mimivoiceのボイス

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「どーでもいいようなこだわり」だとか、
「なんとな~く好き」や「なんかこれキライ」。
それって結構重要だったりするんだよね…。

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今日、市役所の子育て支援課に行ってきた。


7月で3歳になる娘の保育園の相談。


今月の待機児童の数が60名と聞いて思ったこと。



何が『子育て支援課』だ!!!



数年前に建てた、その新しく役所の敷地内にせめて市の職員用の

保育室でも儲けたらどうだ!!


その分、数十名は保育園に入れる。



というのも・・


巷では幼稚園も3年保育が増えているようで(わたしが子供の頃はみんな2年だった)

いつも遊んでいる娘のお友達は、来年の春から幼稚園に行くという。


段々と「お友達」が楽しくなってきた娘。


幼稚園は保育料も高いし、父母が参加する行事か多い。

そこで、「うちは保育園で良いよね」という結論になった。



自営業だから、保育園に預けることはいつでも可能だけれど

何かが引っ掛かって、今まで申請しなかった。


もちろん早起きして、保育園に送っていき、夕方迎えに行かなくてはならないのも

少し面倒だと思っていることもある。

それ以上に毎日娘と二人で過ごす時間が長すぎてストレスになることもある。


「もう、気が狂いそう!」と2歳になる前に息子を保育園に預け始めた友達に対して

それじゃ負け犬じゃないかと思ったこともあった。


でも今はそうは思わない。


母親が育児ストレスでイライラと怒鳴ってばかりいるよりも、保育園で楽しく

集団生活を送る方がお互い幸せってもんだ。


だから保育園に預けることは「手抜き」だとは思わない。



行政にお願いしたいこと。


手抜きではなく、息抜きとしても保育園の一時保育を気軽に利用できるように

どうにかして欲しい。(料金を下げるとか利用条件を緩和するとか)


そうすれば子供のためにも「たまには保育園で集団生活を・・」と親子共々

気持ちに余裕ができる。


そして、働きたい母親の為に役所の敷地内に保育所を作ってくれ!



ところでこれって、ブログじゃなくて市議会とかに申し立てした方がいいよね(汗)



結局のところ、すぐには入れそうもないし、急を要していないので

今回は保育園の申し込みは見送ることにします。


本当に保育園を必要としている人達のためにも・・・。






わたしは大人になるまで「読書」とは無縁だった。
そして子供の頃「絵本」など読んだ覚えはない。

そのせいか子供にどんな絵本を買ったらいいのか
見当もつかなかった。

そんな時、この本に出会った。

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作者は俵万智さん。

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代表作は、口語でわかりやすく短歌をポピュラーにした
ベストセラー『サラダ記念日』。

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【「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日】

【さくらさくらさくら咲き初め咲き終りなにもなかったような公園】

【手紙には愛あふれたりその愛は消印の日のそのときの愛】

(サラダ記念日より)


『かーかん、はあい』は、俵万智さんが息子さんの成長と共に
本と触れ合う中で、個性や嗜好、言葉を覚えていく日々の様子を
ほほえましく綴っている。
その中で1~3歳くらい向けの本を紹介している。

そして、登場する短歌がジ~ンとくる。
(子供を持つ前には得られなかった感動)

1年半ほど前、この中で紹介されている本を数冊娘に買った。
残念なことに俵万智さんの様に「読み聞かせ」が出来ない。
1歳になった娘は「自分で読む!」と‥あせあせ

もちろん、字は読めないので絵を楽しんでいたのた。

例えば、公園の噴水から水が噴き出す絵を見て「ぴちゃぴちゃ」
言いながら手をグーパーしたり。

それもまた絵本の読み方なんだな~と感心した。


2歳8ヶ月になった今でも、相変わらず読み聞かせはさせてもらえない
上に、意味不明な言葉での「喃語(なんご)読み聞かせ」につき合わせれる。

まるで紙芝居屋さんのように、時々上下反対になりながら多少の抑揚を
つけゴニャゴニャとページをめくる。そして笑顔で「おしまい!」。

普段は成り立つ程度の会話力があっても、読めないものを読むと
音で表現するしかないようだ。そのギャップはオモシロイ。

そして「難しくて読めない」と言うのは言いわけにしかならない
と教えられる。


【難解な本はそのまま本棚へ娘によめて我読めぬ恥】



最近読んだ4歳~向けの本が紹介されている『かーかん、はあい2』
の中に紹介されている本を買う頃には、読み聞かせをさせてもらえる
のだろうか。(読んであげたい!とはそんなに思ってはいないけれど‥)


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この「2」では絵本に加えて、旅に連れて行く本や社会を知る本、
もっと幼いころに読んでいた絵本を親子で楽しむ様子など、驚きと
発見が綴られている。自分でも読んでみたいと思う本もあった。

先回りせずに、娘と一緒にページをめくり、一緒に驚き楽しむのも
悪くない。この本を読み、そう思えるようにもなった。


『かーかん、はあい』シリーズは本選びの参考になるだけじゃない。
俵万智さんの育児エッセイとしてとても興味深く、幼い子供との
限られた時間を「いかに過ごそうか」と少し冷静になれる気がする。

それは「子供は親が思うよりずっと成長している」ことが明確に
綴られているからだ。



近い将来に娘はわたしを追い越していく。
そして嫁に行く日も来るのだろう。(来ないと困る)

この『かーかん、はあい』は娘が母親になる時に渡してあげたい
一冊(いや二冊)だ。

わたしの母も、こんな風にわたしが母親になる日を
待っていたのだろうか‥長い間たらーっ(汗)


【孫の顔見たいと言わぬ母のさみしげな顔待たせたよねゴメン】


五七五七七、短歌って面白い。

昨日の日記。

トイザラスの件は気がついたら「おしり拭き」の話に
なっちゃったんだけど、本来は節電のことを書きたかった。


R246沿いにあるトイザラス。
中に入ると・・


薄暗い。


最近はスーパーもコンビニも表の看板を消して
売り場の照明も間引きして節電している。

それはそれで、ちょっと田舎の古いお店的な感じで
慣れてしまえば「これでいいんじゃ」と。

買い物には支障はない。


ところが、買い物だけが目的ではない場所も
照明が消されている場合が多い。


震災直後、珍しく電車で出掛けたので帰り道に
マルイに行き、4階のキッズスペースで娘を
もうひと遊びさせようとした。


・・・暗い。


その中で遊ぶ子ども達の声だけが響いていた。
周りの店で洋服を選ぶ親の姿はほどんどない。


異様な雰囲気だった。



周辺のテナントは比較的明るく照らされているのに
子ども達は暗がりでキャーキャー言って遊んでいる。
照明が、その一角だけ消されているのだ。


「逆だだろ!!」


思わずつぶやいてしまった。



大人達が品定めをするための明りも必要だろう。
が、その代償にキッズスペースの照明をつけないから
「節電してます」って・・。


おかしい。


服屋の照明を最小限にして、おもちゃ屋と子供達の
場所くらい明るくしてやれよ!と思った。



あれから3週間、出掛けたトイザラス。

いつもの週末の活気はなく‥それでも走り回っている子供達と
言い諭す親の声があちこちで聞こえたいた。


そう、少し暗い店内に。


暗さがあの場所ほどではなかったので、違和感は
あまりなかったけれど、それでも変な感じがした。




東京電力管内に住むわたし達は何のために節電を
しているのか。

使わなかった電力が被災地に送れるわけではない。


計画停電は自分達の使用するシステムがパンクしないよう
調整するためだ。


節電をアピールするかのように暗い商業施設。
理解不能な消灯をするキッズスペース。

大人はいい。多少暗くとも買い物は出来る。
むしろ、今まで明るすぎたくらいだ。


せめて子ども達が遊ぶ場所くらい明るくしようじゃないか。
せめて子ども達の夢を売っているところくらい・・。



計画停電も必要なのだろう、パブリックスペースにおける
計画節電、節電の配分も考えて欲しい。


子どもは暗くても明るくても楽しく遊んでくれる。
暗くても明るくてもおもちゃをネダる。


でも、そうじゃないと思う。


自粛モード自粛モードで、子ども達の未来まで
自粛させてしまわないように‥。


灯りが充分でない今、大人達は地に足をつけ
その足元をしっかりと見て、前を向き歩くこと。

子ども達には出来る限り明るい場所を提供すること。


これから長い間、電力とうまく付き合って行かなくては
ならないのだから、個々の計画節電も必要になってくる。

3月30日にJTのタバコが出荷停止になった。
一部の銘柄を除いて、今後もイマイチ見通しが立っていない様子。
(外国銘柄については別の話らしい)

数日前、それを知った時にコンビニに行ったら、
すでに「売り切れ」の銘柄がいくつかあった。


その足で近所のタバコ屋に行き、おばちゃんに
タバコある~?と聞いたら

「まったくこんな時にタバコまでね。。」と愚痴っていた。
そうだろう。商売あがったりだ。


その日わたしは「たばこジプシー」と化した。


狙いは駅から遠くて学校に近いお店。
数件を回りとりあえず2ヶ月分(予想)を買い集めてきました。

そうです、これが所謂『買い占め』行為。


たばこを買い占めたとしても誰にも迷惑を掛けないだろうと。
(都合の良い自己解釈)


現に多くの買い占め行為で売り切れ続出なのに、そんなこと
マスコミは取り上げない。

それは、社会にとってまさにど~でもいい買い占め行為だから。
(これも都合の良い解釈かな?!)


昨年の大幅値上げしかり、日本でも禁煙ムード全開。

飲食店では完全分煙。
(都市部での)路上喫煙禁止。

これはとてもイイと思う。迷惑を掛けてはイケナイ。

喫煙者は「病人扱い」。それでイイと思う。
確かに立派なニコチン中毒症だもの。


癌や心筋梗塞、脳卒中の発生率も高くなるし、
妊娠中や授乳中には影響もある。

喫煙者の大半がわかっていても止められないのだ。
そして何か影響が出てから後悔なり、禁煙を始める。

大切な人の為にも一日でも長く生きていたいけれど
「死」を意識して初めて気づき手遅れになることもある。


百害あって一利なし。(精神面では一概に言い切れないが)

そんなタバコだが、税収は侮れない。

政府が本当に国民に健康を訴えるのならば
製造販売を中止すればいいことだ。

それが出来ないのならば、極端に値上げしてしまえば
一般人は手を出せなくなる。

自分でなかなかやめられない人の中には
そう願う人も少なくないのではと思う。(わたしはそうだ)


身体に良くないと重々承知でも、たばこと止めようとは
今まであまり考えなかった。

そして、「買えない」ことを理由にやめることは
どこか悔しい気もした。

どうせやめるのなら、自分の意思でやめたい。
(無意味な意地と言い訳)


今回「買い占め行為」をする中で、虚しさを覚えた。
それは「わたしが買ってしまうと買いたい人が買えなくなる」
というものではない。

買い占めまでして、この欲求を満たす必要があるのだろうか。
買い集めることで得られた安堵感は必要だったんだろうか。

そんなことを初めて考えた。

そして、1箱440円になっているものを2ヶ月分買ってみて
その出費の多さに改めて呆れた。
一年分で海外旅行に行けるほどの出費なんだもの。
(実際禁煙したとしてもお金なんて貯まらないけど)


いずれにしても『吸ったつもり募金』でもした方が、よっぽど
気分がいいのではないだろうか。
それなら変な意地を張らずにいられる気もする。

すでに買いあさってしまった数カートンを消費しながら
今後の喫煙(つもり貯金やつもり募金)について、少しずつ
考えて行ければと思う。


なんて言ってても、この日記もタバコを吸いながら書いた。
読み返してもやはり、虚しさだけが残る…。


でもあえて書き記そうと思う。


こうやって買い占めが起こってしまうんだってことを
改めて理解した気がするから。
そして日常品や食品を何となく買い占めてしまった人たちも
きっとどこかで虚しさを覚えたのではなかろうかと思えるから。
今日、娘と二人でトイザラスに行った。
たまにおもちゃの偵察がてら「おしり拭き」を箱買いにしに行く。


いつもはトイザラスでおしり拭きを買わなくても、スーパーや
ドラッグストアでもお気に入りの物は買えるのだが・・


売り切れてるの!いつも売れ残るような種類のおしり拭きなのに!

わたしが使ってるのは、厚手タイプのものだから割高。
でも売り切れてるのよ!どこにも売ってないの!(シツコイたらーっ(汗))


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そうよ!

いつも普通のおしり拭きを買っているママ達が
一部の買い占めによって、仕方なく売れ残ったおしり拭きを
買っていったのよ。(きっと)

小さな子供には必要でなモノですもの。
売っているものを買っていくのは当然。
けっして、そのママ達を責めたりしないわ。

いいえ、むしろ同情するわ。
高いものを買わざる得なかったんだもの。



そして・・トイレットペーパーも同じ。
いつも使っているものはシャワートイレ用のやつ。


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これも売り切れてるの。いつも売れ残ってるのに。
これも、割高な商品なのに・・。

必要以上に買い占められたせいで、普段シングルタイプや
シャワートイレ用なんて使わない人も買うしかなかったのよ。

だから買っていった人を責めたりしないわ。
だって、必要だもの。トイレに紙は・・。

これもむしろ同情するわ。高いものを買わざる得なかったんだもの。




わたしのささやかな楽しみ「消耗品の贅沢」が‥げっそり
やや敏感肌な娘のささやかな贅沢が・・。

   ※その他に贅沢をしているつもりの消耗品は歯ブラシくらい。


わかっています。
こんな非常時に、こんなことを嘆くのは非常識です。


ただ、こうして消費バランスが崩されているんだと
思わざるを得ない。


少しずつ、混乱が納まって来ているので、次にトイレットペーパーを
買う時には、いつものシャワートイレ用が買えるといいなと思います。

すべてにおいても健全な消費状態に戻ればいいなと思います。


(皆さんにはどうでもいいお話でしょうけど)
トイザラスにはこのおしり拭きも山積みだったので
いつも通りに快適なオシリ環境を作ってあげられます。


こうして買い占めの余波はオシリ環境をも左右しかねない
という、至ってくだらない話でしたあっかんべー

ニュースによると・・


ガソリン高騰時に揮発油税などを引き下げる「トリガー条項」を
廃止する方向で検討に入った。

(中略)

総務省統計で3月の価格が160円を超える可能性は低いが、
「引き金(トリガー)に指が掛かった状態」(財務省幹部)
との見方もある。
発動時の減収額は国、地方合わせて少なくとも約4500億円に上る。
急激な価格変動が被災地の販売業者を混乱させる懸念があり、
自民党も震災対策に関する提言で廃止を主張している。 



とのこと。


こども手当、法人税減税に関して同様、非常時には
「可能なことはすべてやる」べきなのだろう。

だが、この様な非常時になる前に「可能なことはすべてやっていた」
と言えるのだろうか。いや、誰もがそうは言い切れない。
それが人間というイキモノ。
わたしもそう。容易に可能でもやっていないことだらけだ。


今、いのちの尊さを訴えるのなら・・
今、資源の貴重さを重んじるのなら・・
今、自分の出来ることを考えるのなら・・

わたし達はすべての事に関して、すでに引き金を引いているのだ。


これだけ発展した文明の中でも、人は何かを犠牲にしなければ
生きていけない。

まだ「発展途上」と言うべきなのだろう。
その代償はあまりにも大きいということを知りながらも
リスクを回避することが出来ないのだから。


より文化的、文明的世界とは「可能なことはすべてやっていた」と
言える未来を迎えること。


国境、宗教、派閥…無くす必要などない。

違いを持ちながらも共存できてこそ、安全で平和な暮らしが
できるのだと思う。

それは、「日本」という一つの国でもそう。
それは、「家族」という一つの社会でもそう。
それは、「わたし」という一つの存在ですら
同じことなのかも知れない。

人はトリガーを引いて生まれて来るのだから…。

テレビのニュースにクギ付けになりながらも


何もできないわたしは、携帯の緊急地震速報に


怯えながら、今日はいつもの生活を送っている。



父の話だと、午前中のスーパーのレジは長蛇の列。


そんな中、外に出る気にもなれず普段同様、夕方に


スーパーに行った。



陳列棚が・・・やっぱり( ̄ー ̄;



売り切れていたのは、パン・牛乳・肉・惣菜類


そして、カップ麺。米も品薄になっていた。



野菜売り場で母親に電話をした。



「やっぱり、もうあんまり売ってないよ!


 野菜は玉ねぎとジャガイモ売り切れ、


 あと肉も完売。」



「みんな今日はカレーにしちゃおうって買ったんだよ。」


(・・・・・そうなのか?!)



確かに、こんな時だから簡単に調理できるモノをと


考えるかも知れないが・・。




母さん。やはり、あなたのその「天然さ」が


平和に暮らすコツなのですね。





関東地方の皆さん!



保存できる野菜を買い占めないでください。


オイルショックならぬ、カレーショック

なってしまいます。




  ※不謹慎な発言かも知れませんが、歪んだ食糧難が

    起こり得るということです。




確かに、災害時に家族のことを考え蓄えようとする。

それは普通のことかも知れない。



それでも、いざとなったら「分けあえる」「助け合える」

という人の本質を信じたいと思う。




被災地の人達の為にも私達一人ひとりが出来ること。


それは今、電気を消すこと。



一刻も早い、事態収拾を願って・・・


消灯します。

わたしはの持病は相変わらずで、夜は眠れない。


いつも朝になるまでの暇潰しをしなければイケナイ。


数ヶ月前から、またニンテンドーDSのドラクエシリーズを


やり直していたんだけど、飽きてたので新たにRPGを


購入した。


ちょうどクリスマス前だったので、自分へのプレゼント


ということにした。




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『二ノ国』




アニメーションはスタジオジブリ。


音楽を久石譲が・・・。



少し前から気になっていた。


注文して、手元に届いてびっくり。


パッケージがデカイ(ちょっと薄めの広辞苑くらい)。


箱の中には『マジックマスター』という魔法指南書が入っていて、


これがないとゲームを進められない。




・・・・・・・重い。


事前にわかってはいたけれど、この本が予想以上に大きかった。

(厚めのハードカバーの本)


しかも、プレイタイムは夜中。布団の中。


仕方なく、小さな電気スタンドを使うことにした。


そもそも、なぜ夜中にDSでゲームをするのか。


明りがなくても可能だからだ。



このマジックマスターのおかげで本末転倒。



しかし、はじめてたが最後。


・・・やはり、面白い。


結局、クリアするまで2週間と掛からなかった。



最近のロールプレイングゲームは、ラスボスを倒して終了ではなく


クリア後にストーリー(クエスト)がある。



「二ノ国」も同じように、本編よりも難解な課題が与えられた。


しばらくは、コツコツとこなしていたのだが・・・


どんどん、根気と運を要する作業が必要になり、


同じ魔物を100匹とかやっつけてるうちに、途方に暮れ


志半ばでリタイアを決めた。




このゲームは、本で必要な魔法を調べてストーリーを進めていく。


そして、ゲームのヒントはすべてこの「マジックマスター」の中にある。


さらに、どのページにそのヒントが乗っているのかは自分で


探さなければならない。



まるで英語の授業の予習。


基本的な勉強方法が必要なのだ。



小学校高学年~くらいの子供達に、是非ともやって欲しいなと思う。

(という話を、友達数名にした)




ストーリーも作り込まれていて、とても感動的なのでアニメにすればいいのに


とも思った。





さ~て・・・、どうしようか。


もう、やりたいゲームは手元にない。



電気スタンドも出動させていることだし、買いだめしてある本を読むことにした。



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宇宙からやってきたトモダチと少年のファンタジー3部作。


さくらももこさんが表紙と挿絵を描いている。



『神との対話』を思い出した。



「神との対話」での【自動書記】というカタチで宇宙(神)からのメッセージを


伝えていた。ところが、アミシリーズは日記のように綴られている。


そして「創作」だということが前提だという点が違う。



「作られた物語」だと書かれているし、内容的にもそうなのだが


読み進めるほど、実体験のように感じる。



体験談としたら、いくつもの矛盾があるのだけれど、それでも



ほんとうにあったお話では?!



と思えてくるから不思議だ。



常識で考えれば、非現実的(だってファンタジーだから)だが、


物語としてとても感動的だし、面白いとも思う。



その非現実的ながらもそこには『真理』がしつこいくらい、何度も


語られていて、しかもそれが不可能な提案ではないのだ。



結果的に、わたし達読者がまんまと物語に巻き込まれていく。



作者の目的は、不特定多数への「伝言」なのだから。



そして、わたしはまたここに書いたことで、また「伝言」した。


それが彼らの目的であり、メッセージなのだ。



だからといって、特にお薦めはしません。


 ※自分の中に、子供の頃の純粋なモノが残っている自覚のある方、
  もしくは変人の方は、ぜひどうぞ・・(笑)


興味を持ってしまった方は、3冊揃えてから、読み始める方が無難です。


次が気になることは必至です。


今はというと、アミシリーズも読み終えたので、また定番の新書と直木賞作家の


作品を渡り歩いている。


結局、本を読めるなら読みたいのよね。



それも、3DSを手に入れるまでだとは思うけど。。


長く書いたけど、要するに電気スタンド万歳!って


話でした。


2年半前に子供を産み、「必要とされる必要性」を実感した。


もっとも、はじめは何も考えられないほど、

ただ世話に追われた時間を過ごしていたから、

その必要性を実感したのは最近のことなのだけれど。



人は誰かの為に使う労力で『充電』しているのだ。



自分自身と向き合うだけで生きて行けるほど、人は(少なくとわたしは)

燃費のいい生き物ではない。



そして例えば、「無償の愛情」などあり得ない。

そこからは、莫大なエネルギーを得られているのだから。




では、どうしたら「必要とされる存在」になれるのだろうか。

それは、単純なこと。



自分らしく生きること。



自然体である人には吸引力がある。エネルギーがある。



どんなに繕っても努力しても出せないオーラが

その自然体からは出てくるものだと思うから。



誰かに必要とされることは、時には嬉しくもあり、時に面倒なこともある。

ただどんな状況でも、例え期待にこたえられなくても、そのことを幸せなことだと

思える人間になりたい。


わたしにとって、それはとっても難しいことなのだけど・・・。


「泣かせる」ことよりも「怒らせる」ことよりも


「感動させる」ことよりも、何よりも難しい。


それは「笑わせる」こと。


だから、笑いを提供している人を尊敬する。


その裏にはどれだけの努力の積み重ねがあるのだろうと。






今年は『M-1グランプリ』の最後の開催だった。





一視聴者の私にも振り返ると思い出がある。



涙が出るほどお腹を抱えて笑ったことも何度かあった。




あくまで個人的見解だが、今年はそこまでの「ネタ」は



なかったけれど、比較的面白いものが多かった気がする。





それは昨日の『人志松本のすべらない話』も同じだった。


何度でも観たくなる涙モノの話はなかったけれど、



アベレージの高い話が多かった。






笑う=癒される。



笑う=無心になる。



笑う=元気になる。





来年は、たくさん笑って過ごそうと思った。





笑いは万能薬。