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「青春とは」のオリジナルは“YOUTH”で、これを書いたのはユダヤ系アメリカ人のサムエル・ウルマン-Samuel Ullmanという人物です。彼の生涯を少しご紹介しましょう。
 
 
1840年4月13日 ウルマンはドイツ南部で生まれ、幼児期、アルザス地方に移る。(日本は天保年間で、遠山の金さんが表舞台に出る頃。明治の御世まであと少し…)
 
 
1851年、11歳。両親と共にアメリカ南部に移住し、ミシシッピ河畔の町ポート・ギブソンに住む
 
 
1860年、20歳。南軍に入隊。日本は安政の大獄、桜田門外の変。
 
 
1861年、21歳。南北戦争・civil warが勃発。戦争は南軍か降伏するまで4年続いた。彼は2回負傷し、左耳の聴覚を失う。
 
 
1865年、25歳。ニユーオリンズの北西にある町ナチェズに移る。ビジネスのかたわら、ユダヤ教会の説教壇に立ったり、慈善活動をするようになった。
 
 
1867年、27歳。結婚。
 
 
1884年(明治17年)、44歳。アラバマ州中部にある製鉄の町バーミングハムムに移り、ウルマン金森店を経営する。同時に、教育委員会の委員に選ばれたり、ユダヤ教会のエマヌエル寺院の創設に尽力し、理事にも選ばれた。さらに46歳で同寺院の会長に、50歳でレイ・ラビ(民間人の指導者)となった。
 
 
1901年(明治34年)、61歳。彼の名前を冠した学校が開校(現在はアラバマ大学の一部になっている)。日本では、八幡製鉄所操業開始。
 
 
1920年(大正9年)、80歳の誕生日を祝って盛大な祝宴が開かれた。これを記念して詩集「80年の歳月の項から」(“From the Summit of years, Four Score”)が36人の家族や知人たちによって編集され、私家版として出版される(1922年)。その巻頭を飾った詩が「YOUTH」(ウルマン78歳の時の作と言われています。)であった。日本は大日本帝国として、国際連盟に加入。
 
 
1924年(大正13年)3月21日、バーミングハムで永眠。享年84。
 
 
 
サムエル・ウルマンの生涯をみてまず分かるのは、彼がユダヤ人で敬虔なユダヤ教徒だったことです。
 
ヨーロッパから新大陸のアメリカに渡ってきた移民の子であり、実業家ではありましたが、それ以上に熱心な社会貢献活動家だった事が特筆すべき点でしょう。当時社会的弱者、特に孤児、女性、黒人、労働者などを救済する運動に生涯を捧げます。
 
……この程度の人物なら今のアメリカにいくらでもいます。しかし19世紀末から20世紀の初頭の貧しいアメリカ南部で理解者も少ない奉仕活動をするウルマンの姿と“YOUTH”の詩が意味するところが重なり、ユダヤの教えの『持たらざる者に持てる者が手を差し伸べる』を思い出します。彼はそれを無欲に実践した、と僕は理解しています。
 
 
 
そういう人物が、80歳の誕生日のお祝いに、家族や知人たちによって私家版の詩集を出版して貰うことになる……彼の死は4年後に迫っていました。無欲の彼は満貫の想いで詩集を見つめたことでしょう。ただ『遣り遂げたのだ』と、後世の評価など全く気にもせずに……。
 
 
市井の小市民の功績など忘れ去られるのが、世の常でウルマンの死後、歴史の片隅に追いやられ、消えかかっていました。そんな彼を歴史の表舞台に呼び戻したのが、日本と縁の深いアメリカ極東軍最高司令官ダグラス・マッカサー将軍です。
 
彼は太平洋戦争末期にはデスクのポートレイトに“YOUTH”を入れ、座右の銘にしていて、その記事が全米に流されウルマンの再評価が始まったようです。
 
 
1945年8月13日、日本の敗戦、降伏。連合国軍による占領が開始される。マッカサー将軍は元帥に昇進、連合国軍最高司令官として、東京の皇居前のGHQに着任。マッカサーの執務室の壁に『YOUTH』を掲げ、日々愛唱していた。
 
 
この『YOUTH』を見た日本のある財界人が翻訳して、日本中に広まっていったようです。敗戦で価値観など全てが変わってしまった国内に、活力を与えたであろうことは容易に推察出来ます。それほどこの詩は、生命力に溢れいます。
 
 
〉青春とは人生のある期間を言うのではなく心の様相を言うのだ
 
 
その財界人の方の訳で、いかにも堅い感じしますが、リズムがあり、当時の人たちが諳じたことでしょう。
 
 
調べていくこと、日本に伝播していったマッカサーの愛唱バージョンとウルマンのオリジナルバージョンがあることが分かりました。①の訳はウルマンのオリジナルのもの、少し手は加えましたがガーン。財界人の方の訳は名文で想像力を膨らましますが、作者・ウルマンに敬意は払うべくもの、読んでくださった方々にオリジナルと日本に伝播しているものを比べて頂ければと思います。
 
 
ウルマンの詩は、遺言ではなく、祈りにも似た『願い』であることは間違いないでしょう。
 
 
Shallom, Ullman
 
ハナノミキ