触れる程度はどうってことない。
あるいは「宋襄(そうじょう)の仁」という言葉がある。
「宋」という国に、
「襄公(じょうこう)」という王がおり、
そしてその王様は、
河のほとりで戦をすることになった。
襄公の側が少ない軍隊であるのに対して、
敵軍は大軍であった。
しかし襄公軍は、
戦地に先にたどり着き、
敵軍を待ち構えて迎え撃つ形となった。
敵軍はまだ河を渡り切っていないので、
襄公軍の軍師は、
「このまま戦ったのでは勝ち目がないので、
河を渡ろうとしている隙をつこう」
と王に述べた。
しかし王は、
「そんな仁に合わないことはできない」
と返答した。
敵軍は河を渡り、
陣形を整え始めたが、
まだ完全には整っていなかったので、
やはり同じように軍師が、
「今こそ敵軍を攻めるチャンスです」
と述べると、
やはり同じように王は、
「そんな卑怯なことはできない」
と述べた。
そして相手が陣を整えて、
真正面から激突すると、
襄公軍は大敗し、
大勢の人々が命を落としたのである。
この「仁」をはき違えた言葉を、
そのまま
「宋襄の仁」という。
かつてイギリスのチャーチル首相が、
「悪魔のナチス・ドイツから国を護(まも)るためには、
スターリンという悪魔とも手を組む」
と述べて、
手を結んだように、
やはり政治や戦の世界には、
「理想」と「現実」というものが、
常に相克しているものであり、
その中での最善の判断が、
常に求められている。
だからこそ、
まぁ日本を護るためには、
私は海老蔵について
朝青龍につても、
あるいは酒井紀子についても、
やむをえず、
時にはブログで語りますよ。
少しでも多くに日本国民に、
「日本最大の国難」に気づいて頂くために。
これが国難の事実を書いたブログのアドレスです。
http://ameblo.jp/masuraonokaze/
ただ私はやっぱり、
日本という国の宝は、
有名、無名を問わず、志士たちだと思うな。