これはアカン「鶴橋大虐殺」 | 韓流とは何だったのか

韓流とは何だったのか

한류가 뭐길래?

新大久保でもはや定例化しつつある嫌韓デモだが、
昨日(24日)大阪鶴橋でも同種のデモが行なわれたそうだ。

私は東京在住なので現場は確認していないが、
新大久保のデモよりも殺伐としていたという。


 ●参考:中学生の「鶴橋大虐殺」宣言に喝采を送る自称愛国日本人の絶望ヘイト街宣(2・24)


デモ参加者の女子中学生が鶴橋駅前で
「調子に乗っ取ったら南京大虐殺じゃなくて鶴橋大虐殺を実行しますよ」
と言い放ったそうだ。


(8/9)日韓国交断絶国民大行進 in 鶴橋




その発言をした子は活動家の娘らしいのだが、
自分が政治活動するのはともかく、子どもを巻きこむのは感心しない。


もちろんこの言葉を真に受ける人たちは一人もいないだろう。
これらの団体が武装訓練をしたり、殺傷能力のある武器を持ち歩いたり
している形跡もない。


最近このような嫌韓ネットユーザー系の団体による
デモでの言辞が、どんどん過激な方向にエスカレートしている。
何かタガが外れてしまっているようだ。
タブー破りに伴うはずの緊張感も、リスクを負う覚悟も感じられない。


前掲の togetter のように
「ヘイト・スピーチ」とか「レイシスト」などという
大袈裟な言葉で批判するのもピントがズレた姿勢だと思うのだが、
やはりこれはひどすぎる。



■鶴橋と新大久保の違い

新大久保で同種のデモがあった場合、
もちろん相応の不穏な空気もあるのだが
どこか滑稽さの方が先立っているような気がする。
(同意出来ない人もいるかもしれないが、どこか”シャレ”で済んでいる
ような気がするというか)


おそらくそれはコリアン・タウンとしての新大久保という街が
ハリボテのようなものだからだろう。ハリボテと言って悪ければ
博覧会みたいなものだ。


あるのは文化祭の模擬店のような急ごしらえの店ばかり、
いるのは遠くない将来帰国するニューカマーと、
ノンポリの韓流ファンばかりという 現実逃避色の強い街だ。
反発はあっても限定的なのはそれが原因だろう。


だからその種のデモがあっても、博覧会やテーマパークの
アトラクションのようなものにすぎないのかもしれない。


実際、「国を超えた交流」には本来不愉快さはつきものであって
嫌韓デモはそれをバーチャルに感じることが出来る機会とも言えるのだ。


だから私は(誤解を恐れずに言うが)新大久保の嫌韓デモは
大きな問題ではない、むしろ「ヘイト」「レイシズム」などと
平均的な良識で封鎖しようとする動きの方こそ警戒すべきだと考えている。
(罵倒がよいわけではないが、日本人はもう少し韓国に対する
違和感を表明していいと思う)


しかし新大久保と違って鶴橋は生活の場でもある。
何代も前からそこでコミュニティが成立していて(それ自体を
問題視する人もいるだろうが、それについてはここでは措く) 
そこにアイデンティティを持っている人がいるのだ。


そこでデモをするならもう少し言葉を選んだほうがいい。
やっぱり「大虐殺」はまずいだろう。
現場ではチキンレース状態で無意識に過激さを競うように
なっているのだろうか。


でもこんなこと続けてたら、本当に”シャレ”じゃ済まないことに
なりそうな気もする…。



●「新大久保」や「ヘイトスピーチ」については、こちらもご参照ください
「日本人として恥ずかしい」(3)1.12新大久保デモ考
ヘイトスピーチって何?