【山本勘助ゆかりの地レポ 9/11】
山本勘助のふるさととして知られる愛知県豊川市牛久保町に勘助の遺髪塚が残る武運山長谷寺(ぶうんざん ちょうこくじ)があります。
ココも勘助ゆかりの地です。
さて、なぜココに勘助の遺髪塚があるのかというと、それには深いワケがあります。
戦国時代、この周辺を治めていた牛久保城の牧野氏の家臣に大林勘左衛門貞次(おおばやしかんざえもんさだつぐ)という人がいました。
大林さんの子供に男子がなく、たぶん知り合いだった山本さん家から『源助』という養子をもらいます。
これが後の勘助なんですね。
15歳で大林家の養子になった大林勘助は、ゆくゆくは大林家の当主として牧野氏に仕える予定。
そのために若いうちに武者修行として旅に出ました。
月日は流れ…
35歳の時に牛久保に帰ってきた勘助ですが、なんと、養父である勘左衛門に男の実子が生まれていたため、勘助はもはや養子としての役割がなくなっていました。
大林家と縁を切り、どこかの大名に仕官するべく、また旅に出ようとしますが、その前に幼少の頃よりお世話になっていた長谷寺の念宗和尚に自分が死んだら供養して欲しいとの髪を渡します。
後に勘助が川中島で討ち死にした事を知った念宗和尚は、勘助の言葉通り、遺髪塚を築いて勘助を供養したそうです。
その遺髪塚が今でも残っているんです。
↑長谷寺には、あまり広くないながらも駐車場があります。
参拝者や檀家さん向けの駐車場なので、クルマで来る際にはココに駐車しましょう。
路上駐車はNG!
↑本堂の前にある勘助についての看板。勘助の事が詳しく記載されています。
勘助については謎が多いので、牛久保町に伝わる話は貴重ですよね。
ココもチェックしましょう。
↑武運山という山号が、勘助を偲ばせますね。
本堂の縁側の上にあります。
↑本堂の様子。
長谷寺は観光地というワケではなく、現在でも普通に寺院として運営されていますので、節度をもって参拝したいですね。
ちなみに勘助は遺髪と共に弘法大師作と伝わる摩利支天像を念宗和尚に渡したそうです。
大河ドラマでは、ペンダントみたいになっていたアレです。
実物は仏像で、現在では非公開になっているのが残念ですが、写真などを拝観させて頂けます。
↑そして本堂裏の墓地にある勘助の遺髪塚。
遺髪を収めて墓として供養されています。
実は勘助の墓&供養塔というのは、山梨、静岡、長野などにもいくつか存在します。
でも遺髪塚はココだけでしょう。
勘助ファンは是非、参拝してみましょう。
※続きを読む⇒なぜ三河国牛久保に今川義元の墓があるのか?牛頭山大聖寺
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