こんばんは、みなみです。
先日は、
旅立って逝ってしまった
亡き義父へ、お悔やみのお言葉、
そして、私や家族への
暖かなお言葉を本当にありがとうございました。
まだ、相変わらずお返事をすることが
できていませんが、
頂いたメッセージは一つ一つ
大切に読ませて頂いておりますです。
義父の病気がもう手遅れと宣告されてから
約1年半が経ち、
56歳という若さで
この世を去ってしまった義父では
ありますけれど、
最期はほとんど苦しむこともなく、
きっと本人はこの世を去った事など
気がついていないのでは?ってなくらいで
とてもとても穏やかな顔をして
静かに旅立っていきました。
私が旦那と結婚して
義実家の嫁となってから8年以上の
時が過ぎ去り
今日という日を迎えるまで
それはそれは、数え切れないほどの
たくさんの出来事がありました。
このブログを読んでくださっている方なら
ご存じのとおり、
私と義両親とのあいだには
この8年間、さまざまな確執がありました。
いや、確執しかなかったと言っても過言では
ないのかもしれません。
このブログに書ききれていないことも
そりゃもうたくさんありすぎて
消化不良おこしそうなくらいありました。
それでも、義父の病気が発覚してからの
この1年半という時間の中で
私は毎日のほとんどを
義父の側で過ごし
義父と共に歩んできたような気がします。
その時間のほとんどは
辛く苦しい事ばかりだと思っていました。
確かにそう思っていました。
実際に逃げ出した事もありました。
最期の最期では
理性を失った義父に
思い切り顔面を殴られたりもし、
病院にも通いました。
その時ばかりは
心の底から義父の最期を願ってしまいました。
思えば、約6年前のあの日、
突然 義父が仕事を辞めてきてしまってから
私の運命はこの人に
振り回され、捻じ曲げられ
時には罵倒され、蔑まれ
最後には暴力まで振るわれたけど
恨んだことがないかと聞かれれば
真っ赤なウソになり、
っていうか
恨みしかないと言っても過言ではないほどに
私は義両親を憎み恨んでいた。
これが本音だね。
でもね、
コメントで頂いたお言葉に
人はこの世を去る時に
苦しみとかそういうものを
全てこの世に置いて行くんだよって
そうお言葉をかけて下さった方がいてね、
そして、
その言葉の通り
義父は本当に本当に
とても穏やかな微笑んでいるかのようにさえ
見える素敵な顔で旅立って行ってね、
その顔を眺めながら
私はただ、義父を穏やかな気持ちで
見送ることができたのです。
そこには
憎しみや恨みの感情なんて
どこにもありませんでした。
ただ、心から
義父が穏やかに空へ昇れるように
それだけを願っている自分がいました。
自分がこんな気持ちで
義父を見送ることができるだなんて
夢にも思いませんでした。
今でも
義父に対して
何も思うことがないかと聞かれれば
私はないとは言えるほど
心の綺麗な人間ではありません。
恨んでもいるし
許せない思いだって数え切れないほど
抱えてもいる。
それでもね
あの瞬間、全てを忘れて
ただ義父を穏やかに見送れたこと。
その事実が
私の中の何かを大きく変えた瞬間だったと
胸を張って言うことができるかなと思う。
この義父の側にいた1年半。
到底、私一人じゃ抱えきれない出来事が
たくさんたくさんあった。
辛かった、苦しかった。
常に逃げ出したいって
そればっかり考えてた。
実際、逃げ出した事もあった。
なんで私ばっかりがって
何度も泣いたよ。
闘病生活を支えるって、
介護をするって
文字にするととても簡単だけどさ、
見えないゴールに向かって
延々と長距離のマラソンを走らされ続けられてる
そんな気分だった。
短距離と違ってドカーンとダメージはこないんだけど
ジワジワと、だけど確実にダメージが襲ってきて
いい加減、息切れして疲れて休みたいんだけど
ゴールなんて見えないから休むこともできず
さっさとゴールして楽になりたいんだけど
ゴール=相手の死だからさ
だんだんとゴールを望む自分が
酷く醜い人間に思えたりなんかしてね
自己嫌悪に陥ったりなんかして
もう、ゴールに辿りつく頃には
ボロボロだよねって感じで、
本当に簡単には言い表せない日々でした。
でも、無駄な事ばかりの日々じゃなかったなぁって
まぁ、今だからこそね、言えるんだけど。
でも、そう思うんだよね。うん。
あんなに憎んでいた義父を
穏やかな気持ちで見送ることができた。
それだけで
私の心は不思議なくらい軽くなったんだよ。
それだけでも
私の過ごした日々は無駄ではなかったと
そう、思うんだよなぁ。不思議だけどね。
8年間、私の義理の父でいてくれたこと
義父に感謝しています。
見なくってもいいもんも
あり得ないほど見せられた気もするけど
見失ってはいけないものも
たくさん教えられた日々だったと
心から思う。
ここまで辛い思いを自分がする必要はないと、
自分は所詮他人だからと
逃げ出すことばかり考えたけれど
逃げずに戦って、
向き合い続けたからこそ
失ったものもあった、犠牲にしたものもあった
取り返しのつかないことだって・・・
だけど、だけどね、
戦い続けたその先に今、
私はこうして立っていて
見えたものが、私には今、とてもとても大事なんだ。
それだけが真実と、
今、胸を張って言うことができるよ。
お義父さん、私を娘と呼んでくれてありがとう。
空の向こうで
ずっと我慢していた
大好きなお酒は飲めましたか?
お義父さんが食べたいと言っていた
サンドイッチ、お棺に入れて一緒に空に送ったけれど
食べてくれましたか?
「なんかひと味、工夫が足りない」と、いつものように
お義父さんが天国で文句を言ってるような気がして
仕方がないけど(笑)
誰よりも孫である息子たちを
溺愛し、可愛がってくれてありがとうね。
お義父さんが思っているような
人生にはならないかもだけど(笑)
旦那と私、2人で立派に育てて行くからね。
今までたくさん頑張ってくれてありがとう。
たくさんたくさん、お疲れさまでした。
どうか安らかに眠ってください。
そんな事を
義父を見送った空を眺めて思いました。
本当はね
山ほどいろんな事があったんだぁーーー(爆)
だって、いくら義父がもう
この世にはいないとはいえ、
あの非常識バンザイ義家族だからねぇ(苦笑)
そりゃーーもーーー
義父のお通夜、告別式の間にも
ハラワタが煮えくりかえるどころか
もーお前!
義父と一緒にお棺の中に入っちゃえYO!!
なんて超ぶっそうで恐ろしいこと考えちゃうくらいの
事も山ほどあったわけさ!
しかもしかも
葬儀の翌日にゃ
私の立場をめぐって
旦那とあるお方が(誰とは言わん)
とんでもねーバトルを繰り広げちゃったりもしたしさ
旦那なんか大暴れでさ
我が家の壁に椅子を投げつけやがって
壁に大穴あけやがったからね!
絶縁するとかどうとかまで
話しがいっちゃうほどすごいバトルだったねぇ(遠い目)
というか、まだ決着も付いてない状態なんだけどもさ、
言ってやりたいことなんて山ほどあるけど
でも
今はねただ義父を穏やかに見送りたいからね。
っつーか、それが一番大事で最優先されるべきことであって
それ以上でも以下でもないわけさ。
だから、義父の49日が終わって
義父をきちんと見送り、全てが終わるまでは
私は全てを飲み込むって決めてるんだ。
というかね、
義父をきちんと見送ることができたならば
私が望むものはそれ以外なにもないから
それがきちんとできたなら
もう全ては終わった事と割り切ると決めてるんだ。
正しいことなんて何一つないように
間違ったことも何もないと
私はこの経験を通して学んだから。
誰もかれもが
義父を思い、その結果の事ならば
結果的に私が傷ついたとしても
それはそれで間違ってなんかないんだと思うからなぁ。
まぁ、それが一般的に非常識と呼ばれる行為でもさ(笑)
あの義実家の人間にしていれば
きっと正しいことだったんだろうと思うからさ。
だから、何があったのかは
今はまだ書かないでおくけれど、
49日が終わったら爆発するかもですけど(爆)
というかね
今、もし、ここで
何があったのかを感情に任せて書いてしまったら
間違いなく私は
ブログの記事を書き終えると同時に
奴のもとへ飛んで行って
顔の原型をとどめなくなるまで殴り倒すと思うんだなぁ(爆)
なので、今はやめときます。
やっぱ、最後まで綺麗には終わんなかったね記事(爆)
途中まではいいこと、言ってたのになぁ私、
最後で超台無し(笑)
まぁ、それがあの義家族っすよ。うんうん。
そんでもって今から
更に、台無しにすること書いてもいい?(笑)
すまんねーーー。こんな私で。(大爆)
ちょうどね、義父が亡くなる数日前になるのだけど
自分の父の病気の事や
義父に暴力を振るわれたことや
そんな悲しいことが続きまくっていたせいなのか
私、ちょっと身体に異変を感じ、
とある、病院に出向き
いくつかの検査を受けてまいりました。
その結果が
金曜日に出たので・・・・
義父の葬儀が終わったばかりだけれども
私、ちょっくら病院に行ってきたのですよ。
そしたらば
腎臓とはまた別に
病気が発覚してしまいまして・・・。(号泣)
先に言っておきますが
命にかかわるような病気ではございません。
なので大丈夫ですよ・・・と
言いたいところなのだけど
私、ぶっちゃけ
腎臓の病気よりもものすごくショックを受けてしまい・・・
今、心がめちゃくちゃでございます。
本当はここで吐き出して楽になりたいし
もしかして
同じような病を抱えている人がいて
いろんなことを分かり会えるかもしれないし
いろんなアドバイスも頂けるかもしれないし、
なんて思うんだけど
どうしようも心の整理がつきません。
それに
この病気は
もしかしたら人によっては
聞くだけで不愉快な気持ちにさせてしまうかも
しれません。
人によっては傷つけてしまうかもしれません。
そして、私が傷ついてしまうかもしれません。
今はまだその勇気が私にはないので
書きたいんだけど書けません。
実は・・・
今回。発覚した病気に関して
現在、私、大きな選択を迫られております。
少ない脳みそフルに使って
死ぬほど考えてみたんだけど
答えが出ないんです。
もう少し、自分の心の整理がついたら
腎臓の事も含めて
今回の病気の事もきちんと皆様に
ご報告、っていうか・・
私の気持ちを聞いて頂けたら嬉しいです。
最後になりますが
というか最後になってしまい申し訳ありませんでしたが(泣)
今まで、義父の闘病生活の支えるにあたって
たくさんの、本当にたくさんの暖かいお言葉を
こんな私に頂きました。
そのどれもが
貴重なお時間を私の為に割き
私の事を思い、送ってくださったもので
本当に本当に心の底から
暖かい気持ちに包まれました。
何度も、本当に何度もね
こんなロクでもねー人生しか訪れない
自分なんて生きてる価値なんかあんのか?って
生きてても辛いことの方が多い人生なら
この先、希望なんてあんのか?って
この歳で一生ものの病気にまでなって
こんな人生のどこが楽しいんだよ?って
ものすっごい自分の人生を悲観した
事だって数え切れないほどあったんだよ。
だけど
そんな自分でも
ほんの少しでも価値があるのかなって
思わせてくれたのが
このブログの存在だったんだ。
このブログだけじゃ
こんな気持ちになれなかった。
このブログを通じて
メッセージを送って下ったみんなが
ずっとずっといてくれたから
私はこんなにも
前を向いて歩いてこれたんだと
大げさだと言われようと何だろうと
それが真実であり
私の心からの本音です。
本当に本当にありがとうございました。
おかげさまで
どうにか義父を無事に空へと見送ることが
できました。
このブログがなかったら
きっとこんな穏やかな気持ちで
義父を見送ることなんて絶対に出来なかったと
自信を持って言うことができるね!(それもどーなの)
ずっと心配をしてくださってたのに
義父の病状が悪化しバタバタしまくっていたので
ロクにご報告もしないままでしたが
アメンバー記事で書いた
義父に暴力を振るわれた顔面と眼ですが
眼科さんで眼底検査も
外科さんで頭部CTもレントゲンも取って頂きましたが
幸い、どこも異常はありませんでした。
今では痣も綺麗に消えてくれました。
病院で
絶対に持っていてあなたの損になならないものだから!
と力説され、頂いた診断書も
結局、出番もないまま終わりました(汗)
アメンバー記事に
暖かいお言葉、アドバイスを書きこんで下さった皆様、
その節は本当にありがとうございました。
実は、
綺麗に痣が消えたよ!と
自分の顔をアメンバー記事で公開しようと
思っていたその日に
義父が旅立っていったんだなぁ(苦笑)
というわけで、それはまた後日(爆)
長々と書いてしまいましたが
こんな私をずっとずっと
支えて下さったのは
間違いなくこのブログを読んで下さった皆様に他なりません。
こんな私ではありますが
これからも長男の嫁として
ブログを続けていこうと思っています。
どうかこれからもよろしくお願いいたします。
本当に本当にありがとうございました。
まだ、49日が終わるまでバタバタが続き
今でも義母が毎日、突撃ピンポンしてくる日々なので(汗)
しばらくは記事の更新ができそうにもありませんが
必ず、ここに戻ってまいりますので
どうか見捨てないで待っていて頂けたら嬉しいです。
いつも見守っていてくれてありがとうございます。
みなみ。