小野田寛郎講演録 『人は一人では生きられない』 | みおボード

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皆さん、こんにちは。いま、紹介していただきました小野田寛郎です。
今日の講演テーマは「人は一人では生きられない」ですが、そのようなことは耳にタコができるぐらい 皆さんは聞かされていますね。
なにか悪いことをして叱られる時には、よくこの言葉を言われます。

だけれど、皆さんはあまりに頻繁に言われるので、よく考えもせず「人は一人では生きられないらしい」くらいにしか考えていないのではないでしょうか。 今日は、それについて踏み込んで話をしたいと思います。

私は普通の兵隊ではなしに、情報の教育を受けた、いわゆるスパイ教育を受けた兵隊でした。
ルバング島に行き、「仲間が戦死したとしても、後方攪乱などの仕事をしろ」、そう命じられて島に残りました。

ところが、それから8ヵ月後に戦争が終わってしまいました。日本は劣勢で、命令系統がしっかりしていなかった。
したがって、「戦争は終わったから戦闘をやめなさい」という命令が私たちまで到達しなかったのです。

よく人から「本当に30年間も 戦争が終わったことに気が付かなかったのか」と言われるのですが、ルバング島にはアメリカの軍事基地があり、
終戦後も朝鮮戦争、ベトナム戦争と戦争が続いていたため、島周辺にはアメリカの戦闘機、軍艦がウヨウヨしていました。

アメリカが戦争を続けている、ならば日本の仲間は戦っているのだろう、と思い続けていたのです。

ルバング島の30年間では、次から次へと仲間を失いました。はじめは40人の仲間がいましたが、最後は一人になって1年半。
その頃、ようやく私に命令が届いていないことがわかり、戦争を中止すべしと命令をもらい、投降しました。

<針の製作に2日半>
島での食糧はバナナや放牧されている牛です。牛は銃で撃って殺し、7 8時間かけて山奥まで運び、徹夜で火を燃して、それを乾燥させます。水分を抜き、保存のきくようにするのです。

スモークが完了するまでの間の1週間、毎日肉ばかり食べていました。 スモークが終わると、必要な肉だけを持って残りは隠し、別の場所に移動します。

なぜ移動するかというと、敵に自分たちの居場所を掴ませないためです。 常に移動するので、雨が降ると着ているものが濡れます。
しかし、着替えなんて持っていませんから、乾くまで濡れた服をそのまま着ていなくてはいけない、それが続くと服は腐ってきます。

最初の3、4年は継ぎ布を使ったりして凌いでいましたが、そのうち限界が来る。そうなると住民から奪うしかありません。

威嚇射撃をして住民が逃げた隙に、小屋から米軍払い下げの軍装品(米軍の天幕、軍靴、毛布など)を奪取しました。それらを改造して被覆を自作しました。

胸ポケットに裁縫道具を入れていましたが、雨水や手の塩で針は錆び、5年も経つと全部、折れてしまった。
針がなければ改造ができないので、まず針を作ることから始めなければなりません。

住民から奪った針は絹糸用の細いものしかなく、これでは丈夫な分厚い布を縫うことができない。
拾った軍用の鋼線を焼き直して針を作るのですが、これがなかなか難しい。
結局、男ふたりがかりで、試作品を作るのに2日半、かかりました。

その時、初めて「私たち文明人は 一人では生きられないのだな」とわかりました。野蛮人であれば裸でいても平気でしょうが、文明人はそうはいかない。
自分たちで一から服を作ることはできないから、私たちは住民から奪取した。
針だって、製鉄されたものを加工しただけで、砂鉄から作ったわけではありません。

衣服も鉄も他人が作ったもので、それを私たちが ぶんどって改良、加工したにすぎない。
そう考えると、私たちは一人では生きられないことがよくわかる。

このなかに、一人で生きていく自信のある人はいますか。 自分以外、誰もいない。電気もガスも使えない。
毎日、必要な火は自分で起こすことになります。

<米国に弱体化された日本>
もし病気やケガをして、食糧を探しに歩けなくなったとしたらどうしますか。

人間は3日間、水分を取らないと死んでしまいます。災害などで救援隊が行方不明者を捜索しますが、3日で捜索を打ち切るのはそのためです。

たまたま雨が降り、水が飲める状況にあったとしても、食糧がなければ2週間で死んでしまいます。
自分一人だけで、病気やケガをして15日以上経っても治らなければ、終わりです。

だからこそ、私たちには仲間がいます。
私の仲間が、敵に足を撃ち抜かれて3ヵ月半、動けなくなったことがありました。動けるようになる間、他の仲間が水を運んだり、おぶって便所まで連れて行ったりと助けがあって、ケガをした仲間は再起できたのです。

もともと、人間は集団で生活してきました。初めから、一人で生きられないことをわかっていたのです。
集団での長い歴史のなかで、文明人となった私たちは いまさら、一人では生きられないのです。

いつ病気になるか、あるいはいつ災害に遭うかわからない。この先、健康でいられる保証なんてどこにもないのです。

「人は一人で生きられないらしい」くらいの認識で、皆さん、生活していると思いますが、
そうではなしに、私の経験からいって“絶対に”人は一人で生きていくことはできません。

ところが戦後、アメリカに占領されて日本人は個人の権利ということを やかましく刷り込まれました。
それによって日本人は利己主義になり、いまのような弱い国に成り下がったのです。

なにかにつけて「俺には権利がある」と言いますが、権利を主張するのであれば、そこには責任が存在します。
自分の責任を全うせずに、自由などと言う資格はありません。

利己主義者は集団の力の必要性など、ほとんど考えていません。
集団なんて戦争する 悪の存在だと考えているのでしょう。

<日本人もそこまで腐ったか>
ところが、そういう利己主義者に限って、困ると国や政府に助けを求める。たしかに国や政府などの大きな集団があれば、困った時に助けてもらえる。

しかし一方で、他人が困っている時には 力を合わせて助けなければならない。
集団の本質はそこにあるのです。

利己主義者は、災害に遭って家が壊されても、全部 自分一人で建て直さなくてはいけない。本来は誰にも助けてもらえないはずです。

ところが、苦しくなると人に助けてもらおうとする。
東北の瓦礫は、放射能が怖いと言ってどこも受け入れず、1年経ってもあのザマです。
日本人もそこまで腐ったか。口では絆だと言いながら、瓦礫でさえ引き受けて燃やそうとしない。本当に情けない。

私は、戦争に負けたから こんな日本になってしまったのだろうと思います。戦後、アメリカが日本に行った「日本弱体化計画」の効果と言えるでしょう。
ここでもう一度、「人は一人では生きられない」ことをよく考えなくてはいけない。

もうひとつ、生きるうえで大切なことは「健康」です。健康でなければ、真っ当な判断はできません。
こんな経験をしたことがあります。 右へ進むか、左へ進むかで仲間と揉めたことがありました。

私は「こっちが安全だから行こう」と言いましたが、連日の睡眠不足や空腹で判断力の鈍ってる仲間は、どちらに進んでも敵が待ち構えているのではないかと疑心暗鬼になり
「隊長は敵が待ち構えている所へ 俺たちを連れて行くのか! 生かしておけん!」と銃を構えた。

今まで力を合わせて助け合ってきた仲間にさえ、どちらに進むか意見が合わないだけで「お前は敵だ」と誤った判断をしてしまう。
どれだけ体調が 人の判断力を左右するかわかります。

<早く死んだほうが楽>
島に渡って15年が経った頃、山奥の谷にまだ 足を踏み入れたことのないことに気が付き、参考のために行ってみようと、3日分の食糧を持って向かいました。

到着してから周りの地形を調べていたら、一体の頭蓋骨を見つけました。
15年前に上陸したアメリカ軍に追い詰められて亡くなった、日本兵の遺骨に間違いありません。きっと仲間もいたでしょうが、体力もなく、彼を埋めてやることもできなかったのでしょう。

かわいそうにと言いながら、私たちは穴を掘って頭蓋骨を埋め、拝みました。

その日の寝床を探すのにまた移動していた時、仲間の一人が突然、笑いながら言いました。
「隊長、早く死んだ奴のほうが楽でしたね」

私もそう思いました。15年間、毎日 泥の上に寝て、毎日 同じものを食べる。そんなギリギリの生活をあと何年、続ければいいのかもわからない。
そんな生活、60歳までが限界でしょう。結局、同じように死ぬなら 早く死んだほうが楽だと思ったのです。

私は、肉体的な限界が来たら、敵の前で残っている銃弾をすべて撃ち切り、最期を遂げようと覚悟していましたが、仲間の言葉を聞いて弱気になってしまった。

私が「まだ、弾が残っている(戦える)しなぁ」と答えると、仲間は、
「隊長、やってみないとわからないでしょ。まだ元気ですしね」

その言葉をかけられた時には、涙が出るほど嬉しかったのを覚えています。
「やってみないとわからない」これこそ、人生の真理だと思います。

人生、なんでも自分の思うようにできるのであれば、なにも苦労はありません。考えたとおりにならないから悩むのです。

頭で考えただけで「もうダメだ、自殺しよう」なんて、そんな簡単な人間では仕方がない。
何事もやってみなければわからない。

健康で元気があるなら、失敗しても またやり直せばいいのです。
頭で考えただけで諦めてしまう人間は、結局 なにもできない。そういうしぶとさがなければ人間は生きていけません。

アメリカの作家、レイモンド・チャンドラーの『プレイバック』という小説にこんな言葉があります。

「強くなければ生きられない。 優しくなければ生きる資格がない。」

優しくて人を助ける能力のある人が手を取り合っているから、社会は成り立ちます。
そこにぶら下がっているだけの人間は、社会で生きていく資格がないのです。

優しくするためには強くなくてはいけない。お金がなくて困っている人を助けたければ、まず自分がお金を持っていなくては どうしようもありません。

私の話をまとめると、人生で大事なことは「強くあること」「健康であること」そして「やってみなくてはわからない」

君たちの先は長い。 十分 体に気をつけて、頑張ってください。
(WiLL最新号)