しかし まぁ 何やねぇ~


その昔に親から言われたことがあった・・・


「人間という者は、何かの役に立つように出来ていて、ずっと仕事をせずにブラブラとは


生きて行けず、いつかはその事に耐え切れなくなり、自然と仕事をしたくなるものだ。」


なるほど・・・確かに刑罰の中でも「懲役刑」と「禁固刑」というものがある。


基本的には「懲役刑」は強制労働を伴い、禁固刑は強制労働を伴わないという事に


なっているのだが、どうも「禁固刑」の刑務者のほとんどは自ら強制労働ではないのに


刑務作業に志願するようだ。


まぁ、ずっと狭い部屋の中で正座を強要されるよりかは、幾分でもマシという事なのか


どうかは経験がないので、何とも言えないが、何もしないと何かしたくなるのだろうか?




ちょうど家元が48歳~51歳までの約4年間、個人的都合により(自分勝手とも言うが・・・)


鎖国していた時代があった。勿論店にも出ないし、一切の生産活動を停止して消費のみの


生活を送っていた。籠城の拠点は西天満にある家元のアトリエで、くだらない作品作りと


友達を呼んでの毎夜の酒盛り。このアトリエも築80年以上の廃屋を、自ら改装し作品に


仕上げたものだ。現在は美の神に見放されているので、アトリエは友人に管理してもらって


いて、焼酎バーとして営業している。http://tabelog.com/osaka/A2701/A270102/27053581/


その間もいつになったら、働きたくなるのか?ずっと楽しみにしていたのだが、一向に前向き


な労働意欲が湧いてくるどころか、一生このままが好いとすら思っていた。




しかし、そんなお気楽な日々も、現在の堂島浜店を立ち上げるに至って終焉を迎える事と


なる。店舗の立ち上げは、何回やっても実に楽しいもので、堂島浜の店などは1/50の


立体模型を制作し、施工業者に「これと、同じものを造れ。」と指示したものだ。


これで家元の仕事が終われば、好きで楽しいものの連続になるが、実際店舗というものは


完成してからが、本当の仕事になる。これが、めんどくさく厄介で、今でも飲食業という商売は


向いていないと痛感する次第だ。それを思うと当家のスタッフは本当によくやってくれると


感謝している。



そんな中、何を魔が差したのか瓦町に店舗を借りてしまった・・・


借りちゃったものは仕方がないという事で、とりあえず店も出来上がってしまった。


実は、まだまだ家元の気に入るようにはなっていないのだが、2月に借りて5か月間も


引きずっていたものだから、当家のマネジャーに「ええ加減にしてください!」と恫喝され


今月の2日から、お昼の営業だけ始めざるを得なくなってしまった。


「お昼だけ!何考えてるん?あほちゃう!」と友人たちにもボロクソ言われているのだが


夜の営業は、まだまだ熟成中なので、堂島浜で人気のある「海鮮丼」を提供している。



新・家元日記 さもあらじ

ともあれ、客席数が9席の店なので気は楽なのだが、自分でやらかした手前


家元自らが、現場仕事に入っている。


長らく、現場仕事に遠ざかっていた事もあり1週間をこなした時、思った・・・


腰は痛いし、夜中に足はつるし・・・休日がこんなにも嬉しいなんて~



さもあらじ・・・


お近くにお寄りの説は、お越しください。


大阪市中央区瓦町1‐1‐5 (焼き鳥屋の名店「なかお」さんの隣です。)


電話 06-4963-3717



新・家元日記 さもあらじ



おまけ~


親の気も知らずに、のんきなジーコとミーシャ



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