目はからだのあかりでもある。

だから、あなたの目が澄んでおれば、

全身も明るいだろう。

 

しかし、あなたの目が悪ければ、

全身も暗いだろう。

だから、もしあなたの内なる光が暗ければ、

その暗さは、どんなであろう。 

 

─「マタイによる福音書」 6:22-23

 

 

「人生を輝かせるためには」ということで……。

「目が灯火」の話はマタイのみならず、ルカによる福音書にも載せられている。

重ねて伝えられているということは、それだけ重要なメッセージ(教え)なのであろう。

 

 

    

灯火をともして、

それを穴蔵の中や、

升の下に置く者はいない。

入って来る人に光が見えるように、

燭台の上に置く。

 

あなたの体の灯火は目である。

目が澄んでいれば、

あなたの全身が明るいが、

濁っていれば、

体も暗い。

 

だから、あなたの中にある光が

消えていないか調べなさい。

 

あなたの全身が明るく、

少しも暗いところがなければ、

ちょうど、灯火がその輝きで

あなたを照らすときのように、

全身は輝いている。

 

─「ルカによる福音書11:33-36」

 

 

イデア論を主張した古代ギリシアの哲学者プラトンは、「目は心の窓である」という言葉を残した。

これは聖書に記された「からだの灯火は目」と同じ意味合いと言えるだろう。

心のありようは目に表われやすいもの。

また一方で、心とからだの繋がりを考えると、目の表情を変えることによって、心のありようが変わる。

 

 

では、仏教における「目」とは、と考えると……。

仏は五眼(ごげん)をすべて備えてあらゆる人々を救済する、と説明されている。

 

仏の五眼とは以下のことである。

 

  1. 肉眼は普通の人間の目。
  2. 天眼は神々の目。昼夜遠近を問わず見えるという。
  3. 慧眼は二乗の目。空の法理に基づいて物事を判断できるという。
  4. 法眼は菩薩の目。衆生を救済するための智慧を発揮する。
  5. 仏眼は仏の目。仏の最高の智慧を発揮する。​​​

 

通常、この世に生きている私たちは誰もが衆生である。

衆生なので残念ながら肉眼しか持ち合わせていない。

それでも「見える」ということは天から授かったありがたい能力の一つである。

 

たまに、ガンジーやマザー・テレサ、キング牧師のように、衆生を少しでもより良い方向に導くため、一生を投じる偉大な魂の持ち主がいる。

彼らは肉眼だけではなく、天眼は勿論のこと慧眼、法眼、更には仏眼までも開いているのかもしれない。

 

 

マイケル・ジャクソンは美しい人だが、特に比類ない眼の美しさである。

その事に異論を唱える人は皆無だと思う。

あまりにも美し過ぎたのかもしれない。

その美しい眼をレイバンのサングラスで隠すことが多かったのはちょっぴり残念でもあった。

 

その美しい眼を隠しがちのマイケルではあるが、アルバムジャケットにおいては惜しげもなく目力を披露している。

とりわけ、アルバム『Dangerous』のカバーアートは圧巻である。

 

今月のセミナーでは、そんな眼の秘密にも迫っていきたいと思っている。

興味のある方はセミナーに足を運んで頂けると嬉しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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9月のMJセミナー

 

9月29日(日曜日)

開催します

 

13時から17時

 

「鸞・らん・乱」

─二人の愛ランド─

 

参加費

10000円(大人)

5000円(学生)

 

参加者が多い場合は

参加費を割引させて頂きます

 

会場:都内某所

 

お申し込みお問い合わせは

MOUSAの会

あるいはブログのメッセージ宛に

 

mousa 20200829@gmail.com