「クラシックで行こう!」

クラシック・バイク、それもホコリを被って払っても払い切れない
クラシック・バイクを取り上げます。


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前回まででモト・グチィのレーサーについて語ってきましたが、その発達の不連続さがどうにも今一つ納得行きません

でした。


そして調べて行くうちにどうやらV2、パラレル・ツイン、直4のマシンがあったらしい事が判りました。


モト・グチィ・レーサー (内容不明 直4?)

「クラシックで行こう!」-M4-00

やはり技術は一足飛びに進歩するものではありません。


一歩一歩の積み重ねの上に成り立つものなのです。


どんなレーサーがあったのか、調べ切れなかったのは残念でしたが解かりしだい扱うつもりです。



またGPレーサーではありませんが速度記録車としてV2のマシンが作られていました。


モト・グチィ・V7・レコード (速度記録車 1964年式) 

「クラシックで行こう!」-V7R-00
エンジン形式 縦置きV2 4バルブ 


排気量 742cc 


車重 158kg


このマシンとて強大なトルク反力をどの様に処理していか、不明です。


まだBMWのパラ・レバーも出現していません。(1980年のGSから登場)


やはりモト・グチィ技術的に謎の多い会社です。(知らないのは私だけだったりして・・・。)


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 1956年レーサー市販車も殆ど単気筒車しか扱わなかったモト・グッツィが突如WGPにとんでもないマシンを

投入しました。


モト・グッツィ オットー・チリンドリ (1956~1957年 横置水冷V型8気筒DOHC 498.5cc)

「クラシックで行こう!」-V8-500-02

ジュリオ・カルカーノ設計したこのマシンは横置V型8気筒エンジンを持っていました。

( 最高出力 73hp 回転上限12500rpm )
「クラシックで行こう!」-V8-500-00

エンジンフロート室8個別体になっていました。


「クラシックで行こう!」-V8-500-01


「クラシックで行こう!」-V8-N00
このマシンは後に登場するV2マシンと違ってエンジンを横置にしていました。

これはこのエンジンが発生する強大なトルクの影響を少しでも減らすためだった様です。

もし縦置だったらとてもマシンを制御するどころでは無かったと考えられます。


1957年スパのベルギーGP286km/hと言う記録を残しています。


ライダー、キース・キャンベルの手で疾走するオットー・チリンドリ (1957年 場所不明)

「クラシックで行こう!」-KC-00

しかし、残念ながらV8には信頼性が不足し、WGPでは一回も勝てなかったと記録にはありますが、

これはエンジンだけの問題では無かったと思われます。


当時、入手出来たタイヤの性能ではこのエンジンの出力を充分発揮出来たとは思えないからです。


そのせいでは無いでしょうが、モト・グッツィはこのシーズンの終わりに14個の世界タイトル11回のTT勝利と共に

WGPから撤退しました。


V8エンジン(オットー・チリンドリ)はダスト・ピン・フェアリングと共にモト・グッツィが生んだ最後の竜
相応しい装備でした。


「クラシックで行こう!」-OTC-00
このマシンはゼッケン1を付けていますが残念ながらWGPの選手権を取ったわけではありません?


直列多気筒マシンはこの後MVアグスタHONDAWGPに投入しますがその10年も前に更に複雑

V型8気筒実現していたモト・グッツィとは大した会社です。

                                                              (この項了


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1950年代にはモト・グツィの工場は巨大になっていました。

「クラシックで行こう!」-Factry-00

そして2輪メーカーとしては初の風洞を建設しました。


風洞の模型

「クラシックで行こう!」-WDTM-00

この風洞フルサイズの車両のテストが行える素晴らしいものでした。

「クラシックで行こう!」-WT-00

モト・グツィのレーサーはこの風洞を駆使して開発したフェアリングを纏う様になりました。


1953年にはレーサーは350cc排気量に上がっていました。


モト・グツィ 350cc単気筒レーサー (1950年式)

「クラシックで行こう!」-R350-00
350ccではビル・ローマンス(スコットランド)が1955~1956年WGPの選手権を取りました。

「クラシックで行こう!」-BR-00

この当時のフェアリングダストピンフェアリングと言って前輪まで覆うものでした。


ダストピンフェアリング空気抵抗の減少には効果がありましたが、横風に弱く、事故が多発したので

間も無く禁止されてしまいました。


しかし、このダストピンフェアリングを纏った最後の龍モト・グツィによって作られたのです。

                                                              (この項続く

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