8月11日は スーパームーン


いつからだろうか 満月を眺めることが好きになったのは・・・


いつからだろうか・・・ 完全であった時の ことを忘れてしまったのは・・・


私は 過去を思い出してみたのですが ここ最近の記憶は 時間軸が変化しており

過去は 同じ空間にある気がします


一年前も 三十年前も 同じ空間に存在していて 思い出しては 今に もってくるという

感じでしょうか・・・


私は 過去を思い出してみました


言の葉のない時代 三歳?四歳? その頃 大人の話している会話なんて

さっぱり分からなくて 私の脳内は いつも平和だったような気がします


今 という瞬間を生きていたし 何かを判断していなかった 


分離していない世界の中にいたような気がします



ある日 母の背中に乗って 散歩をしていた時 母の背中に耳をあてると 心臓の鼓動が

きこえてきました


その瞬間 私は 瞬間で空高い上空にいました 


そして自分と母を見下ろしていました  それと同時に 母の背中にいる自分も感じていました


二つの自分を感じていました それは まるで真我と自我 二つが同時に存在していたような

あの時が 最初で最後の体験でした


上空の私は 瞬間に 世界がどうやって創造されたのか 世界になぜ 自分がいるのか


全てのことを知ったのです そして また背中の自分と融合しました


私は 母に そのことを教えてあげたくて 言の葉を早く身につけようと思いました


けれど 言の葉を身につけた頃には 説明できなくなっていました


もちろん 今でも 感動したこと以外 こうやって説明できないのですから


その世界は 言の葉を超えていたのでしょう 




この世界では 幸も不幸も 自分が体験したいことを体験してきたのです


太宰治も言っていましたね この世に 幸も不幸もありません

ただ いっさいは 過ぎてゆくのですと・・・


真我実現という世界は 語ることのできない世界 自我の想像を超えた世界


私たちは 元々 完全で そのものであった 

けれど 言の葉を身につけ この世界の規則や意識によって 不自由になり 大事なことを

忘れてしまっていた


今は 世界中で目覚めが起きている それは 本当の目覚め 今までの夢の中で夢だと

気づく一時的な目覚めではなく 本当に起きるのだ


私たちは 眠れる森の美女なのだ



言の葉を捨て去り 真我の世界へと回帰する




語り得ぬことのできぬ 永遠の0の世界へと・・・




言の葉の世界にいるからこそ 書かれた美しい田村さんの詩


帰途より




言葉なんか おぼええるんじゃなかった


言葉のない世界


意味が意味にならない世界に生きていたら

どんなによかったか


あなたが美しい言葉に復讐されても

そいつは ぼくとは無関係だ


きみが静かな意味に血を流したろころで

そいつも 無関係だ


あなたの やさしい眼のなかにある涙


きみの沈黙の舌からおちてくる痛苦


ぼくたちの世界にもし言葉がなかったら

ぼくは ただそれを眺めて立ち去るだろう


あなたの涙に果実の核ほどの意味があるのか


きみの一滴の血に この世界の夕暮れの

ふるえるような夕焼けのひびきがあるか


言葉なんか おぼえるんじゃなかった


日本語と ほんの少しの外国語をおぼえたおかげで


ぼくは あなたの涙の中に立ちどまる


ぼくは きみの血の中に たった一人で帰ってくる