ここのところ、毎日チェックしていた10月17日受けたHSK高級の成績。

ついに今日発表があり結果は・・・・


$◆ 30万の中国 ◆

でした。
残念、10級届かず。


それでも前回と比べると20点以上アップし、科目別のばらつきもなくなりました。
聴解も最低点を上回ったし、今回は余裕の9級合格と言えるでしょう。

でも340点台の壁は厚い。
やっぱりもっと総合的な力をつけないとだめだな~。これは時間がかかりそう。


日本に帰っても受けよう。




成績はオンラインで調べられます。
HSKセンター http://www.hsk.org.cn/scorecert/ExmScore.aspx
先日のYahooニュースで、中国のゴミが10%近くも増加しているというニュースがあった。

都市のゴミ処理能力限界 中国、年10%の増加ペース
http://backnumber.dailynews.yahoo.co.jp/?b=3&t=d&d=20091123&c=world


中国のゴミ問題というのは非常に深刻で、最近の消費ブームにきちんと比例した形で、消費後のゴミというのが大きな問題になってきている。

そこで、広州でもゴミの焼却処分場をめぐった住民運動のニュースが最近の紙面をにぎわせている。
広州の中心から少し行ったところに番禺という地区があり、そこに立てられるゴミの焼却場の反対運動が起きている。そこには都市への人口集中によるゴミ処分場と居住地区との接近、埋めることでゴミを処分してきた制度の限界、施設建設への住民への説明不足などの問題が挙げられる。

番禺という地域は、秦朝の時代から歴史にその名を残す地域でこの地方の古称が残ったものである。

都市の発展としては、隣接する広州のほうが早く、1992年に広州市番禺区となり、広州の余剰人口、労働人口を受入れる形を主として発展してきた。広州の中心部に家を買うことはできないが、地下鉄一本でつながっている番禺に家を買おうという人が増え、たくさんのマンションが建設されている。そこにゴミの焼却処分場を作るという計画が持ち上がり、家の前にゴミを捨てられては適わんと反対運動が起こっている。

反対の理由には、景観の破壊に加え、焼却施設の出す有毒煙への懸念、被害があった場合の補償は誰がするのか等の問題を住民が提起しており、それ以外にもマンションを買った人にとっては不動産価値の下落などの懸念も大きい(こちらは買ったマンションを貸しに出し副収入を得るという副業が広く普及している。)

中国の各地でゴミは焼却よりも埋め立ての方法で処分されている。ゴミの上をブルドーザーが行き交い、圧縮した後、上をコーティングしていく。ゴミは半永久的に土の中に残るという意味では、土壌、水源の汚染が懸念される。そして埋め立て処理にも限界があり、処分方法のシフトが必須になっている。

施設の建設は、行政主導の下実施されるが、中国の行政というのはヤクザに近いというか、本当に突然やってきて出て行け、みたいな形で何の説明もなく、強制的なところがある。今回もそのようなところがないわけではないが、番禺区長も登場し、「住民の同意なしに工事には着工しない」という形で行政と住民の話し合いも行なわれている。そういう意味で、市民が行動を起こし(というかこちらもかなり暴力的なのだが)、行政がそれに応じるという点では、民主主義の構造?みたいなものも目に取れる。


ゴミ問題、住民の権利、市民活動と、いろいろな意味で、非常にホットな話題なのである。
広州に住む人々にとっては非常に関心のある問題でもあり、中国のゴミ問題改革につながりそうなところでもある。

というのもこの問題を通して先進国のゴミ処理方法というのが着目されて始めており、分別回収などの声も高まってきている。



しかし、それでも現実は難しい。


分別も自らやるというよりは、貧困層のレベルにあるような人々を雇って行ないそうな雰囲気である。
富裕層が雑多に捨てたゴミを貧困層が分けるという形である。労働力は腐るほどあるっといったところなのだろうか。

以前、ペットボトルのゴミを店の前に投げて社会貢献だと言っていた人がいた。
まとめて廃品回収に出すといくらかもらえる、だから投げたゴミも貧しい人が拾ってお金に換えるから社会貢献だというのだ。

それに象徴されるように、いまだ多くの中国人が道端にゴミをポイ捨てする。
そしてそのゴミはいつの間にかなくなっている。

基本的にゴミはポイ捨てなのだ。

今回、自分の家の隣にゴミが捨てられるというのでゴミの行方に初めて気がついた人々も多いだろうと思う。それでも、それは、自分の家の前でなければ構わないということの裏返しでもある。


消費ブームによって生じた大量のゴミが中国のどこかの美しい農村にポイ捨てと同じように投棄されているのではないかと心配している。


世界の工場、世界の市場になった中国は同時に世界のゴミ箱になってしまった。


HSK高級の試験が終わりほっと一息。

あと2回と言っていたものの、都合上こちらで受けるのはこれが最後だった模様。
9時から12時半まで、3時間半のテストの出来は、というと・・・・。



聴解:相変わらず聞き取れない私。前回と同じくらい、もしくは少しだけいいかもしれないといった感じ。
読解:全体的に手ごたえあり。でも実際は最もケアレスミスが多い分野なので油断はできず。
総合:いつも通り間違い探しは当てずっぽうだったけど、最後の書き取りが結構できた気がする。
作文:試験後早速間違えたところを発見してしまう。前回よりは悪そう。
口語:あまり出題の運にもめぐまれず、前回よりも悪そう。



ということで、10級はきびしいかなという印象。
聴解が9級になってて、読解で点が取れてて、作文と口語が前回のような感じであったら、
総合点が届けば望みもありそうだけど。
現実問題、やっぱり総合的に点が取れないのがアダとなりそうな予感。



10級が取れていたら、「広州の奇跡」と名づけよう。





HSKはだいぶ普及してきたけれど、それでもあまり10級や11級を持っている人とは会わない。
中国に4年いるけど、会ったことがない。

そう考えると、やっぱり取るっきゃないと思い、日本に帰ってからもがんばろうと、今の時点では思っています。



試験の後というのはなぜか勉強したくなるもので、

◆ 30万の中国 ◆
早速購入してしまった。



HSKの語彙と成語は圧倒的に覚えられていない単語と成語を覚えなおすため。
ポケット中国語は基本のピンイン声調おさらいと基本なのに抜けている単語を埋めるため。
基礎力の強化を徹底する。
こういうことは試験と関係ない時間のある時しかできないので。






中国にいるだけでは中国語はうまくならない。
それから、中国語を使って仕事をしていたことと中国語で食べていくことは違う。




今週は日本から戻ったスーツケースがまだ開きっぱなしになってたり、食事が外食ばかりだったりと酷かったので、まずは生活の建て直しから。

それでも残り数ヶ月しかいないのだから、やっぱり何ふり構わず勉強する意気込みじゃないとな、と思い、夜もテキストを開くのでありました。



それにしても持病の首も限界なので、明日はジムとマッサージ行こうっと。


第100課です。といっても上げ底で始まっているので100個記事を書いているわけではありませんが、それでも結構書いたんだな~と改めて実感。


さてさて、このブログは旅行がテーマなのが多いですが、つい先日も2X歳スペシャルとして、北京・天津に行ってきました。



◆ 30万の中国 ◆





◆ 30万の中国 ◆





◆ 30万の中国 ◆



天津のホテルから見えた、夜景、朝日、青空。

楽しかったな~。疲れたけど。



なんだか今日は旅行の話をするほど元気がないので、今日はこの辺で・・・・。




誰もが幸せになれるようなWIN-WINで生きて行きたいけど、中々難しい。

いつもいつもこれでよかったのかな、と思いながら、がんばってなんとか生きています。
前回お届けした青蔵鉄道の車窓からでしたが、ここで少し青蔵鉄道の現実をちょっと。


◆ 30万の中国 ◆




青蔵鉄道は西部大開発の一環として国家の威信をかけて行われた大プロジェクトでした。武漢にいた2006年、開通を祝う垂れ幕をいたることろで目にしました。



世界で一番高いところを通る鉄道で、その建設は永久凍土の上に鉄道を敷くという難易度の高さに加え、工事従事者には高山病や気候の厳しさが襲いました。温暖化の影響による永久凍土の融解を考慮に入れなければいけないなんてこともあったそうです。




確かに列車に乗って外を眺めてると一体どうやって作ったんだろうと、素人の私でさえ、このプロジェクトのすごさに感心せざる得ません。



◆ 30万の中国 ◆
永久凍土の上をひた走る鉄道。

wikipedia青蔵鉄道



そんな青蔵鉄道も乗っていた駅員さんの話によると、変わってきたそうです。


2006年開通当時は、ラサに向かう観光客で入手困難と言われたチケットも、今では比較的簡単に購入できるようになっています。というのも、列車自体が、観光客を運ぶというより、ラサに向かう出稼ぎ労働者を乗せるものに変わってきており、観光客が買うような高い寝台のチケットより、一番安い座席のチケットばかりが売れている状況だそうです。

「奶茶(naicha:ミルクティー)一杯すら、売れないよ」と駅員さんは嘆いていました。



青蔵鉄道によりチベットにおける漢民族の比率は高まっています。



チベットについた初日、ガイドからラサの8割がチベット族ですという説明を受けました。
それはおかしい!と思った私がもう一度聞いても「そうだ」というのですが、その日の夜、仲良くなったチベット族の友人にもう一度聞いてみました。

答えは、「5対5だ」とのこと。


「ガイドはね、そういう風に言わないといけないんだよ。実際一般市民においては半分半分くらいの比率だけど、今は解放軍が大量に送られているので、7(漢)対3(チベット)ぐらいになっていると思う」とのことでした。




不況による就職難から、政府はチベットでの就職、起業を奨励しており、都市からラサに移住した場合、一ヶ月300元ぐらいの政府補助がもらえます。中国人の間では、ラサで一儲けするという「チベット・ドリーム」も囁かれています。

ラサ市内の周辺には一目でそれとわかる漢民族の街が至るところにできています。



押し寄せる漢民族とチベット族間の緊張の高まり、就労機会、経済的利益の流出によるチベット族の弱体化がおきており、これが青蔵鉄道のもたらした最も大きな変革ではないかと感じています。



夜話を聞いたチベット人がコーヒーカップを指して、「チベット族はこれを手作りで時間をかけて50元で作る。でも漢族は、内地から安い材料を探して、しかも短時間で20元で作ってしまう。これでは勝てない」と言っていました。




鉄道、移住、奨励、チベットドリーム・・・・こんなことを書きながら、戦時の満州への移住政策を思い出しました。