こんばんは。ぽてち腹です。

K‐PopとAKB48が巷を賑わす中、オレは、黙々と哲学の道を。

ということで、今日は、大胆にもマルクス批判を行なってみたいと思う。

今まで考察を加えてきた結果、マルクス哲学には3つの批判すべき点があると思った。


1つめ、経済が社会の土台という点。

2つめ、労働と搾取の問題。

3つめ、労働時間短縮について。


1つめは、何回も言っているが、社会の土台はあくまでも、人間関係、だということ。人間は「人の間」と書くことからも、人間関係なしに社会は考えられない。また経済も人間関係が基礎になっていると考えられる。

経済の本質は、生産→交換、であり、生産は一人でも出来るかもしれないが、交換は一人では決してできず、売り手と買い手、という人間関係があって初めて成立する。


2つめも前に書いたけど、オートメーション化が進んだときどうなるのかということ。すなわち、必要な生産をすべてロボットにさせたとして、そのロボットには搾取しているのか、と言えるのかということ。奴隷制から現代まで、人が人を使って生産してきて、使う側が人なら使われる側も人ということで、搾取という概念が発生した。しかし人がロボットを使って生産する場合、ロボットに搾取してると言えるのだろうか?その時には、ロボット権なるものも出来るかもしれないが、ロボットはあくまでも人に使われるためにあるものである。


3つめは、初めて言及する。これは、社会的インフラの整備、維持に関わる仕事について考えた結果出てきた。社会的インフラとは、例えば、電気、水道、、などといったもので、これは24時間稼働しておかないといけない。よってその維持、管理に携わる労働も24時間体制となって、当然交代制勤務となる。労働時間短縮となると、交代制勤務の人をその分増やさないといけなくなる。インフラの維持、管理は社会的に必要な仕事であって、単純に、剰余価値の分交代制勤務を増やせるかと言ってもそう簡単にはいかないだろうと思う。


と、資本論も共産党宣言もろくに読んでいないオレの分析ではあるが。


そしてオレがよくわかっていないのが、社会主義とはどういう形態になるか、ということ。
まず、ロボットを使うことで、社会主義が達成したかった、搾取の解消、が達成されるのではないか、ということ。
そしてもう一つ、利益第一主義の克服は、生産手段の社会化、によってなされるのか、ここが疑問。これを言い換えると、生産手段の私有化が利益第一主義の本質、となる。よって「所有」という概念について考察を加える必要が見えてきた。所有するということはそれに対する欲望?が無限に膨らむのか、など。


文責:ぽてち腹