「埋もれ木」 | こだわりの館blog版

「埋もれ木」

埋もれ木

8/7 シネマライズ にて


小栗康平
は、この9年ぶりの新作でいよいよ“スゴイ”領域にまで到達してしまったんだなぁ…


監督・脚本:小栗康平
出演:夏蓮、登坂紘光、浅野忠信、坂田明、大久保鷹、坂本スミ子、他


この「埋もれ木」は1時間半強の決して長くない上映時間ではありますが、
とにかく最初から最後まで、通常の映画文法や
我々が持っている(決め付けている?)映画の常識を根底から覆しながら進行していきます。
しかも“それ”が決して「スゴイ事をやっているんだぞ!」という大げさな肩肘張ったところは全く無く
淡々とまるで“それら”が事実で、常識の世界かのように静かに深く進行していきます。


「この映画を純真無垢な子供たちに見てほしい」と言うは小栗監督自身でありますが、
「こんな難解な世界、子供たちに分かるわけないじゃない!」と思いつつ、
案外、純真無垢な子供たちだからこそ
純粋にこの展開される世界に身を浸し楽しむ事が出来るんじゃないかな、とも思わされます。
それくらい我々大人たちはハリウッド映画の【力の論理】に侵食されてしまって、
それが当たり前の状態になってしまっているのかもしれません。
小栗康平の今回のこの作品から発せられるメッセージは
静かでありながら、力強くしかも衝撃的ですらありました


  山に近い小さな町が舞台。
  舞台の地域はもちろん特定されていません。
  高校生のまち(夏蓮)が、女友達2人と短い物語を創作し、それをリレーして遊び始める。
  日本にはいないラクダの話でスタートし、彼女たちは次々と物語を紡いでいく…。


  映画はやがてこの小さな町に暮らす人々の様々な出来事をスケッチしていきます。
  それぞれが、それぞれの思いで日々暮らしている、その生活の一コマ。
  高校生たちの物語の創作もスケッチの合間合間で進行していきます。


  やがて映画は、高校生たちが創作する幻想的な話と、人々のスケッチ描写がリンクをしていきます。
  高校生たちの話の方が現実味を帯び、人々の日々の生活が幻想化していく。
  どれが現実で、どれが幻想なのかの境界線がだんだんあやふやになってきます。


  そして町に降った大雨がもとで姿を現した、太古の遺物【埋もれ木】が
  町の人々の【現実】を一気に吹き飛ばし
  【埋もれ木】の発見を祝う祭りで、この幻想の世界は現実の境界線を軽々と超えて最高潮を迎えます。
  それが現実なのか、はたまた人々の夢の産物なのかわからぬままに…。


ここには全く【常識の世界】など通用しませんから、
乗り遅れたら最後、永遠にこの世界とは付き合えません。
しかし無垢なる精神で、勘ぐるような事もせずに、目の前に展開される世界をただ淡々と見ていけば
この摩訶不思議な世界がスーッと頭の中に入ってくるから不思議なモンです。
祭りのシーンで登場するクジラと馬の大きな紙風船のような張りぼてが、
町の夜空にぽっかりと浮かぶシーンの美しさなどは格別です。
なぜ紙風船のような張りぼてを飛ばすのか?
また何の意味があるのか?
作品は全くその回答を出そうとはしません。
と、いうか回答を出そうという気すらありません。
しかし夜空にぽっかり浮かぶその姿は、純粋に美しいですし、意味も無く感動させられました
何故感動したかは、この作品と同じで私自身全くうまく説明できないのですが!


映画の常識を根底から覆すような事を、
「埋もれ木」という作品で淡々としかも静かーに成し遂げた
小栗康平という映像作家は、21世紀に入って、
映像作家としていよいよ【すごい領域】に到達してしまったんだなぁ
と思います。


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