「クラシックで行こう!」

「クラシックで行こう!」

クラシック・バイク、それもホコリを被って払っても払い切れない
クラシック・バイクを取り上げます。

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 前回までアエルマッキの市販車について語ってきましたが、やはりアエルマッキといえばレーサーは外せません。


 アエルマッキ アラ・ドーロ 250 ( 250cc OHV 単気筒)

「クラシックで行こう!」-アラドーロ250-00

カウルを外すと下の映像の様になります。


「クラシックで行こう!」-アラドーロ250-01

フェンダーの塗装が違うので上記カウル付きマシンの中身ではないかもしれません。


しかし、右側の部分映像によるとカウル付きマシンとエンジンの(乾式?)クラッチ部分が殆ど同一なので間違いないと判断します。

「クラシックで行こう!」-アラドーロー04

アエルマッキのレース・マシンは設計が古く、性能的には優れているとは言いがたかったのですが、信頼性はその分、

高かった様でアラ・ドーロ 250S(OHV単気筒 市販レーサー)はWGPプライベート出場者に長く使われ続けました。


1970年(?)製作


248.3cc (72×61mm) 4st OHV単気筒 32hp/10000rpm


上の映像のマシンの性能は不明ですが、初期にはこの性能を持っていたと思われます。


いくら古臭くともやはり、レーシング・マシン 特別な輝き を持っています。


                                                 『金の翼』 の 伝説( 了 )

 アエルマッキ、この名はレースに関心のある者、レーサーが大好きな者にとって非常に心地良い響きを持つ言葉

です。


しかし、私はこの会社の前身が航空機会社であったことから、アエロマッキだとこの記事を書くまで信じて疑っていま

せんでした。(アエロ空気を表す言葉だからです。)


潜入感で物事を判断してはいけない事を教わった様な気がします。


 

 アエルマッキ・キメラ 175 (1957年 最初の量産車)


「クラシックで行こう!」-キメラ175
しかし、このキメラという名前、欧米では本来、あまり良い意味では使われません


航空機産業からイタリア敗戦によって撤退を余儀なくされ、その当事、国民の”足”として重宝されていた自転車


自分達の”宝”、航空技術無様に合わさったものとして自嘲的に付けた名前の様に思えてなりません。



アエルマッキ・キメラ 250 (OHV水平単気筒)


「クラシックで行こう!」-キメラ250-X0
(画像はキメラ250でない可能性があります。  ただ、排気管の取り回しが水平単気筒っぽいのでもしや? 

と考え掲載しました。)


 アエルマッキ・アラ・ヴェルデ175 ( 175cc 『緑の翼』の意)

「クラシックで行こう!」-アラ・ヴェルデ175-00

 アエルマッキ・アラ・ヴェルデ250 (250cc版)


「クラシックで行こう!」-アラ・ヴェルデ250-01


 アエルマッキ・アラ・ブリュ350R  ( 346ccと説明されています。  『青い翼』の意 )
「クラシックで行こう!」-アラ・ブリュー001
でも本当に『青い』塗装だったのでしょうか? 少し疑問が残ります。
「クラシックで行こう!」-アラ・ブリュー002

 アエルマッキ・アラ・ロッサ ( 『赤い翼』の意 )

「クラシックで行こう!」-アラ・ロッサー002




この次のモデル、アラ・ビアンカ(『白い翼』の意)がアエルマッキ最後の市販車となりました。(画像ナシ)


真にアエルマッキ社にとってアラ・ビアンカは『白鳥の歌』となったのです。 


1960年頃にはハーレー・ダビットソンの子会社になり、1970年には完全子会社になっていました。


画像をよく見るとハーレー・ダビットソンの銘板がアエルマッキの社名の下に付いた車体が幾つもあります。


そして1978年カジバに買収されそのオートバイ部門の母体となりました。


つまり、アエルマッキ不死鳥の様に自らを炎で焼き、その炎の中から新しい姿を現したとも言えます。


                                              ( 『金の翼』の伝説 )に続く。


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 おひさしブリです。  私、故あって ”バイクを降りました。” 当然ブログを綴る情熱も失いました。


しかし、Net上を彷徨っている内に、懐かしい、しかも非常に状態の良いクラシック・バイクに出会いました。


DUCATI エリート 200 (1959~1965年)


「クラシックで行こう!」-エリート200


「クラシックで行こう!」-エリート200両面

このバイクは200cc(一説には175ccもあった様です。)と小排気量ですが、当事の最高峰技術が盛込まれた最新技術車

でした。



当事のイタリアではモトジロ・ディイタリアに代表される公道スピード・レースが盛んでその優勝は何者にも変えがたい

有力な宣伝でした。


1955年、DUCATIの新進気鋭の技術者ファビオ・タリオーニは社長から「レースに勝つ事」とだけ書れた白紙委任状

渡され、100cc SOHC ベベル・ギア駆動の「マリアンナ(後の呼名)」でイタリア・バイク界を席巻しました。



このエリート200は その「マリアンナ」の直系の子孫です。


特にガソリン・タンクの形状に工夫があり、直線最高速度を出す時、二の腕はガソリン・タンクの側面

ガソリン・タンク上面に仕舞う凹みが付いていたのです。


このため、このガソリン・タンクは「ソラマメ」とも「ピーナッツ」とも呼ばれます。

後、忘れてならないのが片出し二本マフラーです。


エリート200 はこのマフラーでないと似合わないと思います。


しばらくぶりに「ブログ」を書く気にさせて貰いました。 有難う「DUCATI」、有難う「エリート 200」。



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( 追記 )


どなたかは忘れましたが、「エリート 200」のマフラーは純正品ではなく、アフター・マーケット品である旨の指摘を受けた事が

あります。


指摘した本人は「間違いを正してやった!」と勝ち誇っているのが文面からアリアリと伝わって来ました。


事実を伝える事」と「事実を使って誰かを攻撃する事」は明らかに違います。


私のブログを訪れてくれる人達の中にほんの一握りでもそんな「ゲス野郎」がいる事が情けなくて仕方ありません。


今まではそうした人にも「」を持って対応して来ましたが今後は徹底的に叩きますのでそのつもりで「コメント」して来て下さい。


関係の無い方々には不愉快な思いをさせてしまって申し訳けありませんでした。