話のコレクション

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食べ歩き、旅行、散歩を中心に記事にします。が、それらに行けぬ時は、古今東西の興味深い話を記事にします。

 

今月22日、新潟市と長岡市を旅行した。

この時、私は長岡市の河井継之助記念館へ寄っている。

 

この記念館は、JR長岡駅から10分ぐらい歩くと見つかった。

 

 

河井継之助が、「どういう人か、さっぱりわからない」と言う訪問者が多そうだ。

河井継之助は、日本史の教科書に出てこないから、知らなくても無理はない。

 

河井継之助は、長岡藩の名家老だった人物である。

 

彼は幕末、長岡藩の中級武士の子として生を受けた。

優秀であった為、殿様(牧野忠恭)に引き立てられ、慶応元年(1865年)郡奉行になった。

この後、藩政改革を次々に成功させ、町奉行、奉行、家老とトントン拍子に出世していった。

 

しかし河井継之助の人生は、明治維新を迎えると暗転する。

 

戊辰戦争が始まると、長岡藩は新政府軍(官軍)にも、旧幕府軍にも属さず、武装中立の立場を取ろうとした。

それは、(長岡の民の暮らしを守ろう)という彼の意向が、強く働いたからだった。

だが、長岡藩は中立になる事が出来ず、新政府軍に攻撃される事になった。

 

継之助は、長岡の人々を守る為、当時日本に3門しかなかったガトリング砲を2門を購入し、応戦する。

しかし、新政府軍の攻撃により長岡城は落城した。

 

この後、継之助は、長岡城を奪い返す、という快挙を成し遂げる。

だが、この時、重傷を負う。

会津地方へ落ち延びたが、只見村において、42歳で亡くなった。

 

 

河井継之助の激動の人生に、歴史小説の大家・司馬遼太郎は胸を打たれた。

 

司馬は、河井継之助を主人公にした長編小説「峠」を書いた。

 

この小説は2022年、「峠 最後のサムライ」というタイトルで映画化された。

(この映画で、河井継之助を演じたのは、役所広司)

 

それから、NHK大河ドラマ「花神」では、河井継之助は、重要な登場人物の一人として登場した。

(このドラマで、河井継之助を演じたのは、高橋英樹)

「花神」の原作者も、司馬遼太郎である。

 

 

河井継之助記念館は、河井継之助の生家跡に、作られたという。

入館してみると、展示品は少なく、建物は小さかった。

 

しかし、入館料は200円だから、損な気にはならなかった。

 

展示品のほとんどは、撮影禁止。

 

しかし、継之助の父親が所有した茶釜は、撮影可能であった。

 

 

茶釜の説明を書いたボード。

 

継之助の父・代右衛門は、武士ながら、茶の湯の師範でもあった。

 

長岡藩には、千利休の孫・宗旦の門下である山田宗徧の宗徧流が伝わっていた。

代右衛門は、宗徧流の師範であった。

 

 

河井継之助の手記も、撮影可能。

 

「源義経、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、坂本龍馬、土方歳三といったメジャーな英雄の事は、知り過ぎて、飽きた。隠れた英雄の事が知ってみたい!」

 

なんて人には、この記念はオススメである。

 

河井継之助記念館

住所 新潟県長岡市長町1甲1675-1

●アクセス JR上越新幹線などの長岡駅大手口より徒歩10分