今は北海道にいます
トレーナーとのトレーニングをしに来ました
3日間の集中トレーニングです
震災後はガソリン節約電気節約などで外出等を控え目にしたことで考える時間を持てました
震災に対してのこと、被害にあった仲間のこと、家族のこと、自分のこと、これらすべての未来のこと
震災した仲間に電話した
連絡を取った友人はなんとか生活が出来るようになってきた地域だった
「お前に俺達仲間が出来ることはないか?」と質問すると
「俺は今はなんとか生活出来てるから、仙台のあいつに電話して助けてやってくれ」と言う
「俺はいいからって言うな!お前は原発で目に見えない放射能やらでよくわかんない数値や単位で、今はいい、今はいいけどお前の5年後、10年後、その先はわかんないだろ!」と福島に住んでいる友人に言わせてもらった
その後、すぐに仙台の仲間に連絡をする
「どうだ?」
「俺はなんとか生活が出来るようになってきたから、回りの人達が・・・多賀城ってところに出入りしていた幼稚園があって救援で呼ばれる。何から手をつけていいかわからない。テレビで見たろ?あのまんまだよ、車が転がってるし瓦礫は山積み。ボランティアは本当に助かる。」
生の声だ
言葉がない
「幼稚園やスクールの子供達にサッカーで何か出来ることはないか?」
「ありがとう、でも場所がない。グラウンドは瓦礫や車の置場所や仮設住宅に・・・体育館は避難所か安置所だから。でもできたらいいね!子供達は喜ぶ!」
「落ち着いたら、お願いするかも。」
なんとかしようともがいている
友人達はいい奴だ熱い気持ちを持った奴だ
「俺はいいから・・・」
こんな状況じゃ“皆が皆”なかなか言えない台詞だと思う
でもこれは特別な事じゃ無いとその後感じた
東北はそういう地域なんだと
大学の時、たくさんの人に助けられた。大家さんは親代わりになっていてくれた。よく行く総菜屋のおばあちゃんは俺が年末年始に実家に帰ると言うと「ちょっとまってな」っていってティッシュにお小遣いを包んでくれて「新幹線で弁当でも食べて親にお土産でも買ってきな」って。バイト先のマスターは偶然会ったスーパーで「ちょっと待って」って言うと大量の食料を俺に持たせた。
そういう地域である
古き良き日本人の魂が活きている土地である
それを今俺達は目の当たりにしている
譲り合い、助け合い、忍耐をし、分かち合う日本人の魂
そんな土地が
未曾有の事態
誰も経験したことの無い世界
探り探りの毎日
写真の様に誰かが先に歩いて作った道など無い
先の道はちゃんと歩けるかも知れないし穴が空いているかも知れない
そりゃ不安だよ
被害云々と比べてしまっては自分のアキレス腱なんてこれっぽっちもねぇ事
だ
俺も果たして動けるようになるのかと不安を抱えながらも自分をサポートをしてくれている人を信じ一つ一つをクリアしていく事が今に繋がった
そんな事を被災地から勝手にメッセージをいただき再確認した自分である
俺は家族がいるしダラダラやってもしかたねぇって自分のけじめとして半年間だけもう一度プロになりたいと身体を動かす事を決めた
震災でJリーグが止まった
考えた
時は止まったけど時間は止まってはいない
期限は期限である
悩んだ
被災地の仲間に生きる勇気をもらった
考える
今は札幌にいます
厚別でトレーニングをします
昨日のチャリティーマッチ、本当によかった
サッカー人として誇りに思った
難しいことは抜きでシンプルにサッカーとはそういうスポーツだってこと
彼らみたいにテレビの中で躍動してたくさんのメッセージを発信できはしないが「やれたら奇跡」と言われた手術した足でここまで造り直してきた過程や結果を小さな事だがこのブログで発信し仲間達や興味を持ってくれた方へ俺なりの諦めないを見てもらおうと再度思った
少しでも代表と言う誇り高いものを経験させていただいた身として昨日のチャリティーマッチは自分の魂幹を揺らした
『俺に出来ることをやる』
それぞれがパーツとして、あるいは大小はあるがパズルのピースとして
本気で生きること
それがまずやるべきボランティア
なのかなぁ
コンサドーレの練習場に行きました
テスト生としてよろしくお願いいたしたいと再確認
声をかけていただいたサポーターの方々ありがとうございました
恩返しをさせていただける日を諦めないで今日もトレーニングをし祈ります
読んでくれてありがとう
感謝
トレーナーとのトレーニングをしに来ました
3日間の集中トレーニングです
震災後はガソリン節約電気節約などで外出等を控え目にしたことで考える時間を持てました
震災に対してのこと、被害にあった仲間のこと、家族のこと、自分のこと、これらすべての未来のこと
震災した仲間に電話した
連絡を取った友人はなんとか生活が出来るようになってきた地域だった
「お前に俺達仲間が出来ることはないか?」と質問すると
「俺は今はなんとか生活出来てるから、仙台のあいつに電話して助けてやってくれ」と言う
「俺はいいからって言うな!お前は原発で目に見えない放射能やらでよくわかんない数値や単位で、今はいい、今はいいけどお前の5年後、10年後、その先はわかんないだろ!」と福島に住んでいる友人に言わせてもらった
その後、すぐに仙台の仲間に連絡をする
「どうだ?」
「俺はなんとか生活が出来るようになってきたから、回りの人達が・・・多賀城ってところに出入りしていた幼稚園があって救援で呼ばれる。何から手をつけていいかわからない。テレビで見たろ?あのまんまだよ、車が転がってるし瓦礫は山積み。ボランティアは本当に助かる。」
生の声だ
言葉がない
「幼稚園やスクールの子供達にサッカーで何か出来ることはないか?」
「ありがとう、でも場所がない。グラウンドは瓦礫や車の置場所や仮設住宅に・・・体育館は避難所か安置所だから。でもできたらいいね!子供達は喜ぶ!」
「落ち着いたら、お願いするかも。」
なんとかしようともがいている
友人達はいい奴だ熱い気持ちを持った奴だ
「俺はいいから・・・」
こんな状況じゃ“皆が皆”なかなか言えない台詞だと思う
でもこれは特別な事じゃ無いとその後感じた
東北はそういう地域なんだと
大学の時、たくさんの人に助けられた。大家さんは親代わりになっていてくれた。よく行く総菜屋のおばあちゃんは俺が年末年始に実家に帰ると言うと「ちょっとまってな」っていってティッシュにお小遣いを包んでくれて「新幹線で弁当でも食べて親にお土産でも買ってきな」って。バイト先のマスターは偶然会ったスーパーで「ちょっと待って」って言うと大量の食料を俺に持たせた。
そういう地域である
古き良き日本人の魂が活きている土地である
それを今俺達は目の当たりにしている
譲り合い、助け合い、忍耐をし、分かち合う日本人の魂
そんな土地が
未曾有の事態
誰も経験したことの無い世界
探り探りの毎日
写真の様に誰かが先に歩いて作った道など無い
先の道はちゃんと歩けるかも知れないし穴が空いているかも知れない
そりゃ不安だよ
被害云々と比べてしまっては自分のアキレス腱なんてこれっぽっちもねぇ事
だ
俺も果たして動けるようになるのかと不安を抱えながらも自分をサポートをしてくれている人を信じ一つ一つをクリアしていく事が今に繋がった
そんな事を被災地から勝手にメッセージをいただき再確認した自分である
俺は家族がいるしダラダラやってもしかたねぇって自分のけじめとして半年間だけもう一度プロになりたいと身体を動かす事を決めた
震災でJリーグが止まった
考えた
時は止まったけど時間は止まってはいない
期限は期限である
悩んだ
被災地の仲間に生きる勇気をもらった
考える
今は札幌にいます
厚別でトレーニングをします
昨日のチャリティーマッチ、本当によかった
サッカー人として誇りに思った
難しいことは抜きでシンプルにサッカーとはそういうスポーツだってこと
彼らみたいにテレビの中で躍動してたくさんのメッセージを発信できはしないが「やれたら奇跡」と言われた手術した足でここまで造り直してきた過程や結果を小さな事だがこのブログで発信し仲間達や興味を持ってくれた方へ俺なりの諦めないを見てもらおうと再度思った
少しでも代表と言う誇り高いものを経験させていただいた身として昨日のチャリティーマッチは自分の魂幹を揺らした
『俺に出来ることをやる』
それぞれがパーツとして、あるいは大小はあるがパズルのピースとして
本気で生きること
それがまずやるべきボランティア
なのかなぁ
コンサドーレの練習場に行きました
テスト生としてよろしくお願いいたしたいと再確認
声をかけていただいたサポーターの方々ありがとうございました
恩返しをさせていただける日を諦めないで今日もトレーニングをし祈ります
読んでくれてありがとう
感謝