藤原正彦 「若い君への年賀状」  (引用) | みおボード

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<してはならないこと>


新年おめでとう。君にとって、日本そして世界にとって 今年が昨年より 少しでもよい年になるよう祈っております。 といっても、少しでもよい年にするのは実は大変なことです。

君の生まれたころに比べ、わが国の治安は比較にならないほど悪くなっています。世界で飛び抜けてよかった治安が、ここ10年ほどで一気に崩されてしまいました。


道徳心の方も大分低下しました。 君の生まれたころ、援助交際も電車内での化粧もありませんでした。

他人の迷惑にならないことなら何をしてもよい、などと考える人はいませんでした。

道徳心の低下は若者だけではありません。 金融がらみで、法律に触れないことなら何をしてもよい

という大人が多くなりました。 

人の心は金で買える、と公言するような人間すら出て、新世代の旗手として喝采を浴びました。 


法律には「嘘をついてはいけません」 「卑怯なことをしてはいけません」 「年寄りや体の不自由な人を いたわりなさい」 「目上の人にきちんと挨拶しなさい」 などと書いてありません。

「人ごみで、せきやクシャミをする時は 口と鼻を覆いなさい」とも 「満員電車で脚を組んだり 足を投げ出してはいけません」 もありません。

すべて道徳なのです。 人間のあらゆる行動を 法律のみで規制することは 原理的に不可能です。


<心情で奮い立つ民族>


法律とは網の目のようなもので、どんなに網目を細かくしても必ず隙間があります。 だから道徳があるのです

六法全書が厚く 弁護士の多い国は恥ずべき国家であり、法律は最小限で、人々が道徳や倫理により自らの行動を 自己規制する国が高尚な国なのです。 我が国はもともと、そのような国だったのです。


君が生まれる前も学校でのいじめはありました。 昔も今もこれからも いじめたがる者と いじめられやすい者はいるのです。 世界中どこも同じです。 しかたのないことです。

でも君の生まれたころ、いじめによる自殺はほとんどありませんでした。 生命の尊さを皆が わきまえていたからではありません。 戦前、生命など吹けば飛ぶようなものでしたが いじめで自殺する子は皆無でした。


いじめがあっても自殺に追いこむまでには発展しなかったのです。 卑怯を憎む心があったからです。

大勢で1人をいじめたり、6年生が1年生を殴ったり 男の子が女の子に手を上げる、などということは

たとえあっても 怒りにかられた一過性のものでした。 

ねちねち続ける者に対しては必ず 「もう それ位でいいじゃないか」 の声が上がったからです。


君の生まれたころ、リストラに脅かされながら働くような人は ほとんどいませんでした。

会社への忠誠心と、それに引き換えに終身雇用というものがあったからです。 不安なく穏やかな心で皆が頑張り 繁栄を築いていたから、

それに嫉妬した世界から 「働き蜂」とか「ワーカホリック」とか言われ続けていたのです。 

日本人は忠誠心や帰属意識、恩義などの心情で奮い立つ民族です。

ここ10年余り、市場原理とかで このような日本人の特性を忘れ 株主中心主義とか成果主義など

論理一本やりの改革がなされてきましたから 経済回復さえ ままならないのです。


<テレビ消し読書しよう>


なぜこのように何もかもうまくいかなくなったのでしょうか。 日本人が祖国への誇りや自信を失ったからです

それらを失うと、自分たちの誇るべき特性や伝統を忘れ 他国のものを気軽にまねてしまうのです。

君は学校で 戦前は侵略ばかりしていた恥ずかしい国だった 江戸時代は封建制の下で 人々は抑圧されたから もっと恥ずかしい国  その前は、もっともっと と習ってきましたね。

誤りです。 これを60年も続けてきましたから、今では祖国を恥じることが 知的態度ということになりました。


無論、歴史に恥ずべき部分があるのは どの人間もどの国も同じです。 しかしそんな部分ばかりを思い出し

うなだれていては、未来をひらく力は湧いてきません。 そんな負け犬に魅力を感ずる人もいないでしょう。


100年世界一の経済繁栄を続けても、祖国への真の誇りや自信は生まれてきません。

テレビを消して読書に向かうことです。 日本の生んだ物語、名作 詩歌などに触れ 独自の文化や芸術に接することです。 人類の栄光といってよい 上質な文化を生んできた先人や国に対して、誇りと敬意が湧いてくるはずです。

君たちの父母や祖父母の果たせなかった、珠玉のような国家の再生は、君たちの双肩にかかっているのです


                                                 2007年1月7日 産経新聞