彼女、Mは類い希なるあほであった。
可愛らしい『おバカキャラ』なるものではなく、小僧に近いあほであった。
故下鴨総一郎氏の言葉を借りればあほの血というやつであろうか。
狸に流れるというその血が、Mにも流れているに違いない。
そうでなければこんなにあほであるはずがない。
こと色恋に関しては、Mはそのあほが化けるのが下手な狸のようにポロリとでてしまうため、Mの人生の色恋はまったく悲惨なものであった。
言動と行動が幼稚過ぎて引かれる、非常識過ぎて引かれる、後先考えなさすぎて引かれる。
そして異性からの疎外に繋がるのである。
今日も今日とてそうであった。
彼は引いていた。
Mの見るにたえないあほに。
ああ愛し君よさようなら。
君の中の『恋愛対象』という重箱の中から完全にMは溢れてしまったでしょう。
否、初めから入ってなどいるものか。
皆さんお気づきであろうか。
Mとはなんと私の事である。
悲しいかな私の事である。
ああ!あほよ、
汝を如何すべし。
汝を下さねば色恋すら叶わぬ!
狩野の流れに流されてくれる事を祈りながら締めくくることにする。
なお若干この文が、敬愛する森見登美彦先生風なのは、今日先生の『有頂天家族』を読んだからである。
ご愛嬌である。