絶え間
なく
「こころ」
が
「動いて いる」
から こそ
「人」
は
「生きて いる 意味 が ある」
の だと 思う ・・・
だから
もし ・・・
「こころ が 止まって いる 人」
の
「こころ」
を
少し でも
「動かす」
こと が
「できた」
なら ・・・
たとえ
「そ れ」
が
「喜 の 方向」
だと して も ・・・
「怒 の 方向」
だと して も ・・・
「哀 の 方向」
だと して も ・・・
「楽 の 方向」
だと して も ・・・
また
「それら 以外」
の
「どんな 方向」
だと して も ・・・
必ず
「その 人」
の
「プラス」
に
「な る」 ・・・
と 思う ・・・
だから ・・・
「無 理」
に
「喜 や 楽」
など の
「善い 方向」
だけ に
「その 人」
の
「こころ」
を
「誘 導」
しよう と
「しない 方が よい」 ・・・
と 思う ・・・
まず は
「方 向」
より
「動かす」
こと の 方が
「重 要」
だと 思う ・・・