先日のYahooニュースで、中国のゴミが10%近くも増加しているというニュースがあった。
都市のゴミ処理能力限界 中国、年10%の増加ペース http://backnumber.dailynews.yahoo.co.jp/?b=3&t=d&d=20091123&c=world
中国のゴミ問題というのは非常に深刻で、最近の消費ブームにきちんと比例した形で、消費後のゴミというのが大きな問題になってきている。
そこで、広州でもゴミの焼却処分場をめぐった住民運動のニュースが最近の紙面をにぎわせている。
広州の中心から少し行ったところに番禺という地区があり、そこに立てられるゴミの焼却場の反対運動が起きている。そこには都市への人口集中によるゴミ処分場と居住地区との接近、埋めることでゴミを処分してきた制度の限界、施設建設への住民への説明不足などの問題が挙げられる。
番禺という地域は、秦朝の時代から歴史にその名を残す地域でこの地方の古称が残ったものである。
都市の発展としては、隣接する広州のほうが早く、1992年に広州市番禺区となり、広州の余剰人口、労働人口を受入れる形を主として発展してきた。広州の中心部に家を買うことはできないが、地下鉄一本でつながっている番禺に家を買おうという人が増え、たくさんのマンションが建設されている。そこにゴミの焼却処分場を作るという計画が持ち上がり、家の前にゴミを捨てられては適わんと反対運動が起こっている。
反対の理由には、景観の破壊に加え、焼却施設の出す有毒煙への懸念、被害があった場合の補償は誰がするのか等の問題を住民が提起しており、それ以外にもマンションを買った人にとっては不動産価値の下落などの懸念も大きい(こちらは買ったマンションを貸しに出し副収入を得るという副業が広く普及している。)
中国の各地でゴミは焼却よりも埋め立ての方法で処分されている。ゴミの上をブルドーザーが行き交い、圧縮した後、上をコーティングしていく。ゴミは半永久的に土の中に残るという意味では、土壌、水源の汚染が懸念される。そして埋め立て処理にも限界があり、処分方法のシフトが必須になっている。
施設の建設は、行政主導の下実施されるが、中国の行政というのはヤクザに近いというか、本当に突然やってきて出て行け、みたいな形で何の説明もなく、強制的なところがある。今回もそのようなところがないわけではないが、番禺区長も登場し、「住民の同意なしに工事には着工しない」という形で行政と住民の話し合いも行なわれている。そういう意味で、市民が行動を起こし(というかこちらもかなり暴力的なのだが)、行政がそれに応じるという点では、民主主義の構造?みたいなものも目に取れる。
ゴミ問題、住民の権利、市民活動と、いろいろな意味で、非常にホットな話題なのである。
広州に住む人々にとっては非常に関心のある問題でもあり、中国のゴミ問題改革につながりそうなところでもある。
というのもこの問題を通して先進国のゴミ処理方法というのが着目されて始めており、分別回収などの声も高まってきている。
しかし、それでも現実は難しい。
分別も自らやるというよりは、貧困層のレベルにあるような人々を雇って行ないそうな雰囲気である。
富裕層が雑多に捨てたゴミを貧困層が分けるという形である。労働力は腐るほどあるっといったところなのだろうか。
以前、ペットボトルのゴミを店の前に投げて社会貢献だと言っていた人がいた。
まとめて廃品回収に出すといくらかもらえる、だから投げたゴミも貧しい人が拾ってお金に換えるから社会貢献だというのだ。
それに象徴されるように、いまだ多くの中国人が道端にゴミをポイ捨てする。
そしてそのゴミはいつの間にかなくなっている。
基本的にゴミはポイ捨てなのだ。
今回、自分の家の隣にゴミが捨てられるというのでゴミの行方に初めて気がついた人々も多いだろうと思う。それでも、それは、自分の家の前でなければ構わないということの裏返しでもある。
消費ブームによって生じた大量のゴミが中国のどこかの美しい農村にポイ捨てと同じように投棄されているのではないかと心配している。
世界の工場、世界の市場になった中国は同時に世界のゴミ箱になってしまった。