「沖縄タイムス」に以下の記事が載りました。
【宜野湾】沖縄平和運動センターのメンバーら約20人が2日、普天間飛行場南側の森川公園でたこを揚げて抗議した。オスプレイが普天間に着陸する直前には大謝名からも揚がった。野嵩ゲートで座り込んだ人は「もっとたこや風船を揚げ続けるための募金を集めよう」と呼び掛け、約130人から約7万円が集まった。山城博治事務局長は「県民が本気になれば、オスプレイを止められる」とたこ揚げや風船掲揚を広く呼び掛ける考えだ。
森川公園ではフェンス越しに海兵隊憲兵隊が軍用犬を連れて警戒、公園を管理する宜野湾市職員や警察官が約20人訪れ、たこ揚げを遠巻きに見ていた。
飛行ルートに住む宜野湾市愛知の男性(44)はこの日早朝の野嵩の抗議集会に訪れて知り、たこ揚げ行動に賛同。「気合を入れてたこ揚げするなんて、沖縄の悲しい状況があるが、意思表示したい」と話した。
伊波義安さん(70)は「戦後67年の怒りが爆発するのはこれからだ。沖縄の人が誇りを持って扱われるまで終わらない」と話した。
http://article.okinawatimes.co.jp/article/2012-10-03_39770
この記事を読んで、私は狂っていると思いました。オスプレイ反対派は、「オスプレイは墜落の危険が高いから、沖縄県民の安全を考えて配備をやめよ」と言っていたのだと思うのですが、その反対派が、オスプレイの事故を誘うようなことを敢えて行っているというのです。こうなると、オスプレイ反対派がなぜオスプレイに反対なのかは、「墜落の危険が高く、沖縄県民の安全を脅かすから」という理由では実はないと考えざるを得ません。
この記事を見て、私がすぐさま思い出したのが、宜野湾市立普天間第二小学校のことです。米軍の普天間基地に隣接する小学校のことだといえば、頭に浮かぶ方も多いと思います。
いうまでもなく、基地の隣地にあるという立地は、子供達の安全に多大なリスクが伴うものです。実際、昭和57年のことですが、小学校から200メートルくらいのところに米軍ヘリが不時着し、炎上するという事故もありました。
こうなれば、当然、そんな危険な小学校は移転させるべきだということになるはずです。実際にこの普天間第二小学校は、当時米軍との交渉の結果、今の位置から約1キロ離れたところに移転先が用意されました。具体的には、米軍家族用の軍用地のうち8000坪を校舎用に日本に返還することとし、防衛施設庁との協議で移転費用も確保したわけです。
ところが、小学校の移転は最終的には認められませんでした。それはなぜか。「平和運動家」たちの猛烈な反対に遭ったからです。小学校の移転を認めるというのは「基地の固定化につながるからダメだ」というのです。
そんなところにある小学校に通わなければならない子供たちや、そんな小学校に子供たちを通わせなければならない親たちの気持ちを、「平和運動家」の方々はどう考えているのでしょうか。
Wikipedia によれば、普天間第二小学校は「米軍普天間基地に隣接するため、怒鳴るような会話が必要などの、教育活動に支障をきたす騒音被害が存在する」といいます。つまり、事故が発生しなかったとしても、日常の教育上も問題のある小学校です。
このような小学校を、移転先も移転費用も確保できているのに移転させないようにするという神経が、私には理解できません。
当然ながら、米軍に出て行ってもらいたいという立場は、一つの見識としてあってよいと思います。ですが、子供たちを危険に曝さないとこの運動が維持できないというのであれば、そんな運動はやるべきものではないでしょう。常識的な対応を取ったのでは支持が集まらない運動であるなら、そのような運動がもともと国民や県民の意識と乖離していることを、自ら認めたようなものではないでしょうか。
この記事を書いた沖縄タイムスの記者にしても、自分がどれほど非人道的な立場に立っているのか、理解できていないのでしょう。イデオロギーというものは、人の目を曇らせるものなのだということが、この例からもよくわかります。「目を覚ませ」と言わずにいられません。
米軍基地の周辺で凧揚げを行うなど、常識的に見て言語道断ですが、これを取り締まる法律がないのであれば、早急に制定する必要があります。政治においても、こういうことに及び腰であるのは、もうやめにしてもらいたいです。
そして、普天間第二小学校の移転を阻止しているのが沖縄の「平和活動家」たちであるということを、マスコミはどうして報道しないのでしょうか。このような歪みの構造を当然知っているはずなのに、この歪みを利用して米軍を非難するというのは、あまりに姑息で許せないやり方だと、私は思います。
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