街にはクリスマス・ソングが流れ、キラキラとしたイルミネーションを見ると、
何故か泣きたくなる季節である。
日本に大きな爪痕を残した2011年も、時の流れるスピードは変わらずに
いつもと同じ速さで暮れていく。

お久しぶりです!
あなたの美音です。

2009年の春に寛解してから、この上なく元気に暮らしていた。
今現在も、自分が置かれた状況を鑑みるならば、バケモノ級に元気である。

実は・・・
この夏、再発してしまった。
それはそれは、本当にショックな出来事で、
親しい友達にもなかなか打ち明けられなかった。
だって、ステージ4から奇跡的に治ったのをみんな喜んでくれたのに、
申し訳ないじゃないのーーー。

8月、定期のCT検査を受けたときのことである。
「右骨盤のそばのリンパ節に腫瘍があります」と言われたのである。

標準治療ならば、ここで「リツキサン」という薬を投与して叩き、
様子を見るのだそうだ。

「リツキサン」というのは、悪性リンパ腫の患者には夢のような薬で、
これのお陰で生き延びられる人が飛躍的に増えたのである。
「分子標的薬」といって、特定の細胞だけを攻撃するため、
吐き気もしないし、粘膜障害も起きない、
その上白血球が急降下したり、髪が抜けたりもしない。

私は2009年の春に寛解してから、2年間はこの薬を打ち続けて、
地固めをする予定であった。

しかし・・・
回を重ねるごとに、身体がアレルギー反応を示すようになってしまったらしい。
点滴をしていると、脈拍はどんどん少なくなり、血圧は下がっていき、
ぐったりと眠くなり、安楽死してしまいそうになるのである。

これは、極めて珍しいことなのだそうで、普通は回を重ねるごとに
副作用が少なくなるものらしい。

さすがに血圧の上が70を切ってしまうと具合が悪いし、
なんてったって、「寛解」しているのだから、無理する必要もない、
という理由で、去年の夏にリツキサンの投与を断念したのである。


でも、再発してしまったからには、もう一度リツキサンにトライしたい。
ドクター曰く
「リツキサンは、もうあなたには使えないよ。打ったら心停止しちゃう」
えええーーー!!!

「造血幹細胞移植(いわゆる骨髄移植)もね、あなたには無理だと思う。
前回の抗がん剤で心臓が弱くなってるから」
えええーーー!!!

「前回の検査から見ると、今回はすごく進行がゆっくりだから、
いきなり強い抗ガン剤を投与しても効かないかもしれない。
とりあえず、PET検査をして、本当にがんかどうか確かめよう」

そう、リンパ節は別にがんじゃなくても腫れることがあるのだ。
まるでVIP待遇のようなPET検査に出かけた。
夏の暑い日だった。

結果は・・・・。

「それがさー、我々も予測してなかったんだけど、肺がんが見つかった」
えええーーー!!

「これが本当に肺がんだったら、まだステージ1だし、即手術なんだよね」
えええーーー!!

「部位がリンパ節の腫瘍から離れているから、肺がんの可能性もあるけど、
ウチの呼吸器チームと検討した結果、やっぱりこれは肺がんじゃなくて、
リンパ腫が肺にも出ちゃったんだろうと・・・」
えええーーー!!!


もちろん私は「えええーーー!!」以外の言葉も発したはずだが、
覚えていないのである。

というわけで、リンパ節に腫瘍ができ、しかも肺に転移(浸潤)した状態で
再発を宣言されたのである。またまたステージ4である。
『絶賛再発中』なのである。

できるかぎり、入院はしたくない、という私の我儘と、
現時点で大量の抗がん剤投与は、メリットよりダメージの方が大きい、
という理由で、経口の抗がん剤を投与している。
1回投与したら、骨髄抑制が激しくて、なかなか2クール目に進めず、
やっと今月2度目を投与した。


・・・・
という話を、私が他人から聞いたとすれば、ほぼ寝たきりの病人を想像する。

現実には、私は働いている。
職場には再発したことを内緒にしている。
今年は、何度も球場に足を運び、大好きなライオンズを応援したし、
友達と映画やライブにも出かけている。

先生に何か質問は?と訊かれ、
「忘年会シーズンだけど、お酒飲んでもいいですか?」と尋ねた私は
やっぱり能天気なのか??

寛解してからの2年と少し、私はとても幸せに暮らしていた。
結婚してくれるような恋人が現れなかったのが、つくづく残念である。
病床で手を握ってくれる彼氏や夫がいないならば、
入院する甲斐がないじゃないのっ!!
泣いちゃうぞーー。

「Alone Again」ギルバート・オサリバン

前回の更新から、ずいぶんと時が経ってしまった。
闘病ブログの場合、途中で途切れると、
「もしや?もしや?」と心配になる。
心配して頂いた方、ありがとうございます。

おかげさまで私は元気である。
毎週、ラジオのパーソナリティをやって、
不景気ながらもナレーションの仕事を受け、
年末年始はお酒を飲みにも行った。

「実は大病をしたのよ」という話になると、
「お酒好きだものねぇ。肝臓でしょ?」
と言われるくらいに元気だ。


一方で、悲しいニュースもある。
ブログを始めた当初、いろいろな方の闘病記から、
元気を頂き、励まされた。
みんなに希望を与えてくれたブロガーさんが、
天に召されてしまったり・・・


1月生まれの私は、つい先日誕生日を迎えた。
3年前で終わってしまったかもしれない誕生日を、
無事に何事もなく迎えて、
周りにいる友人たちに沢山お祝いをしてもらった。
本当に嬉しかった。


その私の誕生日に、彼が天に召された。


知り合ったのは、3年前。
重い患者しかいないガン病棟。
お互いに第4期のがん患者で、彼は虫垂がんだった。

背が高く、ハンサムで、穏やかな人だった。
私は自分自身が破壊されるだけで、
なかなか効果が表れない抗がん剤治療に悲鳴をあげていて、
病人である自分にも、
負のオーラが漂う病棟にもうんざりしていて
絶望していた。

お互いに入退院を繰り返す身であった。
どちらかが入院しているときには、
通院する度に互いの病室を見舞った。

入院時期が重なる時には、お互いの体調がいいときに、
公共スペースで待ち合わせをして、
消灯になるまでずっとずっとおしゃべりをした。

時には、病院の食堂でデートを楽しんだりもした。

彼はすでに余命を告げられていたが、
なぜか私よりも元気で、活動的で、
いつもいつも励ましてくれた。

二人とも家にいる時には、毎晩電話をした。
私の携帯がソフトバンクなのを知った彼は、
「専用ホットライン」だと言って、
わざわざソフトバンクに加入してくれた。

音楽の話。
映画の話。
世界中を旅してきた彼の冒険談。

尽きることのない話で、暗く長い夜を満たしてくれた。

私が涙を流すたびに
「僕が元気だったら、抱きしめてあげるのに」と笑った彼。


最後に会ったのは、都心のホスピス。
彼がリクエストしたCDを持って行った。

やせ細った手を握ったら、目に涙を浮かべた。

それから彼は、神奈川のホスピスに移っていった。
疲れてしまうから、お見舞いには来ないでくれ、と言われた。
私の身体を案じてくれたのもあるだろう。

それから電話も途絶えた。
しゃべっているのがしんどくなったらしい。
メールの文章には、壮絶な苦しみと闘いながらも、
生きることへの希望や、
生命そのものに対する愛があふれてた。

私には、頑張って生きろと。
苦しいことも悲しいことも生きていればこそ、
生きることを謳歌しろ、と。

メールだけのやりとりも、去年の暮れは、
ご家族の代筆だった。


彼が逝ってしまったのだと知った時、
私は動転してしまって、涙が止まらなくて、
こんなときに、いつも彼に電話してしていたのだと
胸が張り裂けてしまった。


よく頑張ったね。
今まで、本当に頑張って生き抜いたね。
何度重ねても、足りないけれど、本当にありがとう。
安らかに、ゆっくり休んでね。

いつか私が天国に行ったら、またデートしようね。

「You light up my life」 by Debby Gibson


すっかりご無沙汰してしまった。
私は、とても元気に毎日を過ごしている。

先月の終わりには、CT検査があった。
画像検査の結果は・・・

なんと、こちらも異常なし!!

以前は、体重の10%以上が腫瘍だと言われたのに、
びっくりである。

血液検査の結果、1年数か月ぶりに
白血球が3000に届いた。
何よりもスカスカだった「好中球」というのが増えて、
「生モノ」を食べても良し!と太鼓判を押された。

やったー!!!

お寿司を食べよう!!
本当は一緒に喜んでくれる人と食べたかったけど、
世の中、そんなにうまくはいかない。

駅前の「京樽」で、ネギトロ巻きを買って、家で一人で食べた。

今まで食べた中で最高のお寿司だった。
一生忘れられない美味しさ!!

・・・なんて安上がりな私・・・。


もうひとつ!!
髪が伸びてきた。
私は、元々、茶色っぽいストレートな地毛であった。

「抗がん剤とステロイドで髪質が変わるよ」
という話は聞いていた。

新しく出てきた髪は、後ろの方がクルクルの天然パーマで、
前髪がものすごい縮毛である。
しかも、太くて剛毛でまっ黒ある・・・。

ツルッぱげだった時には、
「どんな髪でも生えてきたら愛そう」と思っていた私だが、
このままじゃ、ヅラを脱げないーーー!!

一年半ぶりに美容院に行って、少し明るめの色にカラリング。
凄腕の美容師さんに、カットしてもらった。

しかし、ザンバラに生えている髪は、
スタイリッシュにはならない。

横が長くて、前髪が短いその姿は・・・
ルパン3世のようなのだ!!

「これは、縮毛矯正をしないと、自分では無理かも」と言われ、
その2日後、縮毛矯正をしてもらう。

華やかな巻き毛のかつらとのギャップを
少しでも埋めるため、まつ毛のエクステをしてもらう。
まつ毛もずいぶん生え揃ってきた!!

「できるだけ派手にして下さい」というリクエストで、
ものすごく気合いの入ったまつ毛になった。

縮毛矯正をしたら、せっかくカラリングした色が消えてしまい、
さらにその2日後に再度カラリング。


去年の夏はずーっと「かつら」と「マスク」で、
その暑苦しさは、何かの罰ゲームのようであった。

髪が抜けてから、お風呂に入る以外は、
いつもかつらか帽子を被っていた。

スタジオ・ナレーターやDJの仕事は、ヘッドフォンを使う。
かつらは、ものすごいストレスだった。

仕事のクライアントさんや、制作会社には、病気を伏せてある。
だからせめて、プライベートではかつらを脱ぎたい!!

かつらを脱いで出かけたら、あまりの快適さに涙が出た。

迷いに迷ったあげく、思い切って仕事にも出かけた。
がん友の言葉、
「私だったら、嬉しくて脱いで行っちゃう」に
背中を押されたのである。

不格好でもゴワゴワでも、この髪は、私が「闘いに勝った」証し。
誰に恥じることもないのだと。

あるディレクターさんに
「ショートカット、すごーく似合うよ」と言われ、
お世辞でも嬉しかった!!

もうヘッドフォンも怖くない!!


抗がん剤で髪の毛が抜けてしまうのは、
どんな慰めも、心に届かないほど傷つくものである。

今、抜けてしまってる人もいるであろう。
「かつら被ればいいじゃん」って軽く言われるけど、
毎日、24時間、何かを被っているのは、本当につらいもの。

でも、「髪は生えてくる」。
抗がん剤が終われば、必ず生えてくる。

闘病に最中には、とてもとても前を向けないこともあったし、
「心を強く持って」と言われても、
何のために強くならなければいけないのか、
正直言って、わからなかった。

それでも、病気になって、いろいろなものが見えてきた。
何のために生きるか、いかに生きるか、
そんなことがわかってる人はほとんどいない。

「生きているそのもの」にこそ、価値があるのだ。

偉そうなことを言える立場ではないけれど、
せっかく生まれてきたからには、人を愛して、
人に喜ばれる仕事をしたい、と思う、今日この頃・・・。


このブログを読んでくれた、すべての人の物語が
「ハッピー・エンド」でありますように。
私の大好きな曲を送ります。

Joe Jackson 「Happy Ending」


・・・。
で、気になるその他の毛は・・・

髪より早く元に戻った。
しかも、剛毛・・・。

一昨年の暮れに闘病を始めてから、多くの「同志」と知り合いになった。

その中でも、特別に仲の良いのが、TさんとSさん。

Tさんは、私と同じ、悪性リンパ腫の女性だった。
私がステージ4であったのに対し、彼女はステージ1。
彼女の方がずっと病状は軽く、見通しも明るかった。
一昨年の暮れ、同じ日に、同じ抗がん剤で治療を開始した。

病院の年末年始。
余程症状が重くなければ、殆どの患者が一時帰宅する。

ちょうどその時、強烈な副作用と発熱に襲われ、
「一時帰宅」など、程遠い状態であった私たちは、
病院で年末年始を迎えた。

緊急入院のその病棟では、二人だけであった。

クリスマス、大晦日、お正月・・・。
病院の淋しさは格別であった。

大晦日の夜、共有スペースの大画面テレビで、
遅くまで二人で「紅白歌合戦」を観た。
「紅白を見るなんて、何年ぶりかしらね」なんて言いながら。
消灯時間をとっくに過ぎても、看護師さんにも注意されなかった。

元旦には、病院の最上階から富士山を見た。

「もしも、ひとりぼっちだったら、心が折れていたね」

その後、何度もその時のことを思い出してはそう言いあった。


夜には、病院の窓から、ライトアップされた東京タワーと、
東京ドームホテルが見えた。

「私たち、なんでこんなところにいるんだろうね。
どうせなら、ここが東京ドーム・ホテルだったら良かったのに」

「お互いが良くなったら、東京ドーム・ホテルまで行ってみない?」
「どうせなら、帝国ホテルに行きましょうよ」
「そうね!帝国ホテルに泊まるのは無理でも、お茶ぐらいできるね」

「帝国ホテルでお茶」は合言葉のような約束になった。

抗がん剤と放射線治療で、彼女はぐんぐん良くなった。
なかなか効果が出ない私を尻目に、
Tさんは、夏には温泉旅行に行ってたほどだ。

「待ってね。私ももう少ししたら、良くなるからね」

私が入院している時に、彼女はいつも来てくれた。
元気になった彼女が病室に入ってくると、
まるで厚い雲の切れ間から、太陽が射し込んだように明るくなった。


今年に入ってから、彼女の病状は一変した。
今度は私が通院の度に、彼女を見舞った。

そして先月、彼女は転院することになり、お見舞いに行くには遠い、
彼女の地元の病院へと移っていった。

お魚の美味しい漁港にあるその病院いる彼女と、
電話で話をした。
「いつか、美味しいお魚を食べさせてあげるから、
彼氏を作って遊びに来てね。
でも、その前に『帝国ホテルでお茶』だからね」


携帯に電話をしても、メールをしても、ご家族が対応するようになった。
ご本人は、電話に出られるような状態ではなくなってしまったのだ。

そして、連絡が途絶えた。


闘って戦って、頑張ってがんばって、
それでも力尽きてしまって、彼女は天国へと旅立った。

私は、まるで私の半分が死んでしまったように感じ、
久しぶりに、沢山泣いた。
涙は、まるで尽きることがないかのように。

なぜ、私たちはあの「約束」を果たせなかったのか。
二人とも体調の良かった午後に、
ほんの少しだけ、病院を抜け出せば良かった。



もう一人のSさんは、Tさんが病院で私に
「お見合い」させてくれた男性である。
彼は消化器のがんだが、全身に転移していた。

もしもお互いが健康だったら、恋人になったかもしれない。
もしもお互いが健康だったら、知り合うこともなかったが。

去年の今頃、治療と失恋の痛手で、くじけてしまいそうな私を
いつもいつも励ましてくれた。
彼は、その時既に、「余命宣告」を受けていたのだが、
私よりはるかに元気だった。

「髪の毛なんかなくても、あなたは魅力的だ」と言ってくれた。
嘘でも嬉しかった。

私がまるで口癖のように「海が見たい」と言ったのを
覚えていてくれて、江の島から病院に電話をくれたこともあった。

電話越しに「潮騒」を聞かせてくれたのだ。


彼はホスピスへと移った。
私は何度か、そのホスピスに足を運んだ。
すらりと背の高い彼は、まるで半分の大きさになってしまったように見えて、
病院から出ると、私はいつも涙を流した。


そんな彼から電話をもらった。
実家のそばのホスピスに転院した、と苦しそうに、途切れ途切れに。
そして、もうお見舞いには来てくれるな、と。

病院が遠くなってしまったし、私の体力も心配してくれている。
それ以上に、もうここから先は、見せたくないのだと。

「海を見せてあげられなくて、ごめんね」と。


Eric Clapton 「Tears in Heaven」



「これを持ってCRとします」

主治医の言葉である。

CRと言っても、パチンコのことではない。
「完全寛解」のことである!!

血液のがんの場合、「完治」という言葉は使わない。
「寛解」というのである。


それは、夢のような瞬間だった。

やったーーー!!!
(もちろん、叫んだ。)


私はステージ4だった。
全身のリンパ節に腫瘍ができていた。
脾臓にも、肝臓にも浸潤していた。
数十箇所に「骨転移」をしていた。
おまけに、「骨髄」も侵されていた。


奇跡って、起こるんだー。
こんなことって、本当にあるんだー。


人生にリセット・ボタンはないと思っていたけれど、
そうじゃない。
否応なく押されてしまったリセット・ボタンだけれど、
人生は、いつ、どんなところからでもやり直せる。


今は不思議な気分である。
病気になる前よりも、今の方が幸せな気がするから不思議だ。
お金はすっからかんだし、仕事は思うようにできないし、
体力は衰えてしまって、老人並みだし、
歯を抜かれ、髪もちゃんと生えそろってないけれど、
私には、とびきりの友達がいる。

近くにいていつも励ましてくれた友。
遠い空から、私のために祈ってくれた友。
エールを送ってくれたり、一緒に泣いてくれたり・・・。

本当に大切なものは、何一つ失わなかったのかもしれない。
そんな風に思える。


白血球は、まだ回復しない。
もちろん、体力も。
これから、地固めのリツキサン投与は続く。

でも、世界は輝いて見える!!

せっかくだから、手の届きそうな夢は叶えておこうと思う。
ディズニー・シー&ミラコスタに連れてってくれる人を探さなくちゃ・・・。


私を励まし、支えてくれた全ての人に感謝します。
私も、私を愛してくれる人たちにとって、良き友でありたいなあ。

そして、病気と闘っている全ての人にエールを送ります。

♪ You just call out my name
♪ And you know wherever I am
♪ I'll come running to see you again
♪ Winter, spring, summer or fall
♪ All you have to do is call
♪ And I'll be there
♪ You've got a friend

「You've got a friend」 by Carol King