新しいMacの使い方が良くわからないので、ちょっと勉強しようと思って
ワークショップに行ってみました。
わかったこともあり、わからなかったことも多々ありなんですけど、
どうやら「音声」の世界に向かっているらしいと感じました。

そのうち原稿は「書く」のではなく、「言う」「話す」ものになりそうで。
かつての「紙に書く」から「入力する」、そして「言う」時代になるのだと。
口述筆記みたいなもんですが、筆記者はコンピュタというわけです。

キーボードもいらなくなる。で、
入力しすぎで腱鞘炎になったあの頃が懐かしくなるというわけです。

「筆力」という言葉があります。文章を表現する力のことで、ワタクシの好きな言葉ですが、
これも死語になってしまうのでしょうか。(すでに「筆」ではありませんけど)

言ったことが即原稿になるのは、便利なこともありますが、
長年ライターをやっているワタクシにはどうも……。
口ではなく、手が、文字を書く(入力する)ことでその世界を描いていましたからね。
まさに「筆力」を問われていたのですよ。

シナリオなら、やりやすいのかなあ?
もっと年を取ったら、ありがたいシステムなんだろうけど。

世の中、あっという間に変わってしまい、オバさんはついていくのに必死です(笑)。


今日の産経新聞に、「2度目のお盆 冥福祈る遺族ら」
という東日本大震災の被災地のお墓参りを伝える記事がありました。
写真は、岩手県大槌町の江岸寺の墓地。
墓石が倒れたままになっていて、そこにきれいな花が手向けられているのが痛々しい。

まだまだ終わっていないんですね。お盆は2回目やってきたのに。

先日、被災地でボランティア活動をしてきた人がいました。
私は、何もできなくて申し訳ない。
何もできないのだけれど、今日はこの写真を見て、
被災地の皆さん、犠牲になった皆さんのことを思い、祈りました。

そして、当たり前のようにお墓があり、花を手向け線香をあげることができるのは
幸せなことのだと改めて思いました。
「今度、食事でもしようよ」
「また会いましょうよ」
なんて別れ際によく言いますよね。

ワタクシたち世代は、そう言っておいて何年も会わなくても、
どこかで会えるだろうから、まっいいか、と思っちゃうけど、
老い先短くなるとそうもいかない。

と思って、年老いた母とおば(母から見ると義弟の嫁)を
会わせたいと、ふたりの娘たちは前々から考えていたのですが、
今日やっとそれが実現しました。

楽しそうに語らい、
最後はふたり肩を並べて微笑んで、良かったですわ。

このことをふたりともいつまでも忘れないでいてほしい。
そして元気で長生きしてほしい。
娘たちからの希望です。


実家近くの墓地では、朝から皆さんがお掃除。
ああお盆なんだ。

都会にいるとそうは思えないけど、
田舎にいると、亡くなった人が本当に帰ってくるような気がしてくるよ。