文学座「踏台」の劇評について | こだわりの館blog版

文学座「踏台」の劇評について

10/27朝日新聞・東京本社版の夕刊に
文学座「踏台」の劇評が載ってました。
この芝居は私も当blogでベタボメしたため
「オッ、劇評で取り上げるとは、私の意見と同じ人がいたか」
と喜びつつ読み進めていくと、表面ではほめているものの
チクリチクリと苦言を言い、全体のイメージとしては
「この舞台を批判」した内容となっておりました。
(少なくとも私はこの劇評は批判と、とらえてます)
でも、その批判がどうも納得のできる内容ではないので、
本日はこの劇評を「批評」したいと思います。

10/27の劇評を読んでない方がほとんどだと思いますので
本文を抜粋しつつまずは内容を報告します。
(<>内は本文より抜粋)

4年前の「缶詰」が好評で続編が登場するのは
舞台の世界では珍しく、<従来は商業演劇畑での出来事>
だったが今回それを<文学座で実現した>。
内容は「缶詰」の<後日談>であり、<最近の水谷(脚本の水谷龍二)
の活躍>本数・内容の多様さとも<目を見張るものがある>が、
<自分を強く打ち出す姿勢はうかがえない>ためこの作品も
<のど越しはいいのだが、後味が長く残らない>。
主役の<3人組は絶好調>だが渡辺徹が<役が持ち味を生かし切れず、
新展開が弾まない>。というもの。

衛星放送やインターネットで世界の事件が瞬時にわかってしまう
今の世の中、舞台などのフィクションの世界は完全に
ノンフィクションの世界に負けてしまっています。
そのような状況の中、フィクションができる事は、
ノンフィクションがあからさまに伝えてしまう事を
オブラートに包んだり、またシニカルな視点を持つという事
でしか太刀打ちできません。

この作品も現在のサラリーマンが抱えている【リストラ】
【セクハラ】【残業】などの深刻な問題を、
あえて「笑い飛ばし」ながら描いたことで舞台ならではの「味」
が出たのではないでしょうか。

それをあえて新劇の文学座が上演したからこそ意義があるのであって、
小劇団が下北沢で演ったところで数百人のファンが喜ぶだけで、
文学座の幅広い観客層に見せたところが、
この作品のポイントなのです。

しかしこの劇評家さん(結構その筋では有名な方ですが)には
新劇の老舗・文学座が軽薄な芝居を打つことが許せない
というのがどうも根底にあるらしいです。

果たしてそれが現在の舞台に求められているニーズでしょうか?

数年前、仲代達矢率いる無名塾がA・ミラー「セールスマンの死」を
上演したのを見たのですが、過酷な労働で過労死するセールスマン
という題材を、過労死が頻繁に発生している現代に見たところで、
なんら衝撃すらも受けず、題材の「古さ」に逆に閉口してしまいました。

大入り満員のこの舞台が多くの観客の支持を受けているにもかかわらず
その現実を分析することなく、
いつまでも「ガツンと脳に響く舞台こそ演劇(新劇)」という妄想に
縛られ、新聞の劇評で堂々と批判を書いてているようでは、
この方は時代に完全に取り残されてしまうと思うんですが
…皆さん、どう思われますでしょうか。