たとえば ・・・
「行列 の できる 食堂」
に
「並んで いた」
とき に ・・・
「じぶん の 後から」
来た
「おなか が すいて 死にそうな 人」
に
「順番 を ゆずった」
ら ・・・
「その 人 まで」
で
品切れ 閉店」
に なり
「じぶん は 食べられなかった」 ・・・
でも ・・・
「その 食堂」
が
「その 日」
に
「食中毒 を 出して」
しまい ・・・
「じぶん」
が
「順番 を ゆずった」
「おなか が すいて 死にそう だった 人」
が
「被害者 に なって しまった」 ・・・
・・・ と いう ような
出来事 が あった
と する ・・・
果たして
「その とき」
の
「じぶん」
は ・・・
「親 切」
だった のか ・・・
「ラッキー」
だった のか ・・・
「おせっかい」
だった のか ・・・
「加害者」
だった のか ・・・
一体
「何 だった」
の だろう ・・・
もし
「その 事件」
を
「知らなければ」
きっと ・・・
「善い こと を して よかった」 ・・・
と
「思えた」
だろう けれど ・・・
「その 事件」
を
「知って しまった」
以上
「じぶん を 責める」
かも しれない ・・・
・・・ と
「思って しまう ような 人」
は ・・・
あまり
「他人(ひと)」
に
「親 切」
を
「しない 方が よい」 ・・・
と 思う ・・・
なぜ なら ・・・
「親 切」
には
「その場 限り の 自己 満足」
と いう
「側面 が ある」
ので ・・・
「後の こと」
を
「気にする ような 人」
は
「その 人」
まで
「傷つく」
可能性 が あり ・・・
もし
「そう」
なった ら
「誰も 得を しない」 ・・・
と 思う から ・・・
でも ・・・
上の ケース で 言う ・・・
「順番 を ゆずった おかげ」
で
「 じぶん は 中毒 に ならずに すんで
ラッキー だった 」 ・・・
・・・ と
「思える ような 人」
には ・・・
「すすんで」
「親 切」
を
して もらい たい ・・・