second scene110
すぐと食前酒と、菊菜、雪中柿、鱈子旨煮を小鉢にもった前菜が運ばれてきた。さっそく箸をつけ雪中柿の品のよい甘さに舌鼓をうつ。ふと、盆のわきに置かれている脚付きの冷酒グラスに視線をなげる。細かな文様と大胆なカットをくみあわせた江戸切子だ。つがれている琥珀色の液体はなんだろう。手にとり鼻をちかづける。芳醇な梅の香りがした。
「梅酒だよ。ここの女将の特製でね」
梅酒なら酔うこともないだろう。ひとくち口に含む。まろやかな梅のアロマに全身がほどけていく気がした。
「美味しい……」
北沢が嬉しげに微笑んだ。つられて顔をほころばせる。
北沢がはなつ温雅な雰囲気は高級ワインに似ている。適度な甘みと酸味とわずかな渋み。やわらかな表情の印象だけでは、けっして北沢という人間を語ることはできない。
それから料理が運ばれてきた。北沢は無言で箸をつけている。瞬も黙々と口にはこんだ。時折、北沢が瞬のようすをうかがうようにみてくる。美味しいかときかれ、とても美味しいと答えると北沢は満足したように、また箸を動かしだした。料理をたいらげて残りの梅酒を口にふくむ。とたんに睡魔が襲ってきた。そういえば昨夜は一睡もできなかった。満腹感と梅酒にふくまれるアルコールが抗えない眠りへといざなってきた。
北沢が手洗いに立った。ひとりになると、どうにも耐えられない。座卓に突っ伏すようにして目をとじると、ひんやりとした座卓の感触が火照った頬を冷やしてきた。心地よい開放感だった。
「ん……」
だれかの手が両肩をつかんでいる。ゆっくりと体をたおされ頭のしたに枕のようなものをあてがわれた。おもい瞼をこじあける。北沢が苦笑して顔をのぞきこんでいた。
「すこし眠ったらいいよ」
遠くで声がひびく。起きあがる気にもなれなかった。ふたたび目をとじると、北沢が子供を寝かしつけるような口調で語りかけてきた。
「ねえ、シラノ・ド・ベルジュラックって知ってる?」
「シラノ……はい……」
眠りからひきもどされ、辛うじて相槌をうつ。
「自分の醜い容貌に悩むシラノは、従妹のロクサーヌを愛していた。だけど彼女が恋をしたのは美貌のクリスチャンだった。そして、シラノはクリスチャンのかわりに恋文を書いてロクサーヌにおくった。彼女はその恋文の素晴らしさに感動しクリスチャンを深く愛するようになる。……シラノはクロサーヌとクリスチャンの恋をみることで、あたかも自分が恋をしているような錯覚をおぼえた。つまり代理満足をえようとしたんだ。シラノの場合は一方的に代理満足を得ようとしたから恋には発展しなかったけれど、双方が代理満足を得ようとして近づいたらどうだろう。ね、徳川くん」
思考がうまく働かない。北沢はなにを言おうとしているのだろう。
北沢が耳元で囁くように言葉をついだ。
「つまりね、きみはぼくを篠塚さんだと錯覚し、ぼくはきみに求められているという錯覚をする。これで双方の満足は得られる」
唇にやわらかなものが触れてきた。
あ……。
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