退院手続きが終わった15時半すぎ、パパが病院にきた。
その時は(うわぁ、パパ!パパ来てくれた。。)安堵感で いっぱいだった。
でもあとからふと、思った。
出張先から病院まで どうやって あの短時間で来たか。。
パパに聞いても『あの時のこと まったく覚えていない。』と、つれない。
タイムワープ。。瞬間移動。。それしかない。パパに道順の記憶がないのは きっとそのせいだと確信してる。。
パパは 長男へ『すっごいなぁ、救急車じゃん!救急車 乗るんだ!パパも昔 乗ったことあるぞ!いいなぁ。やったな!』と、パパなりの長男に(大丈夫だぞ。大丈夫だからな。)を込めた。
医長先生からの再説明も終わり、パパと予定を確認し、今 あるものから準備。
いくらかの現金と(さっきの入院費で、すっからかんだ!)出張用に持っていた携帯充電器を借りた(これ、助かった!)
救急車が到着したので 病棟を出た。
病棟を出るときに、看護師さんが 私の肩と背中を強くさすってくれた。
看護師さんがポロポロ泣いている。
いつの間にか 私も涙がボロボロ流れて、ヒザがガクガク震えて、歩いている感覚がなくなった。
夕方 16時過ぎ。
長男と私は救急車に乗り込んだ。
『私も一緒に行きますので。』と、小児科女医先生。穏やかで優しくて、この病院では大人気の小児科女医先生だ。
心強かった。ゆったり話しを聞いてくれる小児科女医先生が一緒に行ってくださるなら なんにも怖いものはない。と、涙が乾いた。
救急車 出発。
車内で 長男は救急車のしくみや 乗り心地について 真剣に話した。
『帰ったら パパに報告しなくちゃいけないから!』
長男の容体は安定している。
ご機嫌な長男は 救急隊員の方に質問攻め。『ねぇ、ねぇ、あれ なぁに?』『あのさ、なんで救急車にウチワがあるの?』『ちょっと なんか暑い』『ねぇ、サイレンうるさいんだけど もう少し小さくできないの?』『パパね、救急車 乗ったことあるんだって!』『なんか救急車のにおいクサイ!』『うちの車よりガタガタするよ!』
社会科見学のようだから 私ものっかった。「市内に何台の救急車があるんですか?」「救急隊員の方は お休みありますか?」
でも ずっと サイレンが鳴っている。
外でも聞こえてくると ドキドキするあのサイレンが 今 ずっと鳴っている。
高速道路の左車線を減速なしで進んでいく。サイレンを鳴らしながら “家族でおでかけ”の高速道路を、ぐんぐん走った。
ときどき小児科女医先生が、今から行く謎のなんとか病院について話してくれた。
『実は 私、その病院で働いていたことがあります。だからなんでも聞いてください。』
「え!? どんな病院なんですか!」
いろんなことを教えてくれた。
でも 聞いたはずだけど、ほとんど忘れてしまった。
ただひとつ覚えているのは、
『あの病院は 小児科専門の病院です。そして、日本で一番、小児科医がいる病院です。』
太鼓判だ。
日本で一番 小児科医がいる。。
その言葉だけで ウソでも十分だった。
たくさんいるなら 助けてもらえる。ぜったいに治る。大丈夫だ。
病院の道順も、丁寧に何度も小児科女医先生が教えてくださり、あたりが暗くなったころ高速道路を降りた。
『ここが病院ですよ。』と小児科女医先生
救急車の小さな窓から外を見たら、病院の中庭がイルミネーションだらけ。トナカイやサンタクロースはもちろん、クリスマスツリー。。まるで遊園地。
「うわぁ!すごい!ねぇ!ディズニーランドみたいだよっ」と長男に伝える
『…ねぇ、ちょっとママ。ボクは寝てるんだから、それ、見えないんだけど。。』
「あ!ごめん、ごめん。あとで一緒に見ようね」
救急車に乗ったことを、あとでお友だちに “へへーん!ボク 救急車 乗ったことあるよ!”と自慢しよう。
それができるように。私は ただそれだけだった。