今年17回忌が無事に終わった、親父殿。
おしゃれで人当たりのいい、営業畑ひと筋の仕事人間でした。
もうすぐ父の日なので、今年は手作りのフラワーアレンジを仏前に。
今だったら、280%、モラハラとかDVになってたであろう振る舞いを
つねにパートナー(=私の実母なわけです)にしておった、典型的昭和の男。
もう、ため息しか出ません(苦笑)。
55歳で肺がん(ステージ3のラストくらい)が発見され、闘病期間は
トータル一年半くらいだったかな?
享年57歳。
いやぁ、お金は持ってた!(爆)
なぜなら給料は自分で管理。母には生活費のみ渡していたので。
ほかの人の10倍ぐらいのスピード(当社比)で、人生を駆け抜けていっちゃいましたねぇ~。
時差通勤で、とにかく朝が早かった!
深夜1時くらいの終電で帰ってきても、翌朝6時前に家を出る。
今思えば、そんなに接待ばかりじゃないだろ! とツッコミたくもなりますが。
自分の学生時代のこと。
いつもより早くたたき起こされ、母親から渡された紙袋をのぞきこむと
中身は、クリーニング済みのYシャツとネクタイでした。
要するに、早めに出て会社へ届けよ、という指令。
通勤ラッシュにもまれながらの約1時間半は、めっちゃ長く感じました。
見渡す限りのスーツ姿のおじさんたちをかきわけながら、最寄り駅に到着。
さらに歩いて15分の道のり。
通用口で守衛さんにビビりながら、名前を言って入れてもらうと
親父殿は、誰もいないオフィスの端っこの机で、黙々と書類に目を通しておりました。
紙袋を渡すと、目は書類を見つつ片手を挙げて「おーサンキュウ」。
ふーん、と言う感じでした。
決して今風の愛妻家とかイクメンではなかったけれど、同僚や部下からの信頼は
厚かったようです。
旅行だ~、コンサートだ~と、とにかく友達とのお出かけの多い人、という
印象がとても強かったそのころ。
お葬式は、会社の存続に多大な功績があったということで、会社との合同葬に
していただいたので、母の負担は半減。
なんだかんだあっても、最後に帳尻合わせていくところがスゴイ(笑)。
会社で「オン」。
友達と遊んで「オフ」。
じゃあ、家では??
……そういえば。
けっこうお茶目なところもあって、私が猫を拾ってくると
「俺と猫とどっちが大事なんだ?!」
と、怒りながら、脱いだ靴下を猫にかがせたりしてました。←ヤメテクレ
あるときは、母が仕事だったので、子供3人(=私と弟2人)を連れてファミレスへ。
帰り際に伝票を真顔で末っ子に渡し、「お勘定お願い」といってその場を去ったり。
伝票を託された下の弟は、ほぼ涙目。
私は死ぬほど笑いました。ゴメン弟^^;
ああー、なるほど。
「ニュートラル」。
いちばん楽で、楽しそうな感じかも^^v