2022年12月
パパママみおゆき、みんな生きています。

パパは最後の診察から5年が経過しました。告知を受けてからは11年です。
今では年に一度の人間ドックを受ける程度ですが、特に体調面に問題はありません。

やりたいことをやって死にたい。悔いのない人生を歩む。

常に私たちが思っていることです。

当時、35歳のパパと32歳の私は、未来を見ることができませんでした。
でも少しずつ私たちにも未来があると思えるようになりました。

現在45歳のパパと42歳の私たちは、来春歯科医院を開業することになりました。

7000万円近い借金をしての開業です。
再発したらどうするの?と私は怯えていましたが、
パパは「もし再発したり、新たながんに罹っていると分かったら、
きっと開業しといて良かった。夢に挑戦しておいて良かったと思う。もし再発して仕事ができない状態なら売ればいい。そのくらい悪かったら死ぬだろう。その時は生命保険もあるから迷惑はかけない。」と言いました。

後悔しない人生を歩むには、夢だった開業がどうしても必要だったようです。

私は今でも心配ですが、仕方ない、私が愛した人がこの人でした😅

一緒に夢を実現しようと思います。

このブログを誰が見てくれているでしょうか。

その見てくれた方がもし癌で精神的に苦しまれているのなら、

ステージ4のがんになっても生きている人がここにいる!

そのことを伝えたいと思います。

夢が実現したらまたご報告します😊

パパが、がんの告知を受けた時、私たち夫婦には2つの目標がありました。


1つ目は、次女の誕生

2つ目は、長女の小学校入学


遠い未来の目標ではなく、現実的な目の前の目標に向かって、治療を頑張りました。でも、あの頃は、それが目の前とは思えず、そこまで生きられるか、本当に遠いところにある目標でした。


昨日、長女が小学校を卒業しました。

あの頃、長女の卒業を家族で迎えることができるとは思っていませんでした。

幸い、長女の小学校在籍中、パパは、がんの再発もなく、元気に過ごすことができました。

このまま、長女の結婚式まで穏やかに過ごしたいなぁと思いながら、長女の姿を見つめていました。


長女には、パパの闘病で、本当にたくさんの我慢をさせてしまい、申し訳なく思うことが度々ありました。病気がなければ、こんな山奥に来ることはなく、中学の進路も違っていたでしょう。でも娘の卒業文集には、今住んでいる町に来たからこそ、家族の健康と幸せがあって、もう、ごめんねと思わないでほしい、とても楽しい小学校生活だったと書いてありました。


中学も長女の希望を尊重し、このまま田舎暮らしを続けていこうと思います。長女が中学生活を思いっきり楽しめるように、これからも家族の健康を一番に考えていこうと思います。

最後の投稿が2018年5月。
あれ以来、アメバを開いていませんでした。
前回のブログの最後には
the end
と綴っていましたし。
私の中では闘病日記は終わりました。

でも、今日なんとなくアメバを開いていました。なぜだろ。。。
アクセス数は0。
誰も見ていませんね笑。


12月というこの時期は忘れたくても、、、
どうしてもあの日、ガンの告知をされた日、いっぱい泣いた日、目の前に突然暗く長いトンネルができた日、辛かったことを思い出してしまいます。

あれから7年。
主人は再発もなく、家族4人で平穏な日々を過ごしています。

今もあの時、家族で決断してやってきた山の中に住んでいます。
ここの水が合ったのでしょうね、7年前にはステージ4の大腸がんを患った人だとは思えないくらい元気にしています。

時折、私自身の人生に後悔することもあります。
なんでこんな山の中に来たんだろ、もっと仕事がしたかったな、パパが病気にさえならなかったら私の人生は違っていたはず、、、とまで思うことも。

幸せとは怖いものです。
あの頃は生きることさえも奇跡的だったのに、それが満たされたら、こんな醜い気持ちがでてくるんです。

でも いろんなことを思いますが、最後はあの日のことを思い出し、今のこの生活に感謝します。

そんな日々を繰り返しながら過ごしています。





もしかしたら  もしかして、
大腸がんステージ4の患者さんやそのご家族がこのブログに辿り着かれているかもしれません。

私の主人は、35歳で大腸がんステージ4肝臓転移と告知され、一時は絶望的でした。
それでも多くの幸運に恵まれて、今は再発なく42歳になりました。
長女は11歳、次女は6歳。
次女は来春一年生になります。
ガンの告知と同時に、次女の妊娠がわかりました。
まさか次女のランドセル姿まで見ることができるなんてあの頃は考えてもいませんでした。

家族4人で元気にしています。

だから このブログに辿り着かれた闘病中の方、
大丈夫です。
たくさん辛いことがありますが、大腸がんステージ4でも生きて、元の生活を取り戻す希望はあります。
だから前向きに頑張ってください。

このメッセージを送ることだけが、私たち家族が  がん患者になった唯一の意味だと思っています。
今日は主人の検査日でした。
11月の検査で問題はなかったのですが、
きっちり5年過ぎた状態を見ておきたかったので、先生に無理をいって今回の検査をしていただきました。

一応、今日で最後になるはず!ですが、
いつまで経っても慣れないですね、
検査の1週間ぐらい前から始まり結果を聞くまで続くあの憂鬱感や緊張感。。。
本当に嫌な時間です。

今日は主人、私、次女の3人で病院に行きました。
私は約4年ぶりに付き添いました。
CTや診察を待っている間、5年前のあの日がフラッシュバックされてきて涙が止まらなくなりました。
あの頃の私には、今の自分の姿を想像できていなかったはずです。
5年生存率10数パーセントと言われたあの頃の私たちに5年後は100年先のように思えていたのですから。


診察室に入り、先生から、

5年半何も起きませんでした。これで卒業です。

と言われました。

私は

先生のお陰です。本当にありがとうございました。

とお礼を言いました。

4歳の次女は恥ずかしくて私の後ろに隠れながらも

パパをたすけてくれてありがとうございました。

と言いました。

主人は

今、楽しく生きています。本当にありがとうございました。

と言いました。

そしたら先生が

5年前にも言ったでしょ、こんなふうになることもあるって

と笑われていました。

確かに思い起こせば、
こんなふうになることもある、ただし何人かの方ですが。
と言われていました。


そして最後に先生が、

また何かあれば来てくださいね

と言われたので、

私は

もう先生にお会いしたくありませんから笑!

と言って診察室を出ました。




主治医の先生には本当に感謝しています。
ステージ4だった主人が今日まで再発なく元気に過ごせたことは、前にも書きましたが全て運が良かったからです。
その最初の運は主治医の先生にお会いできたことだと思います。そのおかげで手術が成功しました。そしてそこから全てが運良く進んでいき、今日を迎えることができました。

私たち家族は一生分の運を使い果たしたかもしれません。でもいいんです、命さえあれば、あとは自分たちが何とかする人生で充分幸せなんですから。もう運がなくても幸せに生きていく自信があります!!

がんになって、良いことなんて一つもありませんでした。
でも今日、私たちはがんで苦しんでいる方たちの「希望」になれたのではないかと思います。だとすれば本当に良かったと思います。

5年前、がんの告知を受けた時、インターネットで検索しては、絶望のような情報ばかりに目の前が真っ暗になりました。
その頃の私たちと同じような方が1人でも私のブログに引っかかってくださり、希望を持っていただけるなら、私たちは本当に幸せです。

それだけが、私たちががん患者と患者家族になった使命だったのかもしれません。

ステージ4のがんでも5年間再発なく元気に過ごせています。
私たちも絶望をあじわい、たくさん涙を流し、苦しみました。それでも真っ暗な世界に少しずつ光が差し込み、明るく輝く世界に取り戻していきました。だからみなさんも諦めずに頑張ってください。みなさんにも明るく輝いた世界が戻ってくるようお祈りしています。


そして最後に5年半の闘病を乗り越えた主人とそれを支えた自分自身に、拍手を贈りたいと思います。

The end


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病院からの帰り道にて

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今年は、お雛様を実家に取りに帰る時間がなく、
なんだか寂しい桃の節句になるところでしたが、

次女が保育所で作ってお雛様を持って帰ってきてくれました!!

パパが大腸がんだとわかった前日に、
私のお腹の中にいるとわかった次女。

もう4歳、春から年中さんです。
こんなに上手にお雛様を作れるようになりました!!

生まれる頃にはパパはいないかも

と思ったこともありましたが、パパとの生活も4年が経ちました。

娘たちの健やかな成長が何よりも幸せなことです。
私たち夫婦は、比較的会話が多い方だと思います。
でも主人がどんなサイトをみているかなどは知りません。
主人も私がブログを書いていることも知らないはずです。

そんな私たちは、がんに関する新しい情報が入ると共有するというか、食卓の話題になることが多くあります。

何年か前のことでした。
主人も私も同時に同じ情報を得ていることに気がつきました。
「新しい薬がでるんだって」
「こんな臨床研究が進んでいるんだって」
「セミナーがあるって」



2人でハッとしました!

もしかして、はるもちさんのブログを見てるでしょ?!


私たち夫婦は、共にはるもちさんのファンだったようです。


今年に入ってからは、毎日のように 

はるもちさんが更新してないね。。。

という会話が。

これまでのはるもちさんのマメな更新を考えると、体調が悪くなられているのではないかと心配でなりませんでした。





私が初めてメッセージのやり取りをしたブロガーさんが はるもちさんでした。
一度もお会いしたことはありませんが、はるもちさんの知性を感じさせるブログからは、生きる力を頂きました。

非常に残念でなりません。
ご冥福をお祈りいたします。


最近ある方のブログを拝見していて、
一つ思い出したことがあります。


5年前、主人が大腸がん+肝臓転移とわかった時、
①手術をして抗がん剤をする
②抗がん剤をして手術をする
この2つには(当時)どちらが有効かはっきりしていないと説明を受けました。
※手術可能な場合

そのとき主治医からどちらがいいですか?
と聞かれましたが、
私たちもどちらがいいかわからず、
今のところ先生が有効だと思う方はどちらですか?と尋ねました。

先生も正直わからない と答えられました。
そして続けて、今その臨床研究をしているので、良かったらその研究に協力してもらいたい、その場合はこちらが無作為にどちらでスタートするか決めます、と言われました。

当時、主人も大学病院の人間だったので、
大学病院での研究の必要性は重々承知していましたし、研究に協力して将来の医療に貢献できるのならそれはそれで幸せなことだと言いました。

ということで、どちらを先に行うかは無作為に決めてもらいました。

結果、
①手術をして抗がん剤をする になりました。

今となれば私たちにとってはこの選択が良かったと思っています。早く手術をしてとりあえず目に見える癌がなくなったことは気持ちが軽くなりました。そして、抗がん剤を先にしている間に効果がなく癌が大きくなったり増えたりして手術不可能になっていたのではないか、と思ったり。

最近、抗がん剤を先にしていた方のブログを読んでそのように感じています。
注意、あくまでも素人の所見ですよ!!

あれから5年、論文が発表になったのか探してみましたが、今のところ見つかりません。
今度の受診時に先生に聞いてみようと思います。



そして、こちらは昨日から再び大雪です。
昨日は道路がツルツルでスケートリンクのようで、玉突き事故に巻き込まれてしまいました。
雪国、楽しいことばかりじゃないことを痛感しました。



先日、実家の地域で、とんどがありました。

とんどのお餅を食べると1年間健康に過ごせるんですよね??

パパが病気をしてからは毎年必ずとんどのお餅を食べさせています。
パパ、お餅があまり好きじゃないんですけど、
食べないと私が怒るので、渋々食べている感じです。

今年も家族が健康で過ごせるように切に願います。

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病気にならなければ縁のなかった田舎暮らし。
なかなか楽しいです。

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