リカードの比較生産費説の問題点 | 岐路に立つ日本を考える

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 私は日本を世界に誇ることのできる素晴らしい国だと思っていますが、残念ながらこの思いはまだ多くの国民の共通の考えとはなっていないようです。
 日本の抱えている問題について自分なりの見解を表明しながら、この思いを広げていきたいと思っています。


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 これから数回にわたって、自由貿易やグローバリズムの進展が好ましいかどうかについて考えていきます。

 自由貿易を行うと貿易に関わった双方の国にとって利益があるというのは、当たり前のことのように言われています。確かに日本人がバナナを食べたいと思う一方で、南洋の人がりんごを食べたいと思っているとしても、日本で無理矢理バナナを栽培しようとしたり、南洋の島でりんごを栽培しようとするのはバカげているでしょう。それぞれの地域の気候や風土に合ったものをそれぞれの地域で栽培し、貿易を通じて交換するというのは、こういう点では合理的だといえます。

 自由貿易がよいとする考えは以上のような直感から来ているものだと思いますが、このような直感レベルを超えた理論化を行ったのが、リカードという経済学者です。リカードは比較生産費説(比較優位論)という議論を展開して、貿易はどんどん拡大させた方がいいんだと主張しました。リカードはラシャ(ウール製品)とワインの生産コストがイギリスとポルトガルでどうなっているかを、架空の例で示しながら、議論を展開しました。

 リカードの議論の面白いところは、ラシャとワインのどちらを作るにしてもポルトガルの方が効率的であったとしても、ポルトガルはワインに特化し、イギリスはラシャに特化した方がお互いに利益があるという結論を引き出していることです。ラシャとワインのどちらにしてもポルトガルが優位だからということで、ポルトガルだけで両方とも生産するようにすると、イギリスの労働力が全く活用されないことになってしまいます。こうして生み出された労働の成果をポルトガルとイギリスで分けるよりも、イギリスの労働力もできるかぎり活用した上で、できあがった成果をみんなで分ける方が双方にとって得ではないかというわけです。

 ワインではイギリスに対するポルトガルの優位性はぐんと大きいのに対して、ラシャではイギリスに対するポルトガルの優位性はあまり大きくないとしましょう。このときにイギリスの労働力をしっかりと活用することを考えると、イギリスにはワインで頑張ってもらう方が効率的でしょうか、それともラシャで頑張ってもらう方が効率的でしょうか。ワインでは圧倒的にポルトガルの方が有利であるとすれば、イギリスでワインを作るのはバカげているということになりますね。それよりも、まだ優劣の差の小さいラシャの方でイギリスの労働力を活用した方がよいということになるのではないかというのが、リカードの議論です。

 ワインでもラシャでもポルトガルの方がイギリスよりコスト面で優位ではあるけれども、ポルトガルではワイン生産の方がラシャ生産との比較においては優位性がより高いといえます。同様に、ワインでもラシャでもイギリスの方がポルトガルよりコスト面で劣位ではあるけれども、イギリスではラシャ生産の方がワイン生産よりも劣位性が低い(ワイン生産との比較においては優位性が高い)といえます。彼の議論が比較優位論と呼ばれるのは、こうした考え方に基づいているからです。それぞれの国で比較優位にあるものの生産に特化して、出来上がった製品を貿易を通じて交換すれば、使われないで無駄にする労働力も生まれずに、みんなが最高レベルの満足を得られるようになるというのが、リカードの議論の結論です。

 さて、一見もっともにみえるリカードの学説ですが、いくつかつっこみどころがあります。

 第一に、リカードはポルトガルとイギリスにおいて使われないで無駄にされる労働力がないようにすることが大切であると考えて議論を組み立てていますが、それは逆に見れば、失業者が普通に存在する中では、この比較優位の議論は成り立たないということになる点です。失業者が溢れている社会にあっては、ラシャの生産にしてもワインの生産にしても、イギリスよりも優位にあるポルトガルでできるかぎり生産しようとする方が適切だということになるからです。有利な国と不利な国に分裂することなく、国際分業が安定的に平和的に成立するというのは、現実の世界においては奇跡的な出来事だと考えた方がいいでしょう。

 第二に、それぞれの国が特化した製品の持つパワーの違いを考えていない点です。もう一度書きますが、ラシャというのはウール製品のことであり、要するに毛織物工業のことです。イギリスの産業革命においては、紡績技術の飛躍発展が大きな役割を果たしたことからもわかる通り、ラシャ生産に特化した場合にはこうした工業化による国力発展の恩恵を大きく受けることができます。しかしながら、ワイン生産に特化したとしても、こうした工業化による国力発展の恩恵を受けることはあまりないでしょう。将来性の高い製品に特化したかしなかったかによって、国の将来に大きな影響を与えてしまうわけです。実際、このリカードの比較生産費説に大きな影響を受けたポルトガルは、工業力の観点でイギリスに大きく引き離されることになってしまいました。

 第三に、各国の独立性ということを全く考慮に入れていない点です。他国の影響を受けずに自国が存立していくためには、食料にせよエネルギーにせよ軍事にせよ、他国に大きく依存するという状態は好ましくないはずです。つまり、様々な物品の中には、効率性を重視して国際分業を促しても構わないものもあれば、そうした分業に晒すことが危険なものもあるわけです。相手国の弱みに付け込んで自国の優位を確保しようという国は必ず出てくるということを、忘れてはいけないでしょう。無理に分業を進展させて国家的な安定を損なった国が多くある状態というのは、国際社会の平和と安定にとって望ましいものではないはずです。むしろ、互いの国家の安定性をまずは確保できるようにした上で、足りないものをお互いに補い合うような形の方が、国際社会の平和と安定には大きく寄与することになります。

 このように見ていった場合に、自由貿易の促進やグローバリズムの進展があたかも国際平和の促進につながるかのような議論は、あまりに単純すぎるということに気がつくのではないかと思います。むしろ、自由貿易やグローバリズムを国内の反対派を押しきるような強引な形で進めていくと、却って国際的な平和と安定に対して危険性が高くなることに、我々は気付くべきではないかと思います。

 TPPへの交渉参加に際して、安倍総理は「守るべきものは守り、攻めるべきものは攻める」という発言をされましたが、上記の観点で考えればわかるとおり、このようなけんかを行うかのような発想で国際分業を考えるものの見方は不健全です。それぞれの国が外国からの圧力に晒されることなく、自国にとって気持ちのいい形で市場を開放し合い、相互利益を得られるような国際環境を作っていくことにリーダーシップを発揮するのが、むしろ日本に求められている役割ではないかと思います。


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