のろまなカメの一人言 3
前回の成人式の話は
久しぶり過ぎて
3回に分けての投稿になってしまいましたが
今回もまとめて書くので長くなりそう、、
さて、6、3、3、2と長きに渡る学校生活も
とうとう終了しました。
これまで何でも
遅い遅いと言われてきた
この子たちが
人より早く社会に出ることの矛盾を
ずっと感じてきて
高等部卒業後すぐには
就労させる気にならず
とりあえず「就労移行支援事業所」を
考えていたのですが
思わぬ展開でドタバタと
私立支援学校の専攻科に
入れてもらうことになり
プラス2年間の
学生生活を送ることができました
この2年間「学校」という場で過ごせたこと
本当に良かったと
今、心から言えることに感謝です。
成長の遅い子だからこそ、
この2年間の精神的な成長は大きく
その期間に
個人の生活では得られない
同世代の集団ならではの経験を
たくさん積み重ね
豊かな思い出が増えたことは
一生の財産になったと思います。
一方、18歳になって出会った
学校以外の
社会人のための「学びの場」も
とても刺激的で
「学び」は学校だけじゃないということを知り
これからもたくさん学ぶ機会はある
あるいは作っていくべきと思うけれど、
「学校」という場には
若いこの時期しかできない経験があった。
あるいは、それが「大学」という場なら
なお良かったかもしれない。
(ダウン症のお友達の一人で
公立高校を経て、
この春、大学に入学した子もいます
福祉型カレッジではなく、
正式な「大学」
インクルーシブ教育が進んでいる大阪ならでは、
というところもあるけれど、
我が子の可能性を信じて、
簡単にあきらめなかった
親御さんのサポートが
大きかったと思います。
これからの人たちには、
そういう可能性もあることを
知ってほしいと思います)
その一方で、専攻科というところも
今の宮城県で、今のアイにとっては
とてもいい環境だったと思います。
特に、この学校には
いわゆる「身辺自立」と「就労」に
直結するようなものだけでない、
豊かな学びの機会がありました。
(研修旅行、運動会、学園祭等のほかにも、
「自主研修ゼミ」で好きなこと調べて
スライド作って発表したり、、、)
そして先生方が、どの子の良さもみつけて
その子がちょっと頑張ればできる目標を設定し
それをサポートしてくれたのも大きいです。
そんな温かい雰囲気の中で
周りはアイよりも
もっと「できる」子が多かったけれど
それでもめげずに楽しく
学校生活を送ることができました。
本当に先生方には感謝です。
↑ 式の舞台にあった鉢植え、もしかして
卒業生に渡されるのではと恐れていましたが笑
(私は「鉢植え枯らす女」なので)
案の定ありがたく一人一人に
校長先生から手渡されました。
(でも、まだ咲いていますよ〜)
その専攻科を3月に卒業し
いよいよ就労となりました。
就労までは
以前「モヤモヤ」と書いたっきり
その後の経過を書かずにきてしまいました。
正直言うと
関東や関西のお友達のように
この子の良さを発揮できるような
「一般就労」の場があればいいなあと思って
少し探してみましたが
なかなか宮城かいわいでは
切り取られた作業を
効率よくこなせるタイプの人向けの職場しか
見つけられませんでした。
一方、今、B型作業所には
その人らしさを大事にする
いろいろ魅力的なところが出てきています。
ここいいな〜💕と思うところも
いくつもあります。
ですが、そういうところは
概して「工賃」と呼ばれる賃金は低い。
まあ「工賃」が高めというところでも
最低賃金に比べたら
結局たいしたことはないけれど。
最低賃金をうたうA型作業所は
やっぱり作業の効率と正確さを重視していて
その人らしさ、というのは二の次と感じました。
(実際にA型で実習もしましたが、
その評価もさんざんで、、)
また、学会などで
ダウン症の先輩たちで
就労後引きこもりやパニックなどで
苦しんでいる人の中には
一般就労やA型に行った人の方が多い
ということを聞いていたのもあります。
(もちろん、そういうところで
楽しく働いている先輩たちもいますが)
そんな中で
高等部の実習や作業を通して
アイの良さが発揮できそうなのは
やはり人と接する仕事かな〜と思い、
B型のカフェやレストラン系か
介護系に絞っていました。
(保育系は、小さい子のお世話が
イマイチ上手ではないので、、)
アイ自身は、どこに実習に行っても
「楽しかった!!」と
行く先行く先で
「ここで働きたい」と言うので
なかなか決めかねていましたが
一度行った実習先(レストラン)から
ぜひまた実習に来てくださいと言われて、
アイのような子を必要としてくれているなら
嬉しいなあと思って、
2度実習に行って、そこに決めました。
一番おチビさんなので
子ども店員のようで
制服もブカブカで似合いませんが
何とかお仕事スタートしました。
慣らし保育のように
最初は午前中だけから始まり
次は午後2時まで
と徐々に時間をのばし
ようやく先週からフルタイムに。
(と言っても15時半まで)
朝6:53のバスで通っています。
(1時間ぐらいかかるけど
朝はバス1本で行けるのでありがたい。
帰りは時間が合わず、地下鉄も使います)
今はまだ
箸袋折りやお米の選別、食器拭きなど
裏方の仕事がメインですが、
(それはベテランになってもずっと続きます)
行く行くは 下の写真↓のように、
フロアに出て、
接客もできるようになりたいと
それを目標に頑張っています。
(写真は、特別に一度だけ
やらせてもらった時のものです)
B型とはいえ
どちらかというと
周りは軽度の人が多い感じで
なかなか忙しそうな職場なので
アイにはちょっとついていくのが
大変なところもあるかもしれません。
仕事が始まってから
またもや髪の毛抜きやら
あちこちイタイイタイ病が始まり
やっぱり緊張とストレスは
大きいのだろうと思います。
あんまりそれがひどくなるようなら
無理して続けないで
いつやめたっていい、
ぐらいの気持ちで見守っています。
それこそ、いくらでも他に
ゆるゆると過ごせる場もありますから。
というわけで
いつまで続くのか
ここが本当にアイにとって
楽しく大人生活を進められる場になるのか
まだわかりませんが
よ〜く本人の様子を見ながら
必要な時にサポートできるようにしたいと
思っています。
とりあえず1ヶ月無事?
(いや既にいろいろやらかしていますが)
過ごしたところでのご報告でした。
次回は「やらかし」話かなぁ、、
この1ヶ月だけでも
いっぱいあるので
(相変わらずの長文すみません)
1年以上ほったらかしにしたブログを
先週 久しぶりに書いてみたのですが
写真のアプロードの仕方も違うし
PC用スマホ用を選ぶところがあったり
微妙にいろいろ変わっているなあと
戸惑いつつも
例によってトンデモ長文を書いて
アップしたつもりが
どこかで「スマホ用」を押したせいなのか
何だかよくわからないけれど
プレビュー見たら
文章が途中で切れてしまい
絵文字や写真も消えていて仰天
でも、今のシステムなら
どこかには残っているはずだと思い
探すも 元の文がとうとう見つからず
久々に書いたのに…とショック
というわけで仕切り直し。
今度は少しずつ分けて書こうと思います
いつできあがることやら…
(既に前置きが長い スミマセン)
まずは
このブログをお休み?していた
1年あまりの間に
自分の状況が激変したことを…
これまで 傲慢にも
丈夫だけが取り柄と思っていたのが
昨年緑内障が発覚したのを皮切りに
(白内障と違って治りません
失明まで何年もつか…)
7月には突発性難聴で
突然のめまいと嘔吐で動けなくなり
人生初の救急搬送、入院。
めまいはおさまったものの
右耳の難聴・耳鳴りは残り
会話が聞き取りにくくなって
今も常に変な雑音が右耳で鳴っています
9月には、
まだフラつきが残っていたのか
階段を踏み外し、
転倒しまいと踏ん張ったら
かかと骨折し、杖の生活。
そして健診で指摘された甲状腺の異常は
専門医に行ったら病状確定、定期通院に
これまで お薬手帳など
ほとんど使ったことがなく
10年前の追突された時の湿布薬ぐらいしか
シール貼ってなかったのに
ここに来て大活躍。
ひどい時には 4箇所も同時に病院通いで
(+歯の状態も悪いので歯科も加えると5つ)
仕事の休みの日は ほぼつぶれました…
実は5月に
これまで長年やってきた
ダウン症親の会の会長を引退したのですが
(そして「成人期部会」を立ち上げました
と言っても、今のところ
月イチのお茶飲み会だけですが)
病院通いのせいか
他のボラ活にも顔出ししているせいか
ちっとも暇になった気がしない…
時間の使い方が下手なのでしょう
元気に長生きして
「親なきあと」を少しでも短くしたいと
勝手な希望を抱いていましたが
どうも案外早めに
娘のサポートはできなくなりそう…
これは早く終活にとりかかれという
神の再三にわたる警告かもしれません
(一度では全然懲りない人間だから…)
と、成人式と関係ないことで
字数いっぱいになった感じで
1回目は終わりそう…
先に結論を。
この一年で
気がかりだった娘の年金申請も無事終わり
そして1月には3回も成人式に出て
やはり子育ての大きな区切りを感じました。
今後は「親なきあと」に向けて
娘が(息子もだけど)
親がいなくても
生き生きと楽しく生きていけるために
できることをやっていきたいです。
成人式の話まで行かなかったので
せめて写真だけでも… ↓
*なお、成人式の話
「その2」と「その3」は
この記事の前に置きました
お手数をおかけしますが、
前にさかのぼって記事をご覧ください
(興味ある人だけ
読んでもらえばいいかなと思って…
。。。って、
よくわからない理由でスミマセン)
というわけで、
肝心の成人式の話に入る前に
「その1」が終わってしまったので
いよいよここから本題に…(長っ)
法制上は18歳で成人となりましたが
やはり多くの自治体では
20歳になる年に
記念の式典など行うところが多く
まだまだ今の日本では
ハタチが大きな節目のようです
結局アイは
1、自治体(仙台市)主催の
いわゆる一般の子が参加する
「はたちの集い」
2、在籍している高等支援学校の
保護者主催で、
先生がたをお招きしての
会食を伴うお祝い会
3、私が長年会長を勤めてきた
ダウン症親の会主催のお祝い会
と、3つのお祝い会に参加しました
1については、
ダウン症のある先輩たちで
これまで参加したという人が
近隣ではほとんどいなくて
モヤモヤした思いを抱いていました
確かに障害ある子たちには
それぞれの親の会や
就労先の職場、
あるいは育成会などで
お祝いの機会がいくつかあるので
それ以外に出る必要もないし
(女子は何度も振袖を着るのも大変だし)
そもそも最近の成人式は
中学校あたりの同窓会を兼ねて
旧友と会う機会となっているけれど、
一緒に行こうと声をかけてくれるような
中学校での友達でもいなければ
行っても一人だけで
どうしていいかわからないし
(特に仙台市の場合は
仙台市じゅうの同学年が一斉に集まり
すごい人数になるので)
参加する意味も見い出せません
でも小さい時から
地域の中で「一緒に」育ってほしい
それはアイにだけでなく、
やがて社会を担う、まわりの子たちにも
そういう存在を知って一緒に育ってほしい
という思いを持っていた私には、
一生に一回の大きな節目の時に
やっぱり何らかの形で参加できたら
という気持ちがありました
理想から言えば
小中学校の時のお友達が
声をかけてくれて
一緒に行けたら最高だっただろうけれど
やはり中学校で支援学級に入ってしまうと
一般の子との付き合いはほとんどなく
結果、卒業後の関わりもほとんどなくて
そういうことにはなりませんでした
(でも成人式の帰りに
偶然 小中学校の同級生に会って
一緒に写真を撮れて嬉しかった)
さすがに一人で式に行かせるのは
ためらわれ、調べてみると
仙台市の場合
新成人は基本、本人のみ出席で
親は会場には入れませんが、
障害のある人は
事前に申請すれば、
支援者が同伴することができます
それでもどうしようかな〜と迷っていたら
ある日 仙台市の市政だよりに
「はたちの集い」の
運営スタッフ募集の記事が
載っているのを見つけました
それを見たとたん
ひらいめいてしまいました
これに応募して
スタッフとして参加したら
面白そう〜
早速アイにその記事を見せたら
何しろ生徒会役員だの学級委員だの
委員とつくものは何でもやりたがり
イベント大好きの出たがりですから
「わ〜、やってみたい!!」と
大乗り気(やっぱり)
それでも
さすがに迷惑だろうと
躊躇する気持ちもあったのですが、
例の7月の突発性難聴の後
なぜかハイテンションになっていて
通販で高い買い物をしてしまったり
その勢いにまかせて
応募のメールを出してしまいました
担当の
仙台市教育委員会生涯教育課の方では
(そういうところがやっていることすら
今まで知らなかったけど)
快く受け入れてくださり
8月から運営スタッフとして
月1、2回の会議に出席し
他の学生さんたちと一緒に
企画運営に関わることになりました
(続く…なかなか本番にたどり着かない)
一つぐらい写真を…
↑ 着付けをパレス平安でやってもらって
(系列のお葬式の方の会員になっている関係で
安くできたので)
スタジオと同じ階の
神前結婚式場の前で撮っていいよと言われて
*ちなみに
実際よりも背が高く(足が長く)見える
写真の撮り方は
今話題のモデルの菜桜ちゃんママに
教えてもらいました
というわけで、(ようやく本題に)
仙台市の「はたちの集い」の
運営スタッフとして
準備企画会議に参加したものの、
やはりトンチンカンな発言をしたり
作業や動きが遅かったりと
他の優秀な学生メンバーの中で
「異質」な存在というか
はっきり言って「足手まとい」でした
でもさすが、こういう運営スタッフに
参加する人たちだけあって
皆さん優しく明るい雰囲気で
リーダーシップもあり頼もしく
アイのトンチンカン発言も
単に聞き流して無視するのでなく
温かく受け止めつつ、うまく返したり
アイデアを加えて発展させたり
アイがモタモタしていれば、
さりげなくフォローしてくれたりで
毎回感心感動して見ていました
↑ 式当日、他の運営スタッフと一緒に
当日の役割分担も
アイにできそうなところを
うまく割り当ててくれて、
アイも年末年始には
一生懸命アナウンスの練習をしたりして
アイなりに頑張りました。
仙台市は市全体での式ということで
5,000人を超えるハタチの人たちが
一箇所に集まり、
壇上には 仙台市長をはじめ
えらい方々が並んでいて
さすがにそこでの司会や
はたちの「誓いの言葉」を言うのは
他のしっかりした方々がやってくれましたが、
舞台袖で注意事項などのアナウンスをしたり、
運営委員全員が壇上に上がる場面もあったり、
アイ自身も、かなりの緊張感と達成感を
経験することができたと思います。
この運営スタッフメンバーは
主に仙台在住の大学生たちで
教員志望の子が多くて
そういう人たちが
教師や社会人になる前のこの時期に
アイのような存在を意識する機会に
なってくれたら嬉しいなと思いました
↑ 陰(舞台袖で)のアナウンス
↑ 受付なども
式終了後には 仙台市長も
スタッフの部屋に顔を出してくれました
当日まで温かく見守り
サポートしてくださった
生涯教育課の方々、
アイに優しく明るく接してくれた
学生スタッフの皆さんに
心から感謝です
本当は
会場に参加したハタチの人たち全体にも
こういう子も同じハタチにいるよと
少しでもアピールになれば…
という思いもあったのですが
残念ながら、
アイが舞台に出たのは わずかだったのと
素晴らしいメイク技術のおかげで
(さすがプロ!全然違う!と驚きました)
あまりダウン症感?が出ず笑
ただ なんか背の小さい人がいた、
ぐらいで終わったようです
(会場で見てた人にあとで聞いた話)
会場全体でも
障害のある人の参加は
残念ながら ほんのわずかでした
***
そして次の週末には
現在通っている高等支援学校の
保護者主催のお祝い会
(役員の方々は準備大変だったと思います
感謝感謝です)
お世話になった先生方をお招きし
ホテルで会食しながらの和やかな会で
生徒一人一人が
「どんな大人になりたいか」を発表し、
学校の長い伝統と
一人一人を見守る温かさを感じた
とても良い会でした
高等部卒業後
この学校に来て良かったと
ことあるごとに思いますが
またその思いをさらに強くしました
***
最後は、自分が長年運営側だった
ダウン症親の会主催のお祝い会
正直言って
我が子の成人式に
準備や祝辞などやりたくないと
それに間に合うように
会長職を引き継ぎました
(ギリギリでしたが)
ここでは 新成人一人一人の
小さい頃からの写真を集めて
スライドショーを作って上映し
そのあとに本人や家族に一言もらう、
というセレモニーがあります。
(コロナ禍でも、
観客やアトラクションはナシにしても
このセレモニーだけは続けました)
写真選びも苦労しましたが
(選びたい写真があり過ぎて絞れず)
スライドショーを見たら
いろんな思いがあふれるだろうと
泣く気満々で臨んだのですが
1枚目のスライドで
赤ちゃんの時の写真が出たとたん
(例えばこんな↓ )
(心臓手術の入院の際、
子どもは病室に入れず
ガラス越しの兄との対面)
隣のアイが涙を流し始めビックリ
おかげで私の方は
涙も引っ込んでしまいました笑
スライドショーのあと登壇しても
アイはまだ涙がおさまらず
言葉が出るまで
しばらく時間がかかる様子を見て
アイが
こんなに感情豊かに育ってくれたことに
じわじわと深い感慨を覚えました
これまで子育ては
私一人が突っ走りがちでしたが
この日は夫が
うまくまとめて話をしてくれました
小学生の時から一緒の
ダンスグループのメンバーも
今回3人がハタチの新成人で
その他のメンバーもお祝いに
来てくれました。
(アトラクションでピアノ演奏など)
ずっといい仲間でいたいものです
小さい頃からお互いを知る親しい仲間や
準備をしてくれた後輩の皆さんの中で
(新会長はじめ役員の皆さんありがとう!)
心のこもったお祝いをしてもらったり
お互いの成長を喜び合ったりして
これまでは ずっと
お祝いする側だったこともあり、
ようやくこの日を迎えられたことに
私自身もとても感慨深い1日でした
というわけで、
ようやく3回の成人式の話は終わりです
長々とすみません
(3回目まで読まないかもと思って
載せる順序は逆にしました)
ここまで読んでくれた方がいらしたら
どうもありがとうございました
アイが専攻科に入学して半年が過ぎました。
昨年度までと違い、コロナ規制が緩んで
行事がかなり復活してきたこともあり
学校生活は盛りだくさん。
精神的にまだ幼いアイにとっては
すぐに就労するよりも
こうして思春期の「学校生活」を
少しでも長く味わうことができて
この学校に来て良かったと思う反面、、、
覚悟はしていたけど、通学が大変で
朝6時半に家を出るために
朝はもちろん
夜も少しでも早く寝かせなくてはと
常に時間に追われ、急かせる生活。
それに間に合うように弁当作りをしなければならない
自分のことばかり、最初は大変と思っていたけど、
元々スローペースな娘にとって
常に「早く」「早く」と急かされる生活は
相当のストレスが溜まっているに違いない。
そして学校生活も、
これまで周りが男子ばかりで
あまり女子のお友達がいなかったアイには、
女子トークをするお友達がいっぱいできて
本人はすごく喜んでいるけれど、
やはり軽度の子が多いから
実際の行動の速度や話の理解度がたぶん違って
その辺のギャップも本人の自覚はともかくとして
何かしらストレスがかかっているのではないかと。
というのは、
最近髪の毛を抜くクセがひどくなってきたから。
小学校の高学年の時にも、
円形脱毛症に近いようなハゲができるくらい
髪の毛を抜いていた時期がありましたが、
今回は髪が長い分、
くりくりにねじれたまま抜かれた髪の毛の束を
毎日いくつも床で発見しては
こちらが泣きたくなる思い。
実際、頭頂部など
ちょっと目立つぐらいハゲているところも。
一番ストレスをかけているのは
明らかに母である私。
毎日毎日急がせているだけでなく
せめてゆっくり休めればいい週末には
あれこれ習い事や
母の付き合いがらみのイベントで
出かけることが多くて
時間に追われず「何もしないで」過ごす日が
ほとんどない。
思い切ってどれかやめればいいのだけど
本人に「どうする?」とか
「今日は休もうか?」と聞けば
「行く!」と答えるのを分かっていて
聞いてしまう。
一応聞いたけど、
本人が行きたいんだから仕方ないか、と
自分の中で言い訳して
予定通りこなしてしまう。
終わった後も
「どうだった?」と聞けば
「楽しかった!」と答えるから
じゃあいいかなと、その言葉に甘えてしまう母。
夏休みには「すずめ踊り」にも参加したな…
つい最近も、
「バディウォーク仙台」というイベントで、
実行委員でもある母に付き合い
朝早くから一緒に行って
ダンスも披露してきました
学校生活プラスあれこれを
アイは本当にどれも嫌がらず
毎日「楽しかった」と言いながら
よくこなしている。
そういうことが半年積み重なって
いよいよアイの心と体が限界だよと
サインを発しているのだと思う。
つい最近アイが久しぶりに描いた絵を見て
なんかハッとしてしまった。
思い込みで見てしまうからかな。
言葉には出せない彼女の心の中が
見えるような気がする。。。
長く読んでくださっている方はお気づきのように
私自身はいつも忙しがっているのが結局好きで
能力ない証拠だけど
ゆっくり落ち着いて考える余裕もなく
ずるずるとここまで来てしまった。
でもちょっと立ち止まらなくてはいけない時かな。
と言いつつ、懲りない母は
このまま流されて行きそう…
(今日もこうしてブログを書けたのは
アイがショートステイに行っているからだし…)
一方「モヤモヤ」の方は…
就労に関すること。
これはこれでまた長くなりそうなので、
今日は「反省」の方だけで終わります。
(反省が全然足りない気がするけど…)