私たちが安倍応援団になったわけ(1)『正論3月号』 | 打倒安倍を叫ぶ紳士淑女+老人達を微笑ましく見守ろう♪♪

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金美齢(評論家)
長谷川三千子(埼玉大学名誉教授)

<きっかけは『正論』の企画だった>
——安倍さんが自民党総裁に返り咲く目のなかった時期から、お二人は日本の総理大臣は安倍さんしかいないと、安倍応援団に名乗りをあげられました。そのあたりの経緯からお話しいただけますか。
(金)… まさに勝手連でしたね。安倍さんが政権を担当した1年は、安倍さん自身がちょっと急ぎすぎたうえ、悪意を持ったメディアに翻弄されたという印象です。それがストレスとなって持病を悪化させてしまった。 でも日本を再生させるには「戦後レジームからの脱却」以外に道はないという安倍さんの主張はまさに正論であり、短い期間で教育基本法の改正、憲法改正のための国民投票法の制定、防衛庁の省への昇格を成し遂げました。
諸々の負の条件が重なって退陣してしまいましたが、安倍さん以外に日本を再生できる政治家は見当たりません。私は人を見る目には自信があるんです。

(長谷川)… 金さんのお話を伺うと、私のほうはつくづく人を見る目がないなという感じですね。確かに第1次安倍政権ができた時に、いい政権ができたと思いました。でも、安倍さんしかないという思いは、当時の私には無かった気がします。 どうしてかと思って振り返ってみると、安倍さんの書かれた『美しい国へ』(文春新書)が原因なんです。
正直に言うと、私はそんなにピンと来なかったんですよ。ありきたりの話で、この程度のものを書く人物は大したことはないなあ という印象でした。 今にして思うと、政治家の本というのは政治家自身が一字一句書くのではなく、話したことを編集者がまとめる場合が多いんですよね。
ですから政治家の場合、本でその人物を評価しようとすると誤ってしまうことがある。私もその間違いを犯してしまった。
(金)… なるほどね。それで、『正論』の編集長を前にしているから言うわけではありませんが、安倍さん復活のきっかけをつくったのは『正論』の「これが日本再生の救国内閣だ!」というアンケート特集だったんですよ。
2011年4月号ですね。この企画は発売直後に東日本大震災が起こったために、それほど話題になりませんでしたが、このアンケートで安倍さんに票を投じた人達を 三宅久之さんが全日空ホテルに集めたんです。全員ではありませんが、かなり集まりました。
(長谷川)… それが安倍応援団の始まりだったわけですね。
(金)… そうです。名付けて「安倍プロジェクト」。そこで安倍さんを総理大臣にするためには何をすべきか議論を始めた。
その中で「もう一度首相になったらどういうことをやりたいのか」という本を安倍さんは書くべきだと言う人がいました。 私は反対しました。二番煎じで誰も読んでくれない。いま必要なのは、ノンフィクションライターに安倍政権の1年をドラマチックに検証をしてもらうことだって。
(長谷川)… それは正論ですね。

(金)… すると、三宅さんが「誰に書いてもらう?」と言ってくれた。私は門田隆将さんの名を挙げましたが、門田さんは忙しくてだめだろうということで、このアイデアは立ち消えになりかけた。ところが私達の与り知らぬところで、私が理想とする本が刊行されたわけ。
それが小川榮太郎さんの『約束の日 安倍晋三試論』(幻冬舎)です。
(長谷川)… そんな動きがあったことなどつゆ知らず、小川さんは書いてしまった(笑)
<編集部注…小川榮太郎氏は埼玉大学大学院で学び、指導教官は長谷川三千子教授だった>
(金)… そうなの。だけど世の中が動く時というのは、こういうことなんだよね。同じことを考え行動する人が必ず出てくる。

<1年の実績を知り、安倍さんのすごさを認識>
(金)… 長谷川さんは、安倍さんと初めて会ったのはいつ頃ですか。
(長谷川)… 安倍さんがまだ自民党の青年局長でいらした頃です。勉強会を衛藤晟一さんと一緒にやってらして、そのスピーカーとして呼ばれました。
政治家の勉強会というと普通「お話拝聴、はい名刺交換、はいさようなら」みたいな感じでしょう。 ところが 安倍さんは勉強会が終わった後、丁寧にメモをとったノートを片手に、「この問題はどうなんでしょう、これはどうなんでしょう」と、すごく突っ込んだ質問をされました。
(金)… テーマは何だったんですか。
(長谷川)… たしか、憲法の問題でしたかねぇ。とにかく その時の安倍さんの質問は鋭く突っ込んだ内容だったので、へぇー ずいぶんと勉強熱心な政治家もいるんだなあという印象を持ちました。 だからといって、その時点で将来の首相候補とは思いませんでした。
(金)… 私だっていきなり首相とは思わないですよ。飛行機の中が最初の出会いでね。私はいきなり怒ったんだから。
(長谷川)… なぜ怒ったんですか?

(金)… 山口宇部空港で搭乗すると、前の席が4つ空いてるんですよ。待てど暮らせど誰も来ない。この4人を待っていて飛行機は飛ばないわけよ。
しばらくすると、衆議院議員の林義郎夫妻と安倍晋三夫妻が現れた。安倍さんはまだ若くて、何の役職も就いていない時代。 私はスチュワーデスに言ったのよ。「公務で遅れたかどうか、確認して」って。
公務で遅れたのなら我慢しようと思ったの。天下国家のためだから。 でも、どう見ても公務とは思えない。
(長谷川)… 美味しいお寿司を食べていて遅れたとしたら、それは腹が立ちますよ。
(金)… 相手が国会議員ですから、スチュワーデスも聞くことができない。私の腹の虫は納まらないので、怒りが顔に表れてる。安倍さんとしては、テレビでよく見かけるオバサン、つまり私が怒ってることを意識していたと思うのね。
羽田に到着すると、私達はバス、4人は特別な車が迎えに来てるわけ。それで思わず林義郎さんに向かって「また特権ですか」って言っちゃったのよ。林さんもびっくりした顔をしていたわ(笑)
(長谷川)… あはははは、いかにも金さん!

(金)… それが安倍さんとの最初の出会い。次に出会ったのが岡崎研究所のパーティーでした。岡崎久彦さんが安倍さんを私に紹介してくださったので、
「初対面じゃないですよね。飛行機の中で一度お会いしましたよね」と言ったら、「ははー」と言って低姿勢でした。このとき、安倍さんは謙虚な人だということがよくわかりました。
(長谷川)… 普通なら「うるせぇババアだな」というところですもの。
(金)… そうそう。政治家だって最後は人間性の問題でしょう。
(長谷川)… おふたりの性格がよく出ているエピソードですね。私が安倍応援団になったのは、『約束の日』を書いた小川さんがきっかけなんですよ。
(金)… 若い人に触発されたんだ。
(長谷川)… そう。それも割合最近のことです。 一昨年の9月に伊藤哲夫さんの日本政策研究センターの会に出席していたら、終わった後で「長谷川先生、お久し振り」と声をかけられました。振り向くと修士論文を審査した小川さんでした。

(略)「え!どうしてあなたがこんなところに?」と驚いた。すると「いやあ、実はおもしろいことをやっているんですよ。ちょっと仲間と一緒にお茶でもいかがですか」と誘われたので、
近所の喫茶店に入って話を聞くと、なんと「安倍総理の実現を目指す会」というプロジェクトをやっていたんです。 小川さんは三宅先生のプロジェクトの話は全然知らなかったはずなんですが、その名前が「プロジェクトA」っていうんですよ。
(金)… 安倍さんのAですね。いいね。
(長谷川)… その話を聞いた途端、私は笑い出して、「それは 競馬のWIN5じゃない」と言ってしまいました。
(金)… なに?「ウィンファイブ」って。
(長谷川)… その日の各競馬場のメインレースを中心とした5レースの1着をすべて当てるもので、当たるとすごい配当が来るんです。
(金)… あなた、よくそんなこと知ってるね。
(長谷川)… 私は本命ガチガチを応援するより、可能性がゼロに近いことに賭ける質なんです。
(金)… なるほど。その当時、長谷川さんは誰に聞いても安倍さんの目はないと、どこかに書いていたものね。
(長谷川)… ええ。だから「それ乗った」と言って、安倍応援団に加わった。
(金)… 天の邪鬼なんだ。
(長谷川)… 冒険好きと言っていただきたいんですが(笑)。そして、安倍さんにはどういう政策をしてもらわなくてはいけないかを、若い人達と討議しているうちに 安倍さんが政権を担った1年間に 何を成し遂げたかを詳しく知ることになったんです。 そこで安倍さんはすごい政治家なのかもしれないと 初めて思った。

(金)… 『美しい国へ』を読んだ時には それほど感心しなかったけれど、若い人達とのプロジェクトをやってるうちに気が変わった。
(長谷川)… そうです。つまり安倍さんの書いたものではなく、安倍さんがやったことをつぶさに眺めて、すごい政治家であることが理解できたわけです。 要するに政治家は小説家ではないんだから、書いたもので判断するんじゃなく、やったことや企画したことで判断しなくちゃいけない。
言ってみれば当たり前なんですけどね。それを若い人達に教えられた。 そして、プロジェクトをやってる途中、小川さんがフウフウ言っていました。「何をフウフウ言ってるの?」と聞くと、
「安倍政権の1年間を検証してみなくてはと思って、レポートにまとめようとしているんですが、これが難しくて」と言うので「それはとても大事なことだから、ぜひやり遂げてくださいよ」とお願いしました。

すると レポートはどんどん膨れ上がり、最後に見せてもらった時は A4の用紙で10センチぐらいの厚さになっていました。それを読み通して、「これはすごい政治家だ」と改めて認識して、このプロジェクトは高配当を目指してのギャンブルじゃなく、本腰を入れて安倍政権の誕生を目指すべきだと思いました。
(金)…長谷川さんは典型的な学者ね。きちんと調査、研究しないと納得しない。
(長谷川)… 調査、研究をやったのは私ではなく、若い人達なんですけど。
(金)… いやいや、若い人達と一緒にやってきたわけでしょう。私なんて直感頼りだから。
(長谷川)… 私も最後は直感ですよ。

<歴史的使命を問われる希有な政治家>
(長谷川)… 今日の対談のコンテを編集部からいただきましたが、その中に「安倍首相の歴史的使命と、それを果たすための条件について」というテーマがありましたね。その「歴史的使命」を対談テーマにするような首相って‥この3、40年いたかしら と振り返ってみたら、誰もいないんですよ。
たとえば小渕恵三さんが首相になった時、「小渕首相にはいかなる歴史的使命が負わされているか」なんてテーマが立てられることは考えられない。
(金)… その通りですね。
(長谷川)… 小泉さんにしても、誰も歴史的使命について問おうとは思わなかった。
(金)… そこが安倍さんと他の政治家との歴然とした違いでしょう。 私が直感的に「この人だ」と感じたのは、長谷川さんがおっしゃったように 安倍さんが歴史的使命を背負い、ある種の使命感を持っているからでしょうね。
長谷川さんがいま小渕さんの名前を挙げましたが、小渕さんは私より年下ですが 早稲田の英文科の先輩なんですよ。私が1年生の時の3年生。私の留学が遅かったので学年は逆転してしまったの。

(長谷川)… えっ!どうもすみません。小渕さんの代わりに橋本龍太郎さんを挙げてもいいんです。
(金)… いいの、いいの。私には小渕さんの肩を持つ義理なんてないんだから。小渕さんは学生時代から政治家志望でしたが、私は「こんな人が政治家志望?」って疑問を持って見ていました。
小渕さんはいい人ですが、迫力のようなものがまったく感じられなかったから。 そもそも当時の台湾人は誰も政治家になんかなりたがりません。国民党に迫害されるだけだからね。
(長谷川)…何を好んで政治家なんかにって感じですね。
(金)… そう。その迫力の感じられない人が、お父さんの光平さんが亡くなり 急遽立候補して国会議員になった。
(長谷川)… そして、時の流れの中で自然に浮かび上がって首相になった。