時に海をみよ。 | みおボード

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みおさんの生活♪♪

諸君らの研鑽の結果が卒業の時を迎えた。その努力に、本校教職員を代表して心より祝意を述べる。
また今日までの諸君らを支えてくれた多くの人々に、生徒諸君とともに感謝を申し上げる。 とりわけ強く大きく本校の教育を支えてくれた保護者の皆さんに、祝意を申し上げるとともに心からの御礼を申し上げたい。

未来に向かう晴れやかなこの時に、諸君に向かって小さなメッセージを残しておきたい。
このメッセージに2週間前、『時に海を見よ』と題し配布予定の学校便りにも掲載した。その時、私の脳裏に浮かんだ海は 真っ青な大海原であった。

しかし今、私の目に浮かぶのは津波によって荒れ狂い、濁流と化し数多の人命を奪い 憎んでも憎みきれない憎悪と嫌悪の海である。

これから述べることは、あまりに甘く現実と離れた浪漫的まやかしに見えるかもしれない。
私は躊躇した。 しかし私は今、くり広げられる悲惨な現実を前にして どうしても以下のことを述べておきたいと思う。私はこのささやかなメッセージを続けることにした。

諸君らのほとんどは、大学に進学する。大学で学ぶとは 又、大学の場にあって諸君がその時を得るということはいかなることか。
大学に行くことは他の道を行くことと、いかなる相違があるのか。大学での青春とは如何なることなのか。

大学に行くことは学ぶためであるという。 そうか。学ぶことは一生のことである。いかなる状況にあっても学ぶことに終わりはない。

一生涯、辞書を引き続けろ。新たなる知識を常に学べ。知ることに終わりはなく、知識に不動なるものはない。

大学だけが学ぶところではない。 日本では大学進学率は極めて高い水準にあるかもしれない。しかし、地球全体の視野で考えるのならば大学に行くものはまだ少数である。

大学は学ぶために行くと広言することの背後には、学ぶことに特権意識を持つ者の驕りがあると言ってもいい。

多くの友人を得るために大学に行くと云う者がいる。
そうか、友人を得るためなら このまま社会人になることのほうが近道かもしれない。 どの社会にあろうとも良き友人はできる。大学で得る友人が優れたものであるなどといった保証はどこにもない。そんな思い上がりは捨てるべきだ。

楽しむために大学に行くという者がいる。エンジョイするために大学に行くと高言する者がいる。
これほど鼻持ちならない言葉もない。 ふざけるな。今、この現実の前に真摯であれ。

君らを待つ大学での時間とは、いかなる時間なのか。 学ぶことでも友人を得ることでも、楽しむためでもないとしたら、何のために大学に行くのか。誤解を恐れずに、あえて象徴的に云おう。

大学に行くとは「海を見る自由」を得るためなのではないか。 言葉を変えるならば「立ち止まる自由」を得るためではないかと思う。現実を直視する自由だと言い換えてもいい。

中学高校時代、君らに時間を制御する自由はなかった。 遅刻、欠席は学校という名の下で管理された。又、それは保護者の下で管理されていた。 諸君らは管理されていたのだ。

大学を出て就職したとしても、その構図は変わりない。無断欠席など会社で許されるはずがない。 高校時代も 又、会社に勤めても時間を管理するのは自分ではなく他者なのだ。
それは家庭を持っても変わらない。愛する人を持ってもそれは変わらない。 愛する人は、愛している人の時間を管理する。

大学という青春の時間は、時間を自分が管理できる煌めきの時なのだ。

池袋行きの電車に乗ったとしよう。 諸君の脳裏に波の音が聞こえた時、君は途中下車して海に行けるのだ。

高校時代、そんなことは許されていない。働いても、そんなことはできない。家庭を持ってもそんなことはできない。

「今日 ひとりで海を見てきたよ。」
そんなことを私は妻や子供の前で言えない。 大学での友人ならば黙って頷いてくれるに違いない。

悲惨な現実を前にしても云おう。波の音は、さざ波のような調べではないかもしれない。荒れ狂う鉛色の波の音かもしれない。

時に孤独を直視せよ。海原の前にひとり立て。 自分の夢が何であるか、海に向かって問え。
青春とは孤独を直視することなのだ。直視の自由を得ることなのだ。

大学に行くという豊潤さを、自由の時に変えるのだ。 自己が管理する時間をダイナミックに手中におさめよ。流れに任せて、時間の空費にうつつを抜かすな。

いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。 いかに悲しみの波の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。

海を見つめ、大海に出よ。嵐にたけり、狂っていても海に出よ。
真っ正直に生きよ。くそ真面目な男になれ。一途な男になれ。貧しさを恐れるな。

男たちよ。船出の時が来たのだ。思い出に沈殿するな、未来に向かえ。

別れのカウントダウンが始まった。 忘れようとしても忘れえぬであろう大震災の時の、この卒業の時を忘れるな。鎮魂の黒き喪章を胸に、今は真っ白な帆を上げる時なのだ。

愛される存在から、愛する存在に変われ。愛に受け身はない。
(略)

一言付言する。 歴史上かつてない惨状が、今も日本列島の多くの地域に存在する。
あまりに痛ましい状況である。祝意を避けるべきではないかという意見もあろう。 だが私は、今この時だからこそ諸君を未来に送り出したいとも思う。

惨状を目の当たりにして私は思う。 自然とはなにか。自然との共存とはなにか。文明の進歩とはなにか。原子力発電所の事故には、化学の進歩とはなにかを痛烈に思う。

原子力発電所の危険が叫ばれた時、私がいかなる行動をしたか。悔恨の思いも浮かぶ。
救援隊も続々、被災地に行っている。いち早く中国・韓国の隣人がやってきた。

アメリカ軍は三陸沖に空母を派遣し、ヘリポートの基地を提供し ロシアは天然ガスの供給を提示した。 窮状を抱えたニュージーランドからも支援が来た。世界の各国から多くの救援が来ている。

地球人とはなにか。地球上に、ともに生きるということはなにか。そのことを考える。

泥の海から救い出された赤子を抱き、立ち尽くす母の姿があった。行方不明の母を呼び、泣き叫ぶ少女の姿がテレビに映る。 家族のために生きようとしたと語る父の姿もテレビにあった。

今この時こそ、親子の絆とはなにか。命とはなにかを直視して問うべきなのだ。

今ここで高校を卒業できることの重みを深く、共に考えよう。そして被災地にあって、命そのものに対峙して生きることに懸命の力を振り絞る友人たちのために声を上げよう。 共に共に、今ここに私たちがいることを。

被災された多くの方々に心からの哀悼の意を表すとともに、この悲しみを胸に我々は新たなる旅立ちを誓っていきたい。

巣立ちゆく立教の若き健児よ。日本復興の先兵となれ。

被災地の人々への援助をお願いしたい。もとよりささやかな一助足らんとするものであるが、悲しみを希望に変える今日という日を忘れぬためである。 卒業生一同として被災地に送らせていただきたい。

…梅花 春 雨に涙す。2011年弥生15日
立教新座中学・高等学校 校長 渡辺憲司