どうしよう | mimiのブログ

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脳梗塞から2年半。
後遺症は感覚麻痺。見た目は元気そのものです。
最近少しずつ、元気に過ごせる日が増えていると思います。
30年間続けた仕事を退職して、新しい仕事に挑戦中です。
まだまだ人生これからだ!!!

救急車をよんでもらっても、日本のような状況ではありません。

日本では救急車を呼べば、隊員の方たちがテキパキと処置をしてくださって、しかるべき病院に搬送してくださいます。これが、フィリピンでは事情が全く違います。


まず、救急車自体が、「寝台付きタクシー」のようなもので、設備は寝台以外にはありません。

もちろん看護師なども同乗していません。

その上、私がいたのは田舎町でしたので、つれていってもらった先の病院の設備もほとんどありませんでした。

ドクターは、一晩このベッドでゆっくりするようにいい、栄養剤をくれました。頭が痛いというと、頭痛薬もくれました。


けれども・・・・です。

私は自分がたぶん「脳梗塞」だろうと感じていました。それは、母親が同じような症状だったのを見ていたからです。そして、その時は、「脳梗塞は時間との闘い」なんてことは知りませんでしたが、なんとなく、このまま一晩この場所でじっとしていても、よくならない・・」「次の日になっても、なにも解決しない」ということは感じました。


そこで、ドクターに、もっと設備のある大きな病院はないのか尋ねました。それは、そこから約2時間車で走ったセブの町にあるということでした。


「脳梗塞」をおこした頭をかかえながら、2時間車に揺られる(道は悪く相当揺れます)という危険を冒しても、大きな病院に行ったほうがいいのか、それとも、そこにじっとしているほうがいいのか、悩みました。

ドクターは、もうわたしのことなど無視して、ほかの患者さんに対応しています。私は一晩寝ていると思っていたようです。


とうとう、決心して「大きな病院に連れて行って」と頼みました。

ではどこに行くのか、ドクターや周りにいた人たちで話していたようでしたが、セブで一番目か二番目に大きな病院に行くことになりました。そこは私立だったので、「公立はないのか」ときくと、「公立はあるけれど、患者が多すぎてきっとみてもらうまでに果てしなく時間がかかるだろう」ということでした。

フィリピンでは、公立と私立では治療費が全く違うので、貧しい人たちは公立に集中するのです。私はお金持ちでは、もちろんありませんが、診察してもらうまでに時間がかかるということはすぐ理解できたし、フィリピンの公立病院の実情も少しは見て知っていたので、なるほどと納得し、ドクターのいうとおり私立の大きな病院に連れて行ってもらうことにしました。


だいぶあとになって、「脳梗塞の治療は、早ければ早いほどいい」と知って、よくこのとき病院を移ることに決めたものだと思いました。きっと運があったのでしょうね。