「12年の悲しみ」に終わりの日が来ることを‥‥ | ダウン症児のママはシンガーソングライター MIMOの「ギフト」な日々

ダウン症児のママはシンガーソングライター MIMOの「ギフト」な日々

ダウン症の愛娘の子育てと、シンガーソングライターとしての音楽活動を楽しんでいます。
みなさんが元気でやさしくなれる情報をお届けいたします!

私の妊娠生活は、
はっきり言って、
思い出したくもないほどだ。

重症妊娠悪阻(つわり)で入院、
退院後も食事は全部吐いて、
水分さえ摂れず、
妊娠七ヶ月まで点滴に通っていた。
それでも、
「産めばすべてが終わる!報われる!」と、
それだけを信じて、
お腹を撫でて耐えていた。

たまたま8ヶ月検診で受診した時に、
あーちゃんの心音が停止していた。
緊急帝王切開で仮死状態で生まれた。
1000g足らずの超未熟児だった。

生まれた時のカルテには、
16個の病名が。
それでも大きくなれば大丈夫!
そう思っていた矢先、
生後3週間でダウン症の告知。

一度は落ち込んだが、
大丈夫!
家族で愛情注いで育てていこう!
そう誓い合った。

そしてあれは12年前の9月、
あーちゃんの異変を感じ、
飛び込んだ病院の検査結果を見て、
医師からこう告げられた。

「今すぐに入院、治療が必要です。」

「ですが治療により、
 いろんなリスクが伴います。」

待合室の長椅子に戻った私は、
うなだれながら、

「なんで‥‥なんで私ばっかり‥‥
 なんで‥‥あーちゃんばっかり‥‥
 報われない‥‥報われないよ‥‥」

そう一人、呟いていたそうだ。

あの時、一度だけ、
「あぁ‥‥この世界が終わればいいのに。
 消えてなくなりたい‥‥」
そう思ってしまった。

でもそうしなかった。
「そうさせなかった人たち」がいたからだ。

あの時、
どれだけたくさんの人たちに、
私たち親子の命を、
繋ぎ止めてもらったのだろう‥‥。

ありがたかった‥‥。
生きなきゃダメだ!
絶対に諦めるもんか!
親子共に、
生きる覚悟をさせられた。

本当に幸運なことに、
治療は成功した。
だが「経過観察」と「投薬」には、
これから「年単位」が必要と言われた。

そして今日、
あれから12年の月日を越えて、
すべての治療、検査、追跡外来を、
「うん、これで全部卒業だな」
この医師の言葉に、
溢れ出る感情が止まらなくなった‥‥。

12年待った言葉。
それがいつになるかも分からずに。
でも決して諦めることなく、
ひたすらに待ち続けた言葉。

こんなにうれしい「卒業」が、
人生の中であっただろうか‥‥

もしもタイムマシンがあったのならば、
あの日の絶望した私を抱きしめたい。
そして今日の私の幸せを伝えてあげたい‥‥。

「終わりの日は必ず来るからね。」

悲しみの終わりの日。
それが「今日という日」だった‥‥。

今まで私たち親子に関わってくれた、
愛と励ましを注いでくれたすべての方々に!
いや、世界中の人々に!

心から「ありがとう!」と叫びたい!

生きたから「今日という日」があったのだ。
生きててよかった!
本当によかった!

これからも、
悲しみはいろんな形で訪れるだろう。
でも、どんなことがあっても、
希望を捨てることなく、
ただただ前を向いて生きていこう。
私たちならきっと、
どんなことも越えていけるはずだ。
今日という日に、誓いたい‥‥。