世界が鏡であると気づき この世が 幻想であると気づいた一年間


世界も私の周りでも 自我の崩壊が加速している


それれは 様々な形で自我を崩壊する


悲しみ くるしみ 闇の中へと突き落とす出来事が起きる


でも それらは 必要で起きる 神の計らいでしかない


私自身 今現在も つらいことは起きていて しんどい時もある


でも 昔とは違って 今は 全てを あるがままに 起こるままに 見ようと

つとめるようになった


死や別れは 中でも 胸が引き裂かれそうなものであるが その感情も 体験することに

大きな意味があり 全てが愛おしい感情なのだ


我々は 今 真に目覚めようとしている


虚無の世界 原初の世界 何もない世界


何もないけれど 全てがある永遠の世界


三島由紀夫は 最後の作品に壮大な輪廻転生と唯識を描いた


春の雪 奔馬 暁の寺 天人五衰の四部作を豊饒の海と名付けた


三島氏のいう 豊饒の海とは 月の中に存在する からからな虚無の海を表していた


しかし 字からは 真逆で 充ち満ちた海を連想させる


彼は 自決した日に小説の最後の原稿を渡しているが その最後には 全てが幻想であり

何もない世界に辿り着いた・・・ そう書いている 何もない世界


我々の本体は 後ろにいるのだ


今 こうしている間にも 己の姿を天上からでも空中からでも見るイメージは誰にでもできるであろう


その見ている眼差しが本体


生まれたこともない 死んだこともない 泣いたことも 喜んだこともない 真の姿


それが 我々の本体


ただ ずっと見ている


我々は世界を 己の身体を通して見ていたが 常に見られていたのだ


我々の眼は 映画なのだ


だから 何も 失ったことはないのだ


ただ あまりに身体からの世界の眼に なれてしまって それが本体だと思っている


今は 少しづつ その後ろの眼に還りつつある


その眼から見たら 世界は どれも美しく どれも尊いものであったのだろうと思う



今 現在も くるしみの中にいる人は大勢いると思う


私も そうだが 

 

もう そこから 逃げることや抵抗することはやめて ただ 今の感情を味わっていてほしい


それを後ろの眼で見てみるイメージを そのイメージを頻繁に行っていこう



神経を眼の奥の眼に 移行させようではないか