彦根駅に戻りまして、こんどは 徒歩10分ほどで彦根城へと向かいます。



・・・今回はよく歩くツアーです。


彦根城もまた・・・登るんですけど あの傾斜を 皆さんは知らない・・・ショック!


参加者の方の中には 小学生もいるのですが 近江電鉄の中で爆睡(笑)。


電車って ぽこぽこ いい感じに揺れるので眠くなるんですよねぇ。



さて、駅からまっすぐ歩いていくと お城が見えてきます。


彦根城のお堀は 本当に立派で、お堀を45分もクルーズする屋形船もあるくらいです。


ミッション・ナビゲーター のブログ「水のごとく生きる」-CA3K1215.jpg

ミッション・ナビゲーター のブログ「水のごとく生きる」-CA3K1217.jpg


そして、彦根のアイドル、 ひこにゃん にギリギリ会うことができましたラブラブ


ミッション・ナビゲーター のブログ「水のごとく生きる」-CA3K1320.jpg

ミッション・ナビゲーター のブログ「水のごとく生きる」-CA3K1321.jpg


週に3回、土日は 必ず 一日に3回、こうして みんなの前に出てきて

ミッション・ナビゲーター のブログ「水のごとく生きる」-CA3K1318.jpg
いろいろ パフォーマンスをしてくれるんです。


この5分後に、ステージを終えて、お帰りになりました。


彦根藩主2代目のお殿様が 江戸の豪徳寺のあたりを歩いていたとき


猫が こちらへ と招くので、お寺に入ったら、豪雨と雷になってしまい


猫のおかげで、雷に打たれずに助かった・・・と。


それ以来 彦根では招き猫を大切にしているそうで ひこにゃんはまねき猫だそうです。


現代も ひこにゃんは しっかり招き猫として 彦根の 稼ぎ頭ですね。



さて、お城の中に入り 天守閣を 目指して歩きます。


ミッション・ナビゲーター のブログ「水のごとく生きる」-CA3K1219.jpg

ミッション・ナビゲーター のブログ「水のごとく生きる」-CA3K1220.jpg

かなり 多賀大社の周辺で歩いていますから けっこうきつい・・・。


国宝の彦根城。天守閣に入ってきました。


ものすごい急な階段です。


お城は随所に 戦闘用に作られたあとがあります。


鉄砲を撃つための窓があったりしますが


幸いなことに、このお城が戦さに使われたことはなかったそうです。


江戸時代の 代々の彦根藩主も 天守閣に登られることは ほとんどなかったとか。

もっぱら 武器や甲冑をしまっておく 武器庫になっていたそうです。



ミッション・ナビゲーター のブログ「水のごとく生きる」-CA3K12230001.jpg



「近世の城で天守が残っているのは、弘前、松本、犬山、丸岡、彦根、姫路、備中松山、

松江、丸亀、松山、宇和島、高知の12城。


このうち、松本、犬山、彦根、姫路の4城の天守は国宝です。」


ミッション・ナビゲーター のブログ「水のごとく生きる」-CA3K1225.jpg

「彦根城築城は、将軍徳川家康公の命により佐和山城を一掃するため、

慶長9年(1604)より着工されました。

当初は湖畔の磯山を予定していたといわれていますが、直継の代になって

現在の彦根山に決定し、20年の歳月をかけて築城されました。


天守は大津城から、天秤櫓は長浜城から移築。天守は2年足らずで完成しましたが、

表御殿の造営、城郭改造など、城郭の完成は1622年とされています。

この間、井伊直孝は大坂冬の陣で兄直継に代わって出陣し、

その功績によって家督を継ぎ、夏の陣では豊臣方の木村長門守重成と戦い大功をあげ、

井伊直政(常に先鋒を務め、徳川四天王のひとり)に劣らぬ武将と賞賛されました。

直孝は、秀忠、家光、家綱の三代にわたって、将軍の執政となり、

幕府政治確立にも貢献。


これらの功により3回加増され、譜代大名としては例のない30万石となる。


彦根35万石といわれるのは、このほかに幕府領5万石の預かりがあり、

合わせて35万石となります。天守は18万石の頃の完成でした。


彦根城は、明治に解体の危機にみまわれました。しかし、

今も往時の面影が今日によく残っているのは、明治天皇が明治11年10月、

北陸巡幸を終え、彦根を通られたときに、保存するようにと大命を下されたからでした。


一説には、随行した参議大隈重信がその消失を惜しみ、天皇に奉上したとする説。


また一説には、天皇が近江町長沢の福田寺で小休止されたとき、

住持攝専(せっせん)夫人で、天皇の従妹(いとこ)にあたるかね子が

奉上したとも言われています。 」



ミッション・ナビゲーター のブログ「水のごとく生きる」-CA3K1228.jpg

ミッション・ナビゲーター のブログ「水のごとく生きる」-CA3K1231.jpg

楽々園 (らくらくえん)

「槻(けやき)御殿は藩主の下屋敷で、玄宮楽々園の名で国の名勝に指定されています。
四代藩主直興が延宝5(1677)年に造営。大書院、地震の間、雷の間、楽々の間など、

工夫を凝らした部屋が残っています。

楽々園の名は「山を楽しみ水を楽しむ」「民の楽しみを楽しむ」という心からと言われています。

12代藩主直亮が文化年間(1804-1817年)に佐和山や内湖が見える楽々之間を造ってから

槻御殿という正式名より、楽々の名が有名になりました。」


大老・井伊直弼が生まれたのもこちらです。


井伊直弼は彦根藩出身 14男として生まれ、生涯 埋もれた境遇のままだと諦めていたのだとか。


埋木舎と名づけて 勉学にいそしんでいたそうです。

ところが 兄たちは 養子に出されたり 病死したりして 藩主の椅子が回ってきてしまいました。


そして 幕末の危機の際して、江戸幕府の大老の重責を担うことになるのです。

開国を決断し、尊王攘夷派を敵に回してしまいます。


そして 桜田門外の変による暗殺。


人生、どうなるかわかりません・・・。


ミッション・ナビゲーター のブログ「水のごとく生きる」-CA3K1238.jpg


ミッション・ナビゲーター のブログ「水のごとく生きる」-CA3K1237.jpg

玄宮園 (げんきゅうえん)

「城の北東にある大名庭園で、琵琶湖中国の 蒲湘(しょうしょう)八景にちなんで

選ばれた近江八景を模してつくられました。


4代藩主直興により延宝5年(1677年)に造営されました。
毎年9月中「虫の音を聞く会」が催され、大名庭園ならではの趣が味わえます。 」

ミッション・ナビゲーター のブログ「水のごとく生きる」-CA3K1251.jpg

ミッション・ナビゲーター のブログ「水のごとく生きる」-CA3K1249.jpg

下見のときには NHKの「アサイチ!」が取材に来ていました。
ミッション・ナビゲーター のブログ「水のごとく生きる」-CA3K1247.jpg

ミッション・ナビゲーター のブログ「水のごとく生きる」-CA3K1245.jpg

ミッション・ナビゲーター のブログ「水のごとく生きる」-CA3K1242.jpg

今回は残念ながら時間切れで 閉まっていましたが、

時間があったら ぜひ行きたいのが このお茶室。

鳳翔台 (ほうしょうだい)

「玄宮園内の築山に建つ趣のある建物。

かつては、藩主が客人をもてなすための客殿でした。

この鳳翔台から眺める玄宮園の美しさはすばらしく、

庭園を鑑賞しながらの薄茶(お菓子付¥500)の味わいは格別です。(9:00~16:00) 」


ミッション・ナビゲーター のブログ「水のごとく生きる」-CA3K1255.jpg

ミッション・ナビゲーター のブログ「水のごとく生きる」-CA3K1256.jpg

ミッション・ナビゲーター のブログ「水のごとく生きる」-CA3K1254.jpg


ということで、ここから お城を後にしました。


彦根城は見どころも多いですし、次回はぜひ お堀の屋形船に乗りたいです。


ガイドさんもいらっしゃるので詳しく案内していただくと 楽しいと思います。



そして キャッスルロードからちょっと入ったところにある

カフェ 「ELSOL」さんで 最後のティータイムコーヒー


ミッション・ナビゲーター のブログ「水のごとく生きる」

入り口は狭かったのですが、二階へ上がると ひろびろ~音譜


窓からお城が見えるカフェだそうです。


http://r.gnavi.co.jp/6169825/


ビアタイムの方もいらっしゃいました~ビール (笑)


今回もよく歩きましたからねぇーあせる



帰りには 滋賀が誇る名店「たねや」さんによって バームクーヘンをお土産にしましたバウムクーヘン


クラブハリエさんには また来たいです☆


ミッション・ナビゲーター のブログ「水のごとく生きる」

http://taneya.jp/shop/shiga_mihori.html





ということで、今回もご参加いただいた皆さま どうもありがとうございました~!


ミッション・ナビゲーター のブログ「水のごとく生きる」

小学生さんもよく歩きましたね 合格



次回は、


6月30日(日) 奈良 大神神社ツアーです。


夏越しの大祓え 芽の輪くぐりに初参加します~ラブラブ


どうぞお楽しみに!



 お申し込みは →  こちら