安倍晋三をどう考えるか | 岐路に立つ日本を考える

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 私は日本を世界に誇ることのできる素晴らしい国だと思っていますが、残念ながらこの思いはまだ多くの国民の共通の考えとはなっていないようです。
 日本の抱えている問題について自分なりの見解を表明しながら、この思いを広げていきたいと思っています。


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 安倍総理をどういう人物としてみるかという点への関心が高いように思います。そこで今回は、私が安倍晋三という人物をどう考えているかについて、簡単にまとめさせていただきました。

 私は安倍総理は、極めて普通の人なのであって、一貫した確固とした哲学などをお持ちの方ではないと思っています。ましてや日本の国を救うスーパーマンなどではさらさらないと思っています。ですから、彼が「戦後レジームからの脱却」を口にするとき、彼は本気でそう思っているのだろうと思います。ただ、彼の言う「戦後レジームからの脱却」とは、戦後の日本を覆い尽くしている体制そのものの否定などではなく、自国の歴史に誇りを持てない教育を何とか改めたいといったレベルの、実に小さいものでしかないように感じます。このあたりの勘違いがあるために、彼の政策について理解できないということが普通に起こるのではないでしょうか。

 さて、安倍総理は日本をデフレから脱却させる鍵が過小投資にあると考えているのでしょう。そしてその問題意識は間違っているわけではありません。そしてその前提にあるのは、日本企業だけに頼ってみても、国内投資が不十分である状況があります。ここから彼は、日本経済の復活のためには外資にも日本に投資しやすい環境を整備していくことが重要だと考えているわけです。国際化が避けられないという認識は、第一次安倍内閣の時のアジアゲートウェー構想の時からのものでもあります。これは「戦後レジームからの脱却」と矛盾するじゃないかと突っ込みたくなりますが、この「戦後レジームからの脱却」という言葉の持つ意味が、先ほど述べた程度に小さいものであるならば、実は矛盾もしないわけです。

 もちろん、外交における対中政策の重要性から、またマスコミ対策の面からも、アメリカを絶対に敵に回せないとの意識も働いていると思います。そのためにはアメリカの支持が絶対に必要なんだと考えているのだろうと思います。彼は戦後体制を総否定するつもりなどさらさらないわけですから、彼の中ではアメリカべったり主義と「戦後レジームからの脱却」が矛盾だなどとは全く思っていないのでしょう。

 このようにしか考えられないところに彼の限界があると思っています。「戦後レジームからの脱却」を唱えながら、思考方法は完全に「戦後レジーム」そのものでしかないわけですから。

 日本という国に誇りを持てないことには、彼は忸怩たる思いを持っているのは確かでしょう。「あれはあくまでもポーズでしかない」と言って、そこまで否定することはないと思います。端的に言えば、彼は小泉純一郎的な人物ではないのかと考えるのが適切だと思います。小泉氏も靖国神社への参拝にこだわった首相だったところも共通していますよね。だから竹中平蔵氏を重用し、竹中氏直系の菅氏を官房長官に据えたのでしょう。自民党総裁選挙における安倍陣営の選挙参謀が、バリバリのグローバリズム派の甘利氏であったのも、そういうつながりで理解すべきものだと思います。

 このような安倍氏をスーパーマンのように勘違いした側面は、私たちの側にもあったのではないでしょうか。菅氏や甘利氏を主要閣僚に抜擢しているのは、党内バランスを考えてのことだなんて思っていた人も多かったと思いますが、決してそんなことはなかったわけです。

 私は安倍氏が本当に「戦後レジームからの脱却」を目指す政治家だったとしても、政治を信頼する安倍氏に静かに委ねるという方針は間違っていると思っています。どんな為政者が政治についているにせよ、様々勢力との綱引きで政治が決まっていく現実は変わりようがないですから、国民運動を常に強めていかないとうまく回らないと思っています。

 さらに、安倍氏は我々が思い描いたような、真の「戦後レジームからの脱却」を目指した政治家ではなかったわけですから、我々が大きな運動を展開しない中で、我々が思ったように動いてくれないのは当然だったというわけです。

 安倍総理をどう見るかの頭の整理になってくれればと思います。



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