民間防災 「防人 司」のひとりごと・・・

民間防災 「防人 司」のひとりごと・・・

民間の「危機管理者」として行事の「保安計画」「地区防基準」策定のお手伝い、活動グッズの企画・販売を手がけています。
各地で「民間防災」を起動する「防人」を募りながら、趣味や特技・資格・職域での非常時活動体の構築にもお手をお貸ししています。

MCタレント(タレントチームSWAT所属)時代に犯罪と災害の話題を盛り込んだトークがキッカケで、1988年に「セキュリティチームSWAT」を併設。
若いころから福光大火(1979年4月11日)、信越豪雨での崖崩れ(新潟県青海・天城峠・安房峠)、日航機墜落(1985年(昭和60年)8月12日)時は新潟県糸魚川市にて滞在。
この当時にはすでに青色のパトライト(佐々木電機/現:パトライト社)を車に装備していた。
1995年 阪神淡路大震災時は物流の大動脈路線(R2号線・R161号線)での交通情報を無線(900MHz帯)を使って支援。これを機に、温めていた無線通信での活動素材発表(災害機動通信隊)に向かう。
同時に活動素材を考える企画室としての立ち位置を定め、活動名称を「民間防災」とした。
1999年には約一年間続いた連続車両放火事案に対応。直轄活動時のトレードマークを作製。
2000年以降は【総合企画室】として、「防災人万人化」を目的とする「活動者のための素材」作りに比重を置く。

 

随時ご報告があろうかと思いますので、聞き耳をたてておいてくださいませ。

 

半島災害というのは平たんな地での広域被害とはまた違う「広範囲被害」だと思う。

人の集まる先までの距離の長いこと。その間には斜面崩落などで封鎖されていたり、迂回の出来ない状況が特有。

冬場でも狭い山道の先が土砂や倒木で塞がれて、バックでしか戻れなかったときは心細かったよな~

 

そういうシーンを経験すると、速度も落としながら先を見張りながら走る心構えも出来てくる。

「怪しんで走れ」が備わるんだ。

 

幾度となく、21世紀になってもまだ地面を走る車。いいかげん空中浮遊ぐらいできないものか?と考えてしまうのでした。m(__)m