日本教育再生を拒むもの | 民主党の票が伸びれば日本は最悪の状態を迎える

日本教育再生を拒むもの

学力低下・いじめ拡大問題・教室の荒廃など日本の教育は危機に扮している。
問題は、ゆとり教育を推進した新学力観を生み出した「進歩的」学者たちが主唱したリベラルな教育運動改革によるものだ。

「新学力観」- 日本では1980年代に学校に席巻し、それ以降、規律と学力を重視した今までの教育が追いやられ始め、その後教育は崩れ始め現在、学校は子どもたちの単なる預かり所と化し、まるで動物園のような状態に。

この問題は実はアメリカをはじめとする欧米が先に体験しています。

60年代に、個人の人権を極端に主張する社会改革運動が起こり、それに加えてベトナム反戦運動と重なり、進歩的知識人と称するリベラル主義者を中心に、反体制、反伝統、反文化などの運動が大学を始めとして社会全体に広がった。

そして、学校にも非管理主義教育が入り込み、1970年代から80年代、アメリカの学校の規律は乱れ乱れ、学力も大きく低下しまさに「学校崩壊」が起き、大きな社会問題となった。

欧米各国、国家レベルで研究が進み、アメリカでは共和党レーガン大統領が1983年「危機に立つ国家」という教育宣言を行い、教育改革の緊急性を宣言。
続く90年、同じく共和党ジョージ・ブッシュ大統領が「国家教育目標」を宣言、91年に「アメリカ2000教育戦略」を発表し、具体的に改革すべき方向と施策を打ち出しました。
その戦略の副題には「わが国を本来あるべき姿に戻すために」とあり、伝統的教育への回帰を明言しました。
その冒頭「教育界の"へとへとに疲れた、時代遅れの”教育仮説からの広範な変革を促す」とあり、進歩主義的教育論や教育の人間化論を断罪し伝統的な当たり前の教育に戻すという姿勢を明確に打ち出しました。
続いて94年民主党クリントン大統領がアメリカ教育法を制定。ブッシュ前大統領の国家教育目標を引き継ぎ、さらに目標を増やしそれを法制化。2期目には「大統領の呼びかけ」を行い、「規制を整備し、ゼロトレランスの確立を行い、学校の規律を正すように」と国民に呼びかけました。
その後共和党ジョージ・W・ブッシュ大統領が「NCLB法(落ちこぼれなし法)」を制定、テストの強化を図り底辺層に対する教育の底上げに一層の力を尽くしました。

4代にわたる大統領の強力なリーダーシップの下に学力と規律の向上をはかり、学校教育を正常化してきました。もちろん、保護者、一般市民、現場の教員、政治など総合的な力によって、「進歩的」な学者たちの観念論を打ち砕いてきました。

実際に80年代後半、ワシントン州の高校では学校規律が乱れに乱れ授業はまともに行えず、多くの教師がバーンアウト(燃え尽きる)の状態に。91年に学校意思決定チームを作り、校長は教育委員会と共に「ゼロトレランス宣言」を行いました。
ゼロトレランス - トレランスtoleranceは寛容と訳されます。ゼロトレランスで「寛容なし」で臨むとは「情け容赦なし」という意味合いとはまったく違い、許されない行為に対して「毅然たる対応をとる」ということを明確にしたものです。
ゼロトレランスとは、「進歩的」学者の言う「子どもにも人権があって個性があってうんぬん」の現場を知らない学説、または子どもの「感情の赴くままに人の迷惑顧みずにやりたい放題」人権まで認めてしまう「寛容さ」を含んだ学説が善悪の価値判断をあいまいにしてきた教育からの転換です。
いじめ、喫煙、校内暴力、さぼり、などの悪質な行為を行った生徒に対し、正式な、段階的な処罰として、出席の停止や代替の学校に送り、反省するまで、元のクラスに戻さないというような毅然とした規律重視の指導のことです。
その結果、ある高校では90年に2000件あった暴力関連の事件は2年後にわずか4件に激減。ゼロトレランス方式は全米にすごい勢いで広がりました。

また60年代に提唱され始めた「進歩的」学者のいう「宗教教育のような絶対的な善悪の価値を押し付けてはいけない」という「道徳教育の排除」も疑問視されました。レーガン政権最後の教育省長官であったW・ベネット氏が「今後もっとも重要するべきことは道徳教育を充実されることである」と強調し、90年代になって、アメリカの道徳教育の重要性は「品性教育」という形になって定着してきました。

やたら「自由、自由」を強調する「進歩的」学者やリベラル教徒たちは自由の意味を履き違えています。
子どもたちにとって、暴走しがちな感情の自由に任せっぱなしにしては、他との軋轢を生み、本来の天真爛漫な心で楽しく自分自身を発揮することのできない状態、まさに不自由になってしまうのです。やってはいけないこととやっていいことが身につかないことほど不自由なものはありません。
また、自分のしたいことをする自由と他の人がしたいことの自由がぶつかるとき、そこに弊害・悪が生まれることを完全に見落としています。
共産主義・社会主義下の抑圧からの「解放」である「フリーダム」と、やりたい放題の「放縦」の自由はまったく別のものです。
社会で働く中、すき放題に席を立ち、携帯でメールを打ち、会議中に馬鹿笑いをしていては会社は成り立ちません。子どもを育てる親が車の中に子どもを閉じ込めパチンコをし放題で不倫相手と遊んでいたら子どもはまともに育ちません。

アメリカの70年代80年代の問題が、10年遅れて日本を襲っています。

アメリカが失敗した進歩主義教育論や教育の人間論。それは「子どもの個性を自由に伸ばすためにも、教師は権威や規則に頼ることなく、管理や指示もしてはいけない」という教育論です。
これは日本の学者が強調する「個性の尊重、自主性・主体性を重んじる、信頼関係の下に管理や規制を排除」と同じです。日本ではさらに日教組による反体制的な教条主義が加わりました。

しかし安部内閣のもと教育改革に大きく踏み出し、2006年文部科学省は「生徒指導体制のあり方ー規範意識の情勢を目指して」という報告書を出しました。

1、問題行動や非行などに対しては、あらかじめ定められている規則や罰則に基づき、「してはならないことは、してはならない」と毅然とした粘り強い指導を行う。
2、指導方式の一つにアメリカで広く実践されているゼロトレランスとプログレッシブ・ディシプリンを導入する。
3、事態が改善されないときは、罰則に基づく懲戒を与え、学校の秩序を維持し、子どもの自己指導力を育成する。
4、義務教育における出席停止、高校における懲戒処分の適切な運用を図る。
5、すべての教職員は、校則の遵守、挨拶、服装、時間の厳守、規律ある手段活動、または授業中の私語の禁止など、「当たり前のことを当たり前に実施」し、指導の「ぶれ」を生じさせないようにする。

まさに教育改革が始まった観があります。

しかし実際の現場の教員でこれを知っている人は恐ろしいほど少ないのが現状です。

結局各都道府県の教育委員会は教育学者や日教組の反発を恐れて導入に躊躇し、現場の教師に伝わっていないのです。

文部省・行政・教育委員会・PTA・保護者・一般市民が問題意識をしっかり持って取り組まなければなりません。

ダメ教師ばかりではないのです。実際に熱い意識を持って取り組もうとする教師が空回りしてしまうのです。一時期の一部の反体制主義者が先導した「体罰禁止」の妄想が蔓延しているのです。
おとなしい先生は、数人の暴力生徒を放縦した学校の態度からさらに乱れた教室内にいくことで思いっきり精神をすり減らしバーンアウト状態です。でも、最近学内に生活指導の先生が見守るようになり、一部の暴力生徒がおとなしくなっただけで、実は教え方が大変うまく、生徒たちも勉強がこれほど面白いと思わなかったと声を上げ、全体の学力が上がったとの報告もあります。

いじめ問題もいじめる側へのしっかりした態度が取れていません。
学校にカウンセリングが導入されたことも大きくかかわっています。
80年代から導入が検討され始め、90年後半には心の教育相談員も全国の中学校に配置されたとのことです。
それらの動きがさらに最悪の結果を呼んでいます。

心理学においてカウンセリングには色々な流派があります。
その中で日本で行われているのは、アメリカでリベラルな流れのもとにカール・ロジャースが提唱してきたものです。
カウンセラーがはじめから終わりまで黙って傾聴し、需要と共感を基本として行う「受容共有型カウンセリング」と呼ばれるものです。
学校に導入され、先生たちのカウンセリング研修で行われるのは次のようなものです。
「教師が積極的に生徒を指導したり注意したりするのはカウンセリング的態度ではない。教師は生徒の目線まで下りて、生徒が立ち直るまで黙って見守って、忍耐強く待ち続ければならない」

通常の社会で良識を持った大人がある問題で悩んだときにはまあいい手法です。

しかし、いじめの加害者にこんな態度で望んだら、ただの言い訳、言い逃れを助長するだけで、さらに悪知恵を増長させるだけです。
いじめられたほうもこれでは何の役にも立ちません。
悩んでいる子どもたちはしっかりした助言と対応が必要なのです。

進歩主義者の進めた新学力観、それから生まれたゆとり教育、そしてロジャース派「受容共感型」カウンセリング。
そのカウンセリングが生んだ悲劇の実例を知人が教えてくれました。学校のカウンセリングのことではないですが同じ問題を含んでいます。

・その男性は小学校からいじめにあって、中学時代に不登校になり、高校も入学式以来不登校で通学していません。男性の母親は、かれが20代になったころ、ある女性カウンセラーからカウンセリングを受け始めます。そしてある結果を迎えるまで30年近くカウンセリングを受け続けていました。
その30年間、母親にはカウンセラーの呪文のような言葉が繰り返されました。それは「刺激を与えずそっとしておくこと」「子どもが嫌がることを言ったり、仕向けたりしないで『いつか治る』という希望を持って待つこと」「子どもの心に負担をかけずいごごちのよい場所を家庭に作ること」といいうものです。
母親は言われるがままに、息子に刺激を与えずにそっとしておいて。かれの言うこと、要求を全面的に受け入れて気ました。息子は何か機嫌を損ねると部屋から出てきません。あたらず触らずの対応に終始します。しかし、一向に息子の状態は変化せず、引きこもりの状態は改善しません。家庭の雰囲気は、暗い病室のように重苦しくなって行きました。カウンセラーの「刺激を与えてはいけない」という助言で抑制がかかった家族からは、明るさと自然な会話がなくなっていったのです。
あるとき、その母親が突然自宅で倒れ、急死してしまいます。息子はたまたま一人でその場に居合わせましたが、部外者との接触を恐れて、何時間も救急車をよべませんでした。
 その後、残された家族はその引きこもりの息子と共に、母親の葬儀のことや息子自身のことを話し合おうとしました。しかし、女性カウンセラーが「刺激を与えたら自殺してしまう」「自主的に部屋から出てくるまで待ってほしい」と強調するので家族は不安になり、息子が自分から部屋を出てくるまで待つことにしました。ところが、2週間近くたっても自室から出て来ず、変化が見られないので、家族は我慢できなくなり、息子の部屋の扉を開けました。すると、そこには変わり果てた息子の姿がありました。鴨居から首をつっていたのです。自殺した息子は54歳になっていました。
 検視の結果、母親が死んで間もなく自殺していたことがわかりました。部屋の中には、マウンテンバイク3台や、履いた形跡のない靴が何十足もありました。本人が懸命に「引きこもり」から抜け出そうとしていたことがうかがわれます。
 その後、家族は女性カウンセラーに連絡をとろうとしましたが、急に不在や私用という理由で連絡がつかなくなり、つかまらなくなりました。事の重大さに気づき、責任逃れのために逃げ回っていることは明らかでした。


ここ2,30年の学校崩壊にやっとここ数年で取り組みが始まったところです。
政府が本腰をいれ、教育委員会も本気になって取り組み、教員も保護者も国民も真剣に向かわなければこれから日本を創っていく担い手が育ちません。

リベラルを自称する「進歩的」学者、日教組、そういった連中のお抱え議員が多い民主党政権では日本は最悪の状態を迎える、その理由のごく一部がご理解いただけますでしょうか。

いじめを受ける子、いじめをすることで向き合わなければいけない問題から逃げるいじめる側の子、本当は力があるのにバーンアウトする先生たち。内なる心の叫びを受け取り、教育の崩壊を止めることができるのは、こうした事に問題意識を強く持って、実際に行動に移せる国民一人一人です。

民主党0議席目標への1歩1歩、PTAへの参加、教育委員会への提言、政府への働きかけ、教育改革を進めようと尽力を尽くす有識者の方々への応援。一人でも多くの人が声を上げていかれますように。

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