歴女のミモちゃんは神社仏閣巡りも好きだけど、実は大の
巨岩フェチ!
巨岩、磐座(いわくら)LOVE なの
枚方のミモザ宅から車で、同志社大学の田辺キャンパスを横切り、木津川を渡って川に沿って東へ~。
南山城、といわれるこの辺りには、たくさんのいいお寺や仏像がいっぱいなんです。
ちょうど今、奈良国立博物館でやっている
「解脱上人貞慶 -鎌倉仏教の本流ー」の貞慶(じょうけい)さんゆかりの笠置寺へ
笠置という名前の由来は、「今昔物語集」にあります。
天智天皇の子、大友皇子が狩りにやってきて、岩から転落しそうになった時、「山の神よ!私を助けて下さったら、岩に弥勒像を刻み奉ります!」と祈ったら助かりました。
皇子はこの場所を忘れないために、自分のかぶっていた笠を置いて、約束通り後日戻ってきて岩に仏を刻んだのでした。
現実には、巨岩の前から弥生時代の石剣が発掘され、2000年以上前から笠置山の巨岩は信仰の対象だったんです。
その後、時代は下り、山全体が、修験行場として栄えました。
笠置山の本尊は、高さ16メートルもある磨崖仏です
後醍醐天皇が笠置山に逃げて来られた時に、鎌倉方に攻められて、山ごと火で焼かれてしまったんですって
それで、今は、弥勒如来の光背だけしか残っていません。
でも、すご~~い迫力です!!
↑千手窟
東大寺のお水取りとも関係が深いんです。
なぜかというと、この辺りは渡来人が多く住んでいて、いろんな技術者がいたこと。
また、下を流れる木津川を使って、東大寺を建てるための大量の木材を信楽辺りから調達させたからなんですよ。
ずんずん歩いて行くと、またまたでーっかい磨崖仏が!
高さ10メートル、幅8メートルの虚空蔵菩薩!
こちらはきれいに線が残っています。
どうやって彫ったんでしょうね~!
まだまだ巨岩のオンパレード!
↑後醍醐天皇が鎌倉方と戦うために運ばせたんだって~。
人の力で動く、って書いてあるけど、動かないよ~~~!
↓ていうか、こんな山の上まで運んでくる方が手間だったんでは!?
↓高さ288mですが、三方を川で囲まれた、今でも天然の要塞、という感じ。
↓頂上に到着~!
交野にある交野山と全く同じ、花崗岩の巨岩が!
交野山は登れたけど、この岩はつるつるで登れな~~い!(お尻失礼!)
↓ちなみに、こんな感じなんですけど。
もっと左にでっか~~~いのだ!
↓これは、その巨岩の下にある、また別の巨岩。
こっちは崖っぷちに突き出していて、足がぶらり~~ん
↓後醍醐天皇って、京都からまずここに逃げて来られたのね。
上は、平らになっていて、建物が立っていたんだなってわかりました。
とても迫力ある磨崖仏と巨岩がいっぱいで、新緑の香りに包まれて気持ちよかったです。
この南山城は、京都と奈良の中間にあって、観光化されていないところがすごく落ち着きますo(^-^)o
続きはもちろん、ランチ編♪
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